第23話 流転してゆく君へ
アシェルの叫びに、ジュダはびくりと大きく肩を震わせた。そうして、今までに見たことが無いほど虚を突かれたような顔をして、石のように固まっている。
アシェルは己の発言を顧みて、内心「しまった」と思い至った。
(どうしよう。ジュダ、役に立つの嫌いなのに……でも、これはわたしの本心。わたしの願い。何よりも大切な、わたしの生きる希望。こうなったらもう、今――ぜんぶ、伝えるしかない)
一瞬だけ後悔したアシェルだったが、すぐさま奮い立って、ぎゅっと服の裾を両手で握る。それでも、ジュダの顔を今見るのはまだ少しだけ怖いので、視線を足元に落したまま、アシェルはジュダへと語り掛けた。
「わたし、今ね……超広域防御結界魔術を創ってるんだ。国もぜんぶ包み込めるような、大きくて何よりも頑丈で柔軟な結界魔術。これが完成すれば、ジュダが降らせる星屑から敵以外のぜんぶ、守れる。さっきはジュダ、わたしに適応力のこと思い出させてくれて、ありがとう。あれのおかげで、もっともっと〈守り〉が強い結界魔術の術式を掴めた……これでもう、だいじょうぶ。わたしの結界魔術があればジュダの星魔術、活かせる……よ!」
アシェルは喉がからからに乾いてしまうほど、大きな声を出してジュダへと熱烈に語った。
アシェルはどうしても、ジュダの役に立ちたいのだと。
その強い願いが。
ひたすらに燃えるような想いが。
アシェルの名前にならない感情の全てが、ジュダに伝わればいいと。
そう思って、アシェルはジュダに己の魂や全身全霊を懸けた言葉を届けた。
しかしジュダからは、一向に言葉は返ってこない。アシェルはますます怖くなって、鼓動が煩わしいほどに速くなってきた。
そんな時、不意にアシェルの肩に細くて柔らかい手が置かれる。
「もし。失礼いたしますわ。貴女のお名前をお伺いしてもよろしくて?」
「え、う、あ……わ……わたし、アシェル」
「アシェル様ね。お教えいただき感謝いたしますわ、アシェル様」
咄嗟に俯いていた顔を勢いよく上げてアシェルが名乗ると、いつの間にかすぐ隣にはデメトリアの姿があった。
デメトリアはようやく面を上げたアシェルの顔を見つめると、少しだけ目を丸くして「まあ。何てお可愛らしい人」と片手を口に添えて呟く。続いてデメトリアは、随分な早口でアシェルへと詰め寄ってきた。
「アシェル様。貴女様の結界魔術、途轍もなく素晴らしいものですわ。わたくしの魔術式まで、あの短時間で書き換えられてしまわれるなんて……わたくしたち〈六賢将〉に劣らぬ、洗練された美しい魔術です。わたくし、感動いたしました」
「へ。あ、う……あ……あいが、と……ます」
唐突に捲し立てられるように褒められてしまったので、アシェルは思いがけずしどろもどろになりつつ、デメトリアにお礼を言う。
一生懸命に紡いだはずの丁寧な言葉はやはり覚束ないものだったし、しっかりと「ありがとうございます」は嚙んだが。
(うれしい、な……ジュダにも、褒められたいなあ……)
アシェルは両手を胸の前で組み合わせて、絡めた指を忙しなく動かしながら、ちらりとジュダの方をみる。
ジュダの表情は、ジュダの黒髪が目元に少しかかっていて、あまりしっかりと窺えなかった。
ふと、デメトリアがアシェルの小さな両手に被せるように、己の細い手を重ねてくると、アシェルに向かって大きく頷きながらジュダを見やる。
「そして、アシェル様の先生を想うお気持ちも、僭越ながらではございますが痛いほどに共感いたします。素敵な想いですわ――ねえ、先生。アシェル様も共に国境へと同行していただきましょう。無論、戦場には出させません。しかし、アシェル様の結界魔術がありましたら、先生の星魔術は必ずイスカンダルの飛空艇軍を破れましょう」
デメトリアの願ってもない提案に、アシェルは赤い瞳をきらきらと輝かせた。
デメトリアがまたアシェルへと力強く頷いて、微笑んで見せる。デメトリアの言葉と微笑みに、アシェルは大きな勇気を貰った。
アシェルは今ならジュダの顔を見られると思い至って、弾かれたようにジュダを振り向く。
振り向いた先のジュダの顔は――全身が粟立ち、総毛立たずにはいられないほどに冷たい、作り物のような無表情だった。
「は? ふざけんじゃねえ。却下」
ジュダの恐ろしいほどの無表情から漏れ出た声は、地を這うような低さだった。
アシェルはあまりにも異様なジュダの雰囲気に呑まれ、半ば放心したまま、ジュダに駆け寄ろうとする。
「ジュダ……? ど、どうして……」
「寄るな」
ジュダが冷酷に、駆け寄ってきたアシェルを強く振り払う。
アシェルは数歩後退って、振り払われてじんじんと痛む手を押さえた。
ジュダの刃物の如く鋭利で、冷たい視線が突き刺さってくるのがわかる。気が付けばアシェルはジュダから目を逸らして、顔を俯かせていた。
「お前みたいな半端者を戦場に寄越す? 寝言も大概にしろ。お前を連れていくなど、考えただけで吐き気がする。俺の人生の汚点になる気か?」
「……先生。流石にその言い方は……」
「黙れ。お前は口を出すな」
デメトリアが眉を顰めて苦言を呈そうとするが、ジュダが強い語気で一蹴した。そうして、ジュダはさらに冷めきった声をアシェルに向ける。
「あとお前、俺の『役に立ちたい』やら『星魔術を活かす』なんぞ気色悪いことをほざいたな。結界魔術の共同研究も、星魔術を有能にするためだったとは笑わせてくれる。お前はもう、無能じゃねえ――俺の大嫌いな、有能だ。この意味がわかるか?」
「あ……」
ジュダの短い問いに、アシェルは答えられない。
アシェルの喉は、声を出すことを忘れ去ってしまったかのように引き攣って、思うように動いてくれない。
気が付けばアシェルの身体は、ぶるぶると大きく震えていた。
死人のような顔をして震えるアシェルにも構わず、ジュダが無慈悲に、淡々と口を開く。
「有能なお前なんぞ、もう微塵も興味がねえ。傍に居るのもおぞましい……」
ジュダの冷たい声が、アシェルの心臓を刺す。
アシェルの五臓六腑を刺す。
アシェルの肌を――アシェルの全身を、ずたずたに突き刺す。
「二度と俺の前にその姿を見せるな」
ジュダはもう、アシェルの名前すら呼んでくれない。
アシェルに背を向けて、アシェルを目に入れることすらしてくれない。
それはまさに、絶対的で、絶望的な――明らかなる、拒絶だった。
(そん、な……わたし、間違えた……?)
アシェルが声に出したつもりの縋るような独り言は、音と成らない。
それでもアシェルが「ジュダ」の名前を呼ぼうと声を振り絞ろうとするが、それは突如としてこちらに駆け寄ってきた馬の蹄の音によって掻き消された。
「エヴァンジェリン閣下! 急報――ここより南のバカン原野にて、イスカンダル帝国軍が侵攻中! 加えてイスカンダルは帝国軍だけでなく〈飛空艇軍〉を率いている模様!」
デメトリアが率いる軍の早馬だった。
デメトリアは一瞬目を瞠ったが、すぐに至極冷静な鋭い目つきとなって、早馬に短く問う。
「バカン原野ですか。まさにこの城から目と鼻の先。随分と内部にまで侵攻されましたわね。近くに他の王国軍、または〈六賢将〉はいらっしゃいますか?」
「は! ほとんどの王国軍は東部、北部に散らばっており……〈六賢将〉の皆様も、王都と東部国境にいらっしゃるとのことです!」
「つまりは、今現在。イスカンダルの〈飛空艇軍〉に対応できますのは、わたくしとメイヴェン公だけということでございますわね」
「行くぞ、デメトリア」
現況を整理したデメトリアに、間髪を容れず声をかけたのはジュダだった。
デメトリアが驚いたように目を丸くしたが、すぐに表情を戻して、ジュダを窺うような慎重な様子で静かに問いかける。
「……あんなに渋っていらっしゃいましたのに。よろしいのですか?」
「状況が変わった。国境を越えたバカン原野まで〈飛空艇軍〉に侵攻されたのは前代未聞──このままでは、下手すればニミリエルは滅ぶ。一刻を争うぞ。俺に馬を貸せ。今すぐ出陣する」
ジュダが身を翻して、デメトリアの軍の方へと足早に歩いてゆく。
アシェルは終始、茫然としていることしかできなかった。そんな、身じろぎすらできずにいるアシェルの肩にデメトリアが手を置くと、アシェルに目線を合わせて短く言い付けた。
「アシェル様。ご心配には及びません。わたくしが先生の星魔術を全力で補佐いたしますわ。アシェル様は、カロン卿と避難を。それでは失礼いたしますわ」
デメトリアもマントを翻し、ジュダと共に軍の方へと駆けて行く。
ほとんど放心しているアシェルは、遠のいていくジュダの大きな背中が、途轍もなく恐ろしくなった――否、ジュダに拒絶された事実が、怖くて怖くて堪らなかった。
(いや……いやだ、いやだ、いやだ……もうジュダの傍、居られない……? そんなの、絶対いや)
アシェルは叫びをあげる。その叫びはやはり、音にはならない。
(そんなの、耐えられない!)
アシェルは遠のくジュダの背中に少しでも近づこうと走り出す。しかし、すぐにふらつく足がもつれて、転んでしまった。
(やめて、やめて、やめて……おねがい)
それでもアシェルは、小さくなっていくジュダの背中に手を伸ばす。
アシェルの視界に写る、必死にジュダを求めて伸ばされた小さな手と、もう点のように小さくなってしまったジュダの背中は、じわじわと白く滲んでいった。
「そばにいさせて、ジュダ」
喉が引きちぎれるような叫びを、慟哭を、アシェルは上げたが――その声は酷く枯れて、か細く、蟲の鳴くような覚束ない声だった。
アシェルはその叫びを、何度もうわ言のように繰り返す。繰り返す度に、両目からは炎の水のような熱い珠が無数に零れ落ち、ひっきりなしにアシェルの薄っぺらい身体は痙攣する。
ひたすらに苦しくて、痛くて、心許なくて、怖くて、寂しくて堪らなかった。
「そば、に……いさせて、じゅだ、あ、ああ……うあ、あ、ああああ……!」
アシェルはもう己が何を叫んでいるのか、何をしているのかもわからずに、ひたすらに絶望に身体を震わせることしかできなかった。
そんなアシェルに、「アシェル君……アシェル君……!」と何度も呼び掛け続け、アシェルの痙攣する身体をひたすらに摩ってくれた手がカロンのものなのだということも知らずに、アシェルはいつまでも絶望を叫び続け、いつの間にか気を失っていた。




