第25話 絶望を彗星で燃やせ
◇◇◇
アシェルが目を覚ましたのは、夕暮れ時だった。
アシェルは何故か自室の寝台の上に居て、ぼうっと夕陽に染まり切った辺りを見回す。
「……ジュダ」
脳が覚醒しきっていないアシェルから一番に口をついて出たのは、ジュダの名前。
アシェルは未だぼうっとしたまま、ジュダを捜そうと覚束ない足取りで廊下に出る。
草原の城は、どこもかしこも夕陽の昏い光に沈んでいて、燃えているようだった。
だが、どうしようもなく閑かな夕暮れだった。
いつもならジュダが夕飯を作る音が聞こえてきて、腹の虫を鳴らすような香ばしい匂いが城いっぱいに漂っているというのに。
そのどれもが、今日は存在しない。
アシェルは途方もなく、淋しくて、怖くて、心細くなって、また「ジュダ?」と逢いたい人の名を呼ぶ。
その瞬間、アシェルの脳裏で記憶が弾けた。
『有能なお前なんぞ、もう微塵も興味がねえ。傍に居るのもおぞましい……』
『二度と俺の前にその姿を見せるな』
確かにアシェルへと向けられた、ジュダの拒絶の言葉を思い出した。
アシェルは全身がふらりと脱力して、その場にへたり込む。
「そうだ……わたし、ジュダに……」
思い出された絶望は、容易くアシェルの肉体からありとあらゆる力を奪ってゆく。
それだというのに――両目から堰を切ったように溢れ出す、大粒の涙の雨は、止むことを知らぬようだった。
何故、絶望とは。涙だけは奪っていってはくれないのだろう。
アシェルはジュダと出逢ってからずっと、泣いてばかりだ。兵器は泣かないはずなのに。
「もうジュダのそば、いられない……どうしよう」
絶望の事実を口に出せば、心臓が握りつぶされたような激痛を覚えた。
アシェルは震える両手で胸を押さえ、嗚咽を漏らす。
「ジュダ……くるしい、くるしい、くる、しい……」
「アシェル君!?」
不意に、背後から酷く慌てたような――カロンの声が聞こえてきた。
アシェルが振り返る前に、カロンがアシェルのもとへと駆け付けてきて、アシェルの肩を支えるように配慮に満ちた仕草ながらも片手で抱いてくれる。
「アシェル君、倒れてから丸一日も目が覚めなかったから心配したよ……でも目が覚めて本当に良かった。もう少し休んだ方がいいよ。お水でも飲む?」
カロンがアシェルの震える肩を、慰めるようにやさしく手で摩ってくれる。
ばさり。そんな時、廊下の奥から鳥の羽音が響き渡ってきた。
その音を耳にしたカロンが、弾かれたように顔を上げて、片腕を素早く掲げる。すると、カロンの腕に廊下の奥から飛んできた灰鴉がとまった。魔術式が刻まれているのがすぐにわかったので、おそらくカロンの使い魔だろう。
灰鴉の足には、小さな筒が結び付けられている。その筒から、カロンは細長い文書のようなものを取り出して、すぐさま文字列に目を走らせていた。
アシェルはすぐに悟った。その文書は恐らく――ジュダたちが向かった戦場における、戦況報告。とっさにアシェルはカロンへと短く尋ねる。
「戦況は?」
アシェルの問いに、カロンは唇を薄く嚙んで眉を顰めると、目を伏せながら低く声を振り絞った。
「戦況は……良くないみたいね」
「!」
アシェルは思いがけず、はっと息を呑む。
脳内を蝕んでいた絶望が、突如として冴えわたった。次いで思考が目まぐるしく回り始める。
今でもアシェルの脳裏に生々しく蘇るのは――アシェルが永く生きてきた、戦場というもの。戦争というものが如何なるものか。
どこにいてもけたたましい絶叫と断末魔が飛び交い、どこまででも、大地は血と死肉で汚れている――まさにこの世の地獄。
それが戦場だ。
アシェルが一番、誰よりも戦場がどのような場所であるかを痛いほどに知っている。
ゆえに、すぐにこう思い至った。
戦場はたとえ、どこの国の王だろうと、どんな英雄だろうと、一騎当千の強者であろうと、誰であろうと、そこに立ってしまえばいつ死んでもおかしくない地獄。
それは、ニミリエル王国が魔術師の頂点たる〈零落公〉――ジュダも、例に漏れない。
しかも、ジュダは星魔術の欠陥を抱えたままだ。そんな不完全な状態で、よりにもよってジュダは、今現在の世界において「無敵」とされる〈飛空艇軍〉と対峙している。
アシェルは、全身からさあっと血の気が引いていく感覚がした。
このままでは、ジュダの傍に居られるか否かどころではない。
もしかしたらジュダが――死んでしまうかもしれない。
(だめ。それだけは絶対に駄目――今のわたし、泣いてる場合じゃない)
そんな結論に至ると、即座にアシェルは覚悟を決めた。
アシェルの魂に刻まれた彗星の尾鰭が燦然と輝いて、アシェルの絶望に呑まれていた心を冷たく、熱く、燃やしてくれる。
流れ落ちる涙はこれで最後だと、乱暴に顔を拭った。
「わたし、行かなきゃ……ジュダのところ。はやく、行かないと」
アシェルはそう呟いて、おもむろに立ち上がる。その足にはもう、一切の迷いはない。
しかし、そんなアシェルの手を強く引いて、歩き出そうとしたアシェルをその場に留めたのはカロンだった。




