第18話 母と兄と有能な道具
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メイヴェン公爵家の嫡男たるジュダ・ヴァルカラ・メイヴェンは――生まれた時は、「ただのジュダ」でしかなかった。
ジュダは所謂、貧民層の生まれだった。
ジュダには母が一人、双子の兄が一人いる、三人家族。
ジュダは二歳の時には、捨てられた書物を漁って文字を読むようになり、五歳になるまでには独学で高等魔術も使えるようになった。
ジュダは物心がつく前から、「知りたい」という強い欲求に突き動かされて生きており、何でも貪るように学んで、知識を蓄えていた。それが何よりも気持ちがよく、楽しかったからだ。
一方、双子の兄は成長が遅く、五歳になるまでまともに言葉も喋れず、母からは「手のかかる子だ」とよく言われていた。
しかしジュダは、いつもにこにこと穏やかに笑っている双子の兄が、大好きだった。
ジュダは幼くして魔術を使えたので、母からの「困っている人がいたら、魔術を使って助けてあげなさい。ちゃんとお金も貰ってね」という言い付けを守り、いつも魔術を使って様々な人を助け、報酬で得たお金を言い付け通りに母に渡していた。
ジュダは母のことも大好きだった。
ジュダが魔術でお金を稼いでくると、いつもぎゅうぎゅうと抱きしめてくれて、弾けるような笑みを見せてくれる。双子の兄とよく似ている母の笑い顔が、ジュダは本当に大好きだった。
「あなたは本当に有能で、よくできた子ね」と頭を撫でて褒めてくれる。それがとてもとても、ジュダは嬉しかった。
ジュダが稼いできたお金は、何故かすぐに無くなってしまう。母が夜な夜などこかに出かける度に、無くなってしまう。
だから貧しい暮らしは続いたが、それでもジュダは幸せでいっぱいだった。
大好きな兄と母が居てくれれば、それだけでいい。ジュダは二人のためなら、何だってできた。
誰も使えない魔術の会得も、新しい魔術式の開発も、母の言い付けでお金のためにたった一人で巨大な魔物を倒すことも、母が「殺して」と命じた見知らぬ男を殺すことも。
母と兄が傍に居てくれる幸せ。これを守るためなら、ジュダは何だってできたのだ。
『君がジュダだね? 今日から君には、ジュダ・ヴァルカラ・メイヴェン――僕の息子になってもらうよ』
ジュダが十歳の時。
見知らぬ貴族の男が訪ねてきて、唐突にそんなことを言ってきた。
ジュダは訳が分からなくて、母に助けを求めようと、母を振り返る。すると母は、満面の笑みを浮かべて、ジュダの小さな背中を強く押し出した。
『さよなら、ジュダ。これからはメイヴェン公の言うことをよく聞くのよ。有能でいい子なあなたなら、できるわね?』
母の傍には、見たことも無いほどの大量の金が積み上げられていた。
ジュダは瞬時に理解した。自分はあの大量の金と引き換えに、売り飛ばされたのだと。
後に聞いた話では、ジュダと双子の兄はメイヴェン公爵家の血筋を引く男の子どもで、子ができなかったメイヴェン公爵は血眼でメイヴェン公爵家の血を引く子どもを捜していたらしい。
ジュダは自分が売り飛ばされた事実が信じられなくて、咄嗟に母の胸へと縋った。
『どう、して……待って、おかあさん。おれ、おかあさんと、にいさんとずっと一緒に居たいよ。おれの幸せは、ふたりとずっと一緒にいることだから。おれ、ずっといい子にしてたでしょう? だから捨てないで。これからはもっと、いい子でいるから……』
『駄目よ、ジュダ。メイヴェン公の前でそんなお顔しないで』
縋りついたジュダを、母は強い力で振り払った。ジュダは地面に全身を打ち付けられるように転び、茫然と母を見上げる。
『ジュダ。あなたはとっても有能でいい子だから、あなた一人でも絶対に幸せになれるわ。だって有能なあなたにはもう、お母さんも兄さんも必要ないでしょ?』
母はにこにこと、変わらずジュダが大好きな顔で笑った。
『今までいっぱいお金稼いでくれてありがとね、ジュダ』
笑みを浮かべる母の目は、ジュダを「己が産んだ子ども」として見ていなかった――「己が産んだ、有能な金稼ぎの道具」としか、見ていなかった。その時になってようやく、ジュダはそのことに気が付いたのだ。
ジュダはメイヴェン公爵が連れていた従者たちによって、両脇を抱えられる。もうジュダには、この運命を変えることは不可能だということが明らかだった。
それでもジュダは、最後に母へと懇願するように問い詰める。
『どうして……おれだけ、なの。どうしておれだけ、売り飛ばすの?』
その問いに、母は困ったような笑みを浮かべた。
『だって……あなたの兄さんは手がかかる子でしょう? 無能なこの子には、私が必要なのよ』
母は、後ろにいた双子の兄を片手で抱き寄せた。兄を見る母の目は、やさしい慈愛に満ち溢れていて――「己の産んだ愛おしい息子」を見る目に、間違いなかった。
心臓を踏みにじられたような痛みと衝撃が、ジュダを襲った。従者たちに連れていかれるジュダの全身は脱力し、泥のような絶望に呑み込まれてゆく。
最後にジュダは、母の後ろに隠れている双子の兄に目を向けた。
兄と、目が合った――兄は母とよく似た顔で、にこにこと穏やかな笑みを浮かべていた。
ジュダは痛いほどに思い知る。
母が〈有能〉と定めた己は、母にとっては金稼ぎの道具でしかなくて、〈子ども〉などではなかったのだ。逆に母が〈無能〉と定めた兄は、〈可愛い我が子〉でしかなくて――〈無能〉であることが、正義だったのだと。
公爵家に入ったジュダはそれからより一層、〈有能な道具〉として扱われることがますます増えた。
高等魔術を使えるのだから、遍く人々を助けよと命じられる〈有能〉で便利な道具。
貴族共を喜ばせるための〈有能〉な魔術開発者。
誰よりも強いのだから、戦場の前線に立って遍くものを守れと命じられる〈有能〉な兵器。
ジュダはいつも、誰かの前に立っていた。誰かの盾となり、誰かを殺そうとする者を貫く矛となり、〈有能な道具〉として自分より弱い人々を守り続けた。
ジュダはついに、己が便利に使われることに慣れてしまった。そして、それを自覚した時――ジュダは胃がひっくり返るほどの自己嫌悪に陥った。
このままでは自分は死ぬまでずっと、母に定められたような――〈有能な道具〉のままだと。
ジュダは確信する。やはり、無能で在ることこそが、何よりも正しいのだと。
ゆえにそんな歪んだ認識が、何よりも強く、深く深く深く――ジュダの深奥へと、呪いの如く根付いていった。




