第26話 彗星の守り人
アシェルは腫らした目をしばたたかせて、カロンを見る。
「カロン?」
「アシェル君。先日のジュダ君がさ、君にとんでもなく酷いこと吐き散らかしていったよね。普段の俺なら、あんなこと絶対に止めたんだけど。今回は止めなかった。どうしてだと思う?」
カロンがアシェルの前に跪き、アシェルの両手を握ると、今までにないほど真剣な表情を以て、アシェルの顔を覗き込んできた。
「俺もジュダ君と同意見だからだよ――アシェル君。子どもの君を、戦場には行かせられない。何があろうとも、絶対に」
アシェルは「まただ」と内心思った。
ジュダもカロンも、アシェルを「子ども」と見なして、何やら酷く怖がっている。
アシェルはカロンに、淡々と問うた。
「カロン。カロンは、どれくらいの数。戦場に立ったこと、ある?」
アシェルの問いに、カロンは少しだけ視線を泳がせて唇を舐めると、慎重な声で答える。
「……十二回かな」
「わたしは、一〇三六回。戦場に立った」
説き伏せるように語ったアシェルの言葉に、カロンが歯を食いしばって、何やら酷く悔しそうに目を伏せた。
それでもアシェルは、ただ淡々と、己が思うことをカロンに突き付ける。
「こういう言い方、よくないと思う。けれど……今更だ。だから、だいじょうぶだよ。カロン。わたし、誰よりも戦場に慣れてる。カロンが怖がること、何もない」
「……ごめん。本当にごめん、アシェル君……!」
カロンがアシェルの過去を知って、悔しそうな、悲しそうな顔をする。
その気持ちが、今のアシェルには痛いほどわかった――カロンもアシェルと同じなのだ。
アシェルがジュダのことを強く想うように。カロンもアシェルのことを、強く想ってくれている。大切にしてくれている。それがとてもアシェルは嬉しかった。
アシェルがカロンに「カロンが謝ることじゃ、ないよ」と声をかけると、カロンが弾かれたように顔を上げて、必死の形相でアシェルに訴えかけてくる。
「君にとっては今更なことかもしれない。だけど俺たち大人は……君みたいな子を、何が何でも守る義務があるんだ! だから大丈夫。君は戦場に行かなくていい。ジュダ君のことは心配しないで、アシェル君。ジュダ君は最強の魔術師なんだから、そう簡単に死ぬことはないよ。ジュダ君ならきっと、君のことも、ニミリエルのことも守ってくれるから……!」
しかし、それでもアシェルは――今のカロンの言うことは、どうしても聞けないのだ。
「……ジュダは〈願い星〉、みたいだね」
「……え?」
アシェルの突拍子もない言葉に、カロンが間の抜けた声を漏らす。
それにも構わず、アシェルは続けた。己の我儘を。
「カロンもデメトリアも、メイヴェン前公爵も、国王も、ニミリエル王国も……皆、星魔術を頼りにしてる。『飛空艇軍を倒してください』って、誰もがお願いしてる。あまねく人々が、ジュダだけを頼りにしてる」
アシェルの赤い瞳の中で、火花が弾け飛んだ。
「でも……そんなジュダのことは、誰が守ってくれるの?」
「!」
カロンの糸目が、みるみるうちに見開かれていく。
「ずっと、誰かに願われて、誰かを守り続けている〈願い星〉なジュダ――そんなジュダを守ってくれる人が誰一人としていないのなら。わたしがジュダを、守りたい」
カロンが大きく見開いた目を微かに濡らして、息を呑む気配がした。
「わたしが、ジュダを守る」
アシェルは、己が魂に刻んだ彗星を――願いと、祈りと、生きる希望を、カロンに掲げる。
誰よりも我儘に、思うが儘に、自分勝手に――誰よりも、自由に。
そんな、アシェルの何よりも固い意志と覚悟を受けたカロンは、くしゃりと大きく顔を歪ませて、両手で顔を覆い隠し「俺たちは……大人失格だ……」と濡れた声を零す。
微かに震えるカロンを慰めるように、アシェルはカロンの広い背中を小さな手で撫でた。
「でもね、カロン。ここに来たばかりのわたしは、きっと子どもだった。だけどもう、子どもじゃない。カロンとジュダが……わたしのこと、立派な大人にしてくれた。それがわたしは嬉しい。カロンたちに、とっても感謝してる。ありがとう……だからね、カロン。わたしはもう、大丈夫だよ」
アシェルは、いつもカロンが出しているような「柔らかくてやさしい声」を心掛けて、カロンにも語り掛けた。
するとカロンは、しばらく両手で顔を覆っていたが、「すう」と深く息を吸ったかと思えば両手を下ろして、赤くなった目をアシェルに向けてくる。
その糸目は、やっぱりやさしい眼差しをしていた。
「そっか。うん、わかったよ……ありがとうね、アシェル君。それじゃあ、一緒に行こうか。ジュダ君のところへ」
「……うん」
アシェルはカロンに頷き返すと、カロンの手を引いてカロンが立ち上がるのを手伝う。
二人はどちらともなく、廊下を駆け出して、城の厩舎を目指す。そんな中、カロンがアシェルへと声をかけた。
「アシェル君。ジュダ君が吐き捨てていきやがった、最低最悪発言の一部を、一応補足させてほしいんだけど……あ、ちなみに俺。アシェル君を戦場に行かせないことだけは同意見なんだけど、その他のジュダ君の最低発言はクソだと思ってるからね」
「あ、うん……なに?」
アシェルは考えないようにしていたジュダの拒絶について、カロンに話を振られたので、内心恐々としながらも、息を呑んでカロンに尋ねる。
カロンは小さく苦笑しながら語った。
「ジュダ君はさ。アシェル君にあんなにも散々最悪なこと吐き散らかしていったどうしようもない、勘違い馬鹿変人だ。でもね、アシェル君を何が何でも突き放そうとするジュダ君のあんな必死な顔……俺、初めて見たのよ。あんな苦しそうなジュダ君の顔、初めて見たの」
「……」
アシェルが走りながら、カロンに視線を向ける。
カロンも駆ける足は止めぬまま、眉を下げて、首を傾げて見せた。
「だから、アシェル君。アシェル君が、ジュダ君を変えてあげて。変わることを怖がって、ずっと地面に這いつくばってるジュダ君に、真っ向からぶつかって、手を引いて……掬い上げてほしい。あとね、何でもいいから、何かあったら俺を頼って。アシェル君が辛い目に遭ったら、俺が何とかしてあげたいし。ジュダ君がまたクソみたいなことしでかしたら、俺がアシェル君の代わりにジュダ君をぶん殴るからさ」
一度目を伏せたカロンが、次にアシェルへと向けてきた眼差しは――開かれた碧い眼差しは、力強く、何よりも頼もしく笑っていた。
「そして、君がジュダ君を守るのなら。俺がアシェル君を守るよ――この命に代えても、必ずね」
そんなカロンの言葉に、アシェルは堪らなく嬉しくなって目を細めると、力強く頷き返した。
「ありがとう、カロン――うん。大丈夫。わたしも絶対、ジュダを守る」




