第22話 生々流転
デメトリアが片手に持つ、紺碧の宝玉と装飾がきらびやかな長杖を高く掲げる。すると、宝玉が魔力によって輝き、空は晴天にもかかわらず雨が降り出した。
アシェルは思わず晴天の雨を見上げて、首を傾げる。
「雨……?」
「これはデメトリア君が近くにある雨雲から呼び寄せた雨だよ。デメトリア君の魔力は物凄く〈水〉の魔力との相性が良くて、あの娘の魔力は淡水、雨、海水を問わず遍く〈水〉を引き寄せちゃう性質なんだ――だから彼女は、火属性の魔術を相伝とするエヴァンジェリン侯爵家では落ちこぼれと呼ばれてたんだけど……ジュダ君が彼女に水魔術の教えを授けたことで、彼女は当代最年少の〈六賢将〉にまで成り上がったわけ」
アシェルの隣で同じく晴天の雨を見上げながら、カロンが解説してくれる。
カロンは「きっとあらかじめこの辺り一帯の天候を読んで、わざわざこの日を選んでジュダ君を叩きのめす気満々できたのね、デメトリア君……恐ろしや……」と、どこか遠い目をして独り言を呟いている。その間にも、どんどんと雨脚は強くなっていった。
(この量の水を自在に操ることができる水魔術……あの人、とても強い)
アシェルはこくりと息を呑んで、再びデメトリアとジュダに視線を向ける。
デメトリアの長杖は、水魔術によって柄の途中から水でできた〈傘〉のような形に変形しており、デメトリアは長杖の装飾を「しゃらら」と鳴らして、優雅にさしていた水の傘の石突を大地に突き立てた。
すると、降りしきる雨粒の全てがぴたりと、時間が止まってしまったかのように宙に浮く。
一粒一粒の雨粒が晴天の陽の光を眩く反射し、虹色の珠となりてきらめく。
デメトリアがすっと空いている右手を伸ばし、ジュダを指し示した。
「貴方に、指を射れてもよろしくて?」
デメトリアの白魚のような爪の先まで美しい人差し指が、誘惑するかのように「くいっ」とジュダを招き――停止した全ての雨粒が、水の針となってジュダを八方から貫こうと目にも留まらぬ速さで集結する。
ジュダは水が針となる前から既に長杖を素早く振るっており、「ボッ!」と爆発にも似た音と共に、ジュダの周りには青い炎が球体状に顕現した。あれは炎魔術だ。
デメトリアが放った無数の水の針が、ジュダを囲む青い炎の球体を丸々覆い尽くすように突き刺さる。
しかし、水の針の全てが「じゅあ!」と激しい音を立てて瞬時に白い煙となり、蒸発してしまう。
それを目にしたデメトリアが、柳眉をぴくりと動かして、低い声を零した。
「まあ。炎でわたくしを拒むなんて――いじわるな先生ですこと」
デメトリアはさしていた水の傘を「ぱん」と弾けさせると、傘から元に戻った長杖を、天を指し示すように高く、高く掲げる。
長杖の先にある紺碧の宝玉が、より一層魔力を宿して眩い輝きを放ち始めた。その輝きが増すごとに、宙に浮いていた雨粒たちが空に向かって飛んでゆく。
そうしてデメトリアの頭上には、集った雨粒が融合して、巨大な水の塊が顕現した。
「これでしたら、そうそう容易く蒸発はさせられませんわね?」
デメトリアがぐるりと掲げた長杖を回すと、水の塊が生き物の如く蠢いた。
それを見上げるジュダが、舌打ちをして眉を顰める。
「有能小娘め……俺を溺れさせるつもりか。厄介な……」
ジュダがそう呟くと、長杖の先に小さな青い火球を顕現させる。おそらく、先程より遥かに高温の炎魔術を駆使して、デメトリアの質量の暴力に任せた巨大な水魔術と相殺させるつもりなのだろう。
(だけど、炎魔術は魔力の消費がすごく激しい……もしかしたら、ジュダの魔力が尽きてしまう、かも。それは危ない……駄目……!)
アシェルは瞬時にそう思い至って、ようやく作り上げた不格好極まりない〈枝の杖〉を手に、ジュダのもと目掛けて駆け出した。
背後から「え……ちょっ、待っ……アシェル君!? 危ないって!」と裏返った声で叫び、後をどたどたと追ってくるカロンにも構わず。
アシェルは走りながら遠隔操作魔術を展開し、デメトリアが浮かべている水の塊の魔力を捉える。
水の塊の魔力には、複雑な魔術式が施されていた。おそらく、今のアシェルでは一瞬で魔術式を己のものに書き換えるのは難しい。
現在は、ほんの一瞬でも命取りになるのだ。アシェルは魔術式の書き換えという選択肢を、即座に切り捨てる。
「先生、お覚悟」
デメトリアが冷たい声を放つのと同時に、長杖をジュダに向かって振り下ろす。
水の塊が、ジュダへと落下した。
水の塊の落下に合わせて、ジュダが再び己を囲うように青い炎魔術を顕現させる。青い炎は凄まじい高音へと達し、星のような光を湛えた。
アシェルはジュダから少し離れた位置で立ち止まると、枝の杖を両手で持ち、ジュダの頭上に向かって指す。するとジュダの頭上に、巨大な結界が展開された。
アシェルの結界と、デメトリアの膨大な水が宙で激突する。
デメトリアの水魔術の膨大過ぎる質量は、まさに兵器も同然で――水の塊が触れた瞬間、アシェルの鋼鉄以上の硬度を誇る結界に、大きな罅が入った。
アシェルはデメトリアの水魔術に押されて、そのまま地面に膝をつく。
このままでは、結界魔術が破られる――アシェルはこの刹那、己の結界魔術の敗北を悟ってしまった。
不意に、視界の端でジュダがアシェルを振り向いた気配がした。
「アシェル……!?」
ジュダは酷く驚愕したような声でアシェルを呼んだかと思えば、すぐさま低い声を大きく張り上げた。
「水に適応しろ! アシェル!」
ジュダの叫びが、アシェルの脳裏で火花を散らす。
いつかの日。ジュダとカロンとアシェルの三人で議論していた、結界魔術の共同研究にて。
ジュダは言った。結界魔術において最も重要なものは如何なるものか――。
『想像力と適応力だ』
かつてのジュダの声が、「ばちばち」と火花を散らしてアシェルの脳を焼く。
膝をついていたアシェルは渾身の力を振り絞って立ち上がり、デメトリアの水魔術へと再び遠隔操作魔術を展開した。
雷が脳を巡るような疾さで思考し、デメトリアの水魔術を解析する。
(水魔術の魔術式を構成する詠唱言語体系、古代魔法語、古リエン語――複合魔術式の演算は――)
アシェルはデメトリアの複雑な魔術式を、己のものへと書き換えるのと同時に、口から言葉を発して並列思考を図った。
「流れる、落ちる水は、激しい。ただし滞る水は、光を反射し、柔い……羊水、のような」
アシェルの脳内の思考と、言葉の思考が魔術式として編み上げられてゆく。
「そう。羊水が赤子を護るように――水は、〈守る〉性質を持つもの。ついでに〈反射〉も、付ける」
滞ることを知らない急速な思考のせいで、赤く血走り、不規則に定まっていなかったアシェルの瞳の焦点が合う。アシェルの鼻からは、血がつうっと垂れ流れた。
アシェルが両手で持つ杖から光線が閃き、光線はアシェルの結界をばらばらに砕いて、デメトリアの水魔術を貫く。
すると、デメトリアの水魔術――巨大な水の塊に、星の大河のような魔術式が淡い光を湛えて刻まれて、ゆっくりとした速度を以て降下し始めた。
ジュダは茫然とした様子で、アシェルと降下してくる水の塊を見比べると、おもむろに水の塊に向かって手を伸ばす。「とぷん」と心地よい音を立てて、水の塊は着地し、ジュダの全身を包んだ。
「……デメトリアの水魔術が……反射結界の魔術式に、書き換えられている……」
「は……はあ……?」
「水の柔軟さを、反射の性質として魔術式に組み込んだようだ……この反射結界は、外敵を限定して防御反射するらしい……」
ジュダが水の中――否。アシェルが新たに生み出した、水型の反射結界魔術の中でぽつりと独り言ちる。
その独り言に、同じく終始唖然としていたデメトリアが、ふらふらとこちらに歩いてきながら間の抜けた声を上げた。
「わたくしの、この水魔術は……十年近くをかけて、創り上げた魔術式だったのですよ? それをあのたった一瞬で書き換えられたと……?」
「……そうらしい」
いつの間に仲直りしたのだろう。ジュダとデメトリアが互いの顔を見合わせた後、アシェルを随分と唖然とした様子で見つめてくる。
アシェルは肩で荒い息を繰り返しつつも、鼻から垂れていた血を拭いながら、思いがけずジュダに駆け寄って叫びをあげた。
「わたし――ジュダの役に立ちたい!」




