第21話 瀑布戦姫デメトリア
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昼下がりに起床したばかりのアシェルは、草原の城の長い廊下を颯爽と駆け抜け、城外へと急いでいた。
何故なら、草原の城のすぐ近くに、無数の魔力反応――つまりは軍勢とも言える規模の魔力が集結していたからだ。
城門に出ると、既にそこにはカロンが居た。おそらく今朝から、ジュダと仕事をしていたのだろう。アシェルはカロンの隣まで走ってくると、遠隔操作魔術で魔法陣の望遠鏡を発動し、軍勢が居座る草原を見渡す。
歩兵、重装兵、騎兵、魔術兵、戦車――そして、見覚えのある六角形型の幾何学模様をした青い大旗。あれは〈六賢将〉の証たる紋章。つまりはあのニミリエル王国軍は、ジュダと同じ〈六賢将〉が率いる軍勢だ。
ふと、軍勢の中から、一人の長身の女性が歩み出てくる。
縦に巻かれた眩しい金色の長髪。白雪のような肌。高い鼻筋に、赤い蕾のような可憐な唇。凛とした光を湛えた青い瞳。
そして、小枝のようなアシェル――否、最近はそれなりに肉も付いてきた。これからまだまだ成長するはずなのだ、この薄っぺらい身体は――とは違って、美しく豊満に実った胸元。
そんな気品に満ち溢れた佇まいの絶世の美女は、紺碧の軍服のマントを翻して、こちらを冷ややかにも真っ直ぐ見据えている。
その鋭く青い視線の先には、如何にも嫌そうな顔をしたジュダが立っていた。
アシェルは二人に視線を縫い留めたまま、カロンに短く尋ねた。
「カロン。あの人、誰?」
「ええっとねえ……あの娘は〈六賢将〉が一角、デメトリア・クレシダ・エヴァンジェリン君――〈瀑布戦姫〉って呼ばれてる。王国最高峰の水魔術師だよ。ちなみに、アシェル君には前にもちらっと話したんだけど……デメトリア君は、ジュダ君のかつてのお弟子君なのよね。ジュダ君が魔術の教えを彼女に授けたおかげで、デメトリア君は〈六賢将〉にまで成り上がった娘なんだ」
「!」
アシェルは思いがけず大きく目を瞠って、隣にいるカロンを振り向く。するとカロンは、苦笑しながら人差し指で頬を掻いた。
「ジュダ君が魔術を教えたことで、デメトリア君、超有能に育っちゃったからさ……意味わかんないこと言うけど、あの二人、超絶仲が悪いのよ。そんでどうやら、今日のデメトリア君はジュダ君をイスカンダルとの侵略防衛戦に無理やりにでも参戦させようと、押しかけて来ちゃったみたい……前にも何度か、こういうことあったのよねえ……はあ……」
カロンがげっそりとした表情で、頭を抱えた。「はあああ……どうしよ……今日の俺、あの激強師弟の大喧嘩止められるかな……無理かもぉ……」と、カロンは長いため息を零しつつ、虚ろな糸目でぼそぼそと苦悶の独り言を垂れている。
アシェルはいつも以上に心労の負担が大変そうなカロンの背中を、なるべくやさしく「ぽんぽん」と叩いてやると、再びジュダとデメトリアに視線を向ける。
ジュダとデメトリアは、草原の中心で対峙した。
アシェルは遠隔操作魔術を駆使して、聴覚を最大限にまで尖らせると、耳を澄ませる。
「ご機嫌よう。ジュダ先生。お久しぶりですわね」
デメトリアが左胸に手を当てて、恭しく一礼をする。凛々しくも、涼しげな美しい声をしていた。
貴族令嬢のような言葉遣いでありながら、その所作はまさに騎士のようでもあるため、デメトリアには独特の麗しさがある。
顔を上げたデメトリアに、ジュダが眉を顰めて、苦々しげに低い声を漏らした。
「……その気色の悪い呼び方を今すぐにやめろ。デメトリア。虫唾が走る」
「あら。何を仰るのかしら。わたくしの先生は貴方だけですわ。ジュダ先生」
「会話が成り立たねえな? お前のそういうトンチキさは結構だが、そもそも俺は、お前みたいな有能を育てた覚えはねえ。お前は勝手に育った。俺は偶々近くにいただけ。巻き込むんじゃねえ」
「まあ。先生ったら。相変わらず、ご謙遜がお上手ですこと」
「はあ……有能生意気小娘が……」
デメトリアが品よく口に片手を添えて、老若男女が見惚れずにはいられない見目麗しい微笑を湛える。ジュダは、いつにも増してどんどん口が悪くなる一方だった。
舌打ちを鳴らしたジュダに、「くす」とデメトリアが気品に溢れた笑みを零すが、すぐにその微笑みは怜悧な無表情へと一変し、デメトリアは鋭い目つきでジュダを見下ろすように、見上げた。
「さて、お戯れはここまで。本題に入りましょう。先生」
デメトリアが冷たい声を凛と張る。
「今すぐにイスカンダルとの侵略防衛戦に参戦してくださいまし」
「嫌だ」
ジュダもデメトリアに負けず劣らずの冷たい眼差しで、一蹴した。デメトリアは怯むことなく、青い目を細める。
「先日、イスカンダルの〈飛空艇軍〉が東の国境にある街を二つ滅ぼしました。このままでは、わたくしたちニミリエル王国は蹂躙されるばかり。先生の星魔術が必要ですの。どうかお力添えをお願いいたしますわ」
「何度も言っているだろ。星魔術は欠陥だらけの無能魔術だ。少しでも使い方を誤れば、イスカンダルを退けるどころか、この国をも容易く亡ぼす。そもそも、俺の星魔術は戦争のために創り出した便利魔術じゃねえ。あれは俺を褒め称える馬鹿どもの口を、強制的に大地とキスさせるために生み出した魔術だからな」
如何にもわざとらしく、皮肉げに死んだ魚の目を眇めて見せたジュダに、デメトリアが一歩踏み込むように近づいて、挑戦的な強い眼差しを鋭く向ける。
「星魔術の欠陥。構いませんわ。その欠陥を補うため、わたくしがおりますのよ。戦場だけでなく、いつでもどこでもわたくしを傍に置いてくださいまし、先生。必ずやこのデメトリア、星魔術のお役に立って見せますわ。共に戦いましょう」
「役に立つ……!? おいやめろ、今すぐやめろ。悪寒がする」
踏み込んできたデメトリアから、すぐさまジュダは離れる。ジュダは心の底から嫌そうに、顔を歪めた。
そんなジュダの顔を目の当たりにしたデメトリアは、初めて隙があるような茫然とした表情を見せるが、すぐにその色を消すと、金糸のような長い睫毛を伏せて、深く息を吐き出す。
一瞬だけ、アシェルにはその美しい横顔に、憂いが漂っているように思えた。
「わたくしは逃してばかり……いいえ。先生が懲りずに逃げ続けていらっしゃるのですね」
デメトリアが青い瞳を上げる――今にもジュダを視線だけで射殺さんとする、その絶対零度の眼差しは、憤怒、殺意、愛憎、否それ以上に様々な激情が渦巻いていた。
「ニミリエル王国が魔術師の頂点たる〈六賢将〉ともあろう者が、いつまで経っても逃げ腰とは。恥をお知りになって。メイヴェン零落公――本日こそは、力尽くでも貴方を連れてゆきますわ」
デメトリアの激情入り混じった言葉に、ジュダがいつもの如く高圧的に鼻を鳴らす。
「嬉しい罵倒だ、デメトリア。俺はニミリエルの恥だと言われるのが長年の夢だった。そして意地でも戦争には行かん」
ジュダの挑発と同時に、二人の間で「バチン!」と魔力の衝突が起こった――ジュダとデメトリアが互いに、魔術を編み上げる間もなく、己の魔力を砲弾の如く放って攻撃し合ったのだ。
二人は魔力衝突による衝撃で宙を飛び、くるりと回転しながら間合いを取って、着地する。
ニミリエル王国が魔術師の頂点、〈六賢将〉。
その一角たる〈零落公〉と〈瀑布戦姫〉による魔術戦の火蓋が、ここに今、切って落とされた。
それを目にしたカロンが冷や汗を額に滲ませて「ひい」と情けない声を漏らす。
「あ~~~……! 最強最悪の大喧嘩、やっぱり始まっちゃったぁ……! あの二人の間に割って入るの、嫌すぎる! 怖い怖い怖い! 死んじゃう!」
ほぼ半泣き状態のカロンの隣で、アシェルはそばに落ちていた大きめの枝を拾うと、密かに結界魔術で刃物状にした手でその枝を〈杖〉のように削って整え始める。
(せっかくの師弟なのに……喧嘩するの、悲しい。わたしが止めなきゃ……!)
アシェルは手先が大変に不器用なので、結界の刃で手をボロボロに傷つけてしまう。それでもアシェルは一瞬たりとも手を休めることはない。
しばらく時間がかかりそうだったが、ジュダたちの魔術戦こと大喧嘩を横目に、アシェルは杖作りを急いだ。




