第1話 夜の目と星の目
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ニミリエル王国軍に捕らえられたアシェルは、厳重に魔力封印の拘束をされて、見知らぬ屋敷へと連れてこられていた。おそらくここはもう、ニミリエル王国の内部だろう。
猿轡を嵌められ、魔力封印の魔道具である拘束具に縛り上げられたアシェルは、屋敷で目覚めてからずっと、この拘束を解こうと力尽くで藻掻き続けている。
そんなアシェルを囲む大勢の兵たちは、どこか慄いたような目を以て、アシェルを監視していた。口々に「これがあの鬼畜皇子が使役していた怪物」「矛神レゲンデーア……何と恐ろしい……」「何とも不可解……どうして結界魔術ごときであれほどの強さを誇るのか……」「見たか? この怪物の所業を……早く処刑すべきだ」「なにゆえメイヴェン閣下は、この怪物を始末なさらない?」と、何やら囀っている。
「騒がしいぞ。諸君。客人のお加減はいかがしたものか?」
ふと、穏やかな低い声が広間に響き渡った。併せて、一斉に兵たちが敬礼し、口を閉じる。アシェルは暴れるのを止めて、声がした方に目を向けた。
広間に入ってきたのは、一人の年配の男。白髪交じりの品の良い口髭を蓄えた、柔らかな空気を纏った男。見知らぬ男だ。しかし、アシェルはすぐにこの男には隙が無いと思い知る。アシェルはこちらに向かってゆったりと歩いてくる男を睨むでもなく、無感情に見つめた。
男はそんなアシェルと目を合わせるように屈みこんできて、「ふむ」と短く吐息を漏らす。男が片手を上げて見せると、アシェルの猿轡が外された。
「憐れなものだ。イスカンダルも、斯様なか弱き者を兵器として登用するとは。無敵の飛空艇軍を手にしておいても、飽き足らず。何と愚かな」
男は思慮深そうな目で、アシェルを観察しているようだった。そして何やら、アシェルを通して、アシェル越しに――別の誰かを、視ている。
「君はあの子に……僕の息子に、よく似ているよ。不思議なものだね」
独り言ちるように男はそう零すと、穏やかに、眉を下げて笑った。
笑う。人間の笑み。それは紛れもなく、人間の隙の一つだ。
(敵はころす)
そう即断したアシェルは、不格好にもばねのように身体を跳ねさせて、男に襲い掛かろうとする。しかし、すぐに背後に控えていた兵たちに取り押さえられ、兵たちの足によって身体を踏みつけられた。
アシェルは己の中で黒く渦巻く強迫観念を、口から吐き出して、さらに力を振り絞る。
「魔力封印……解けたら、ころす。ころす、ころす、ころす、ころす……人、殺さないと。わたし、生きてる意味。生きてる価値、ない」
アシェルは人間たちを殺すことだけを、ひたすらに考えていた。それだけが、アシェルに与えられた思考する権利だったからだ。
だが、そんなアシェルの思考、意識を、一瞬にして奪ってしまう者が不意に現れる。
広間の大扉が、大きな音を立てて開け放たれた。そこから、カツ、カツ、カツン、と。踵の高い軍靴を鳴らす小気味よい音がこちらに近づいてくる。
アシェルが振り向く。そこには、先日戦場にてアシェルを屈服させた男――〈零落公〉ジュダの姿があった。
闇を思わせられずにはいられない、漆黒の髪。濃い隈の浮いた、気だるげな黒い目。不健康そうな蒼白い顔。やはり夜を背負っているような闇色のマントを纏い、黒を基調とした軍服は、銀色の刺繍で控えめに彩られている。
まるで星空のような人間だと、アシェルはぽつりと思った。
アシェルが思いがけず目を見開いてジュダを凝視していると、ジュダと目が合った。ほんの刹那の時だったが、アシェルを見たジュダの目は、やっぱり今まで向けられてきたどんな視線とも違っていて。一瞬にして目を逸らされようとも、アシェルはジュダから何故か目が離せなかった。
ふいとアシェルから目を逸らしたジュダが、アシェルの傍に居る年配の男を如何にも嫌そうな顔をして見やる。
「……突然呼び出して何用ですか。父上」
〈零落公〉ジュダの父上――ということは、この年配の男はメイヴェン前公爵らしい。
ジュダの問いかけに、メイヴェン前公爵が淡々と答える。
「〈矛神レゲンデーア〉を、我が国は持て余している。イスカンダルには飛空艇軍もあるし、身元を調べてみれば〈矛神レゲンデーア〉は孤児。イスカンダルのうつけ皇子の玩具だ。〈矛神レゲンデーア〉に捕虜としての価値は無いに等しいだろう。ゆえに、捕らえた張本人である君が、〈矛神レゲンデーア〉を管理してくれ」
メイヴェン前公爵の半ば無理やりと言ってもいい「厄介者の押し付け」に、ジュダが思い切り眉を顰めて首を横に振った。
「はあ? 嫌ですよ、そんなこと。断固としてお断りします」
「ならば、イスカンダルとの戦争に参戦しなさい」
即座に切り返してくるメイヴェン前公爵に、ますますジュダが端整な顔を歪める。
「……それも無論、お断りします。何度も言っているでしょう。俺は戦争が嫌いだ。あなた方に使われて戦争に出るくらいなら、死んだほうがマシです」
「先日は帝国軍を撃退したじゃないか。その戦利品が〈矛神レゲンデーア〉だろう?」
「それは、俺の領地にイスカンダル共が土足で踏み入って来たゆえ、仕方がなくです。その子どものことも、俺には知ったことではない。戦争に出るつもりは毛頭も無いですよ」
子ども、とは誰のことだろう。アシェルはぼんやりとそんなことを思う。
一方ジュダが、如何にも不機嫌そうに髪を掻き乱していると、メイヴェン前公爵が目を伏せて小さくため息を吐き出す。そして、今までの穏やかさから一変した、鋭い目つきでジュダを睨み上げた。
「……〈矛神レゲンデーア〉を預からないのならば、戦争に出なさい。それか、選択肢はもう一つ――君自身の手で、〈矛神レゲンデーア〉を密かに処分せよ。これが国王陛下から下された王命だ」
「は……」
もはや脅しも同然の言い草で詰め寄ってくるメイヴェン前公爵。
それを耳にしたアシェルは、すぐに「己は殺されるだろう」と他人事のように悟った。何故なら、それが一番合理的で、ジュダに都合のいい選択だからだ。
一瞬、はっと息を呑んだように思えたジュダ。しかしジュダは、頭を抱えて長いため息を吐き出しつつも、しばらく間を置いた後に大きく舌打ちしたかと思えば、渋々と言ったように重い口を開いた。
「戦争には、出ない――ゆえに、それは預かります」
「よろしい。では頼んだよ。息子よ」
メイヴェン前公爵は先ほどの気迫が嘘だったかのように、ころりと笑みを零すと、さっさと広間を出て行ってしまった。
一方、アシェルは思いがけず茫然としてジュダを見上げていた。
まさか、ジュダがアシェルを殺さない選択肢を選ぶとは、思いもよらなかったからだ。アシェルの脳内には、「なぜ?」の言葉が次々と湧いてきて、今にも口から飛び出しそうだ。
そうして、アシェルはこちらを見下ろしてきたジュダと、再び目が合った。




