第15話 無限のようで夢幻
ジュダと同じく黒板の傍に立ったカロンが、アシェルに資料を渡しながら語り出す。
「前提として、まずは現状の結界魔術についてだけど……現代での結界魔術は発展するどころか、衰退の一途を辿ってるのよね。その訳が、遠隔操作魔術の開発によって、魔術師のほとんどが自然由来の攻撃魔術を使うようになったことが要因の一つ」
次にジュダが黒板へと文字を書き記して見せた。そこには円状に「風」「火」「水」「土」という単語が並べられている。ジュダが黒板を教鞭で示して見せながら、カロンの語りを引き継いだ。
「遠隔操作魔術は、自然属性の魔術を大いに発展させた。主な自然属性は『風』『火』『水』『土』の四つ。そしてこの四つの属性は互いに相性の良し悪しが有り、互いの攻撃を増長させたり、打ち消す性質がある。『風』が『火』を増長させ、『水』が『火』を打ち消すようにな。つまり、攻撃は最大の防御とはよく言ったもので、現代では攻撃魔術の属性を駆使し、相手からの攻撃を相殺する術が急激に発展しつつある」
「そうそう。だから防御力じゃなくて、攻撃魔術の速さと強さが何よりも重視されてるわけね。そういうことで、古代から存在する結界魔術は良くて一度だけ攻撃を防ぐような、使い捨ての脆い鎧扱いなの」
ジュダとカロンのわかりやすい解説に、アシェルは「ぱちぱち」と拍手をして頷きつつも、微かに眉根を寄せて首を傾げた。
「なるほど。でも、結界魔術を一度きりの使い捨て扱いなんて、もったいないね。わたしの結界魔術、鋼鉄よりも硬いのに」
「そう! 気になってるとこの一つはそれよ、アシェル君! どうやってアシェル君は、そんなにも強固な結界魔術を行使してるの?」
びしっ! とカロンが相変わらず品の良い仕草でアシェルを手で指し示す。
アシェルは「うーん……」としばらく唸った後、僅かに眉を下げて首を横に振って見せた。
「……どうしよう。わからない。強いて言うなら……勘?」
「はい来ました、天才発言! アシェル君系の天才魔術師って、魔術を感覚で会得してるから、俺たち研究者が原理を紐解くのが滅茶苦茶に難しいのよね!」
「おい。有能そうな発言をすんじゃねえ。鳥肌が立った……」
「ご、ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を竦めるアシェルを見て、何やらジュダが小さく息を吐くと、腕を組みながらアシェルに短く尋ねてきた。
「アシェル。結界魔術において最も重要なものは何だと思う?」
ジュダの問いに、アシェルはしばらく思考を巡らせた後、「うぐぐ……」と悩ましげに唸りながら、ちらりとジュダを見上げる。
「……硬度?」
「否。想像力と適応力だ」
アシェルの答えを即座に切り捨てたかと思えば、ジュダは問いの答えをすぐにアシェルに教えてくれた。
アシェルは思わず「そうぞうりょく? てきおうりょく……?」と首を捻らせると、ジュダがいつも通りに鼻を鳴らして、語り出す。
「結界魔術は古代より現存する魔術。そして多くの古代魔術の基盤はまず、想像力に在る。己の魔力を『こうだったらいい』『こういう形で、こういう色で、こういう大きさで顕現せよ』と様々な〈願い〉を脳内で詳細に形作り、術式を通して現実へと具現化させていた。結界魔術もその応用だ。アシェル、お前は結界魔術を何と心得ている?」
ジュダの問いに、アシェルは間髪を容れずに答えた。
「結界魔術は――わたしの不滅の矛で、不滅の盾。絶対に誰にも壊せない。どんな剣も魔術も、わたしの結界の前では崩れる。わたしの結界は何にでも成れる。夢幻のようで無限の魔術」
そんなアシェルの返答が満足できるものだったのか、ジュダは黒い目を細めて、小さく頷き返して見せた。
「そうだ。それでいい。だが、想像力とは時に危ういものだ。お前自身が圧倒的な力を前に『敵わない』と思ってしまえば――想像することを諦めてしまえば、お前の結界魔術はあっという間もなく消え失せる。俺はそういう無能っぷりは晒しまくってほしいが……」
「ジュダ君」
ジュダの無能好き語りが始まりそうになったので、すぐさまカロンがジュダの脇腹を肘で突いて、釘を刺す。釘を刺されたジュダは不機嫌そうに吐息を吐きながらも、改めてアシェルを見つめた。
「そういう場合こそ発揮するべきが適応力だ。己の想像力を、どんな事象、恐怖、絶望にも適応させろ。想像することを決して止めるな。俺がお前をそんな目に遭わせるわけが無いが、まあ……それでお前は、滅多なことでは死なずに済む」
「!」
アシェルは密かに息を呑むと、無意識に片手で胸のあたりをきゅっと握る。
ジュダの「俺がお前を、死ぬ目に遭わせるわけがない」という言葉が、無性に嬉しかったのだ。ジュダは偶に、思いもよらない時に、アシェルの心臓をおかしくさせるような言葉をくれる。
それが酷く憎たらしくも思えて。
酷く、叫び出したくなるような、形容できない喜びを思い知らせてくるのだ。
アシェルはジュダから学んだ「想像力」と「適応力」という結界魔術に欠かせない力を深く胸に刻んで、ジュダを見上げるとこくりと頷く。
「うん。わかった。教えてくれてありがとう。ジュダ。わたし、死なない」
「ばか。無能なお前は何もしなくていい。お前が何をしなくとも。俺が死なせねえと言ってる」
ジュダが呆れたように半眼になって、低い声を零す。
またジュダはそういうことを言う。
アシェルは嬉しさと同時に、内心で苦笑を零しながら「うん。ありがとう」とまた頷いて見せた。
それからのアシェルは、ますます強くなっていく「ジュダの役に立ちたい」という想いを秘めたまま、三人での共同研究に没頭していく。
アシェルが自然物だけでなく、自分以外の〈他者の魔力〉を遠隔操作魔術を使って己の魔力と接続して操作することで、遠く離れた人間にも自在に結界魔術を張れること。または、即興で他者の魔術式を自分のものへと書き換えたり、新たに創り出すこともできることをカロンやジュダに教えれば、二人ともに酷く驚かれた。
カロンは「ジュダ君並みの神業じゃん! て、天才過ぎる……恐ろしい子……」と独特ながらも、目一杯に褒めてくれた。
しかし、ジュダは違った。
アシェルが新たな結界魔術の魔術式を生み出す度、ジュダの顔色はどんどんと曇っていった。カロンには褒められるのに、ジュダは驚きの顔を見せてはくれるが、すぐに黙り込んでしまう。
ついには、最近のアシェルはジュダに明らかに避けられるようになってしまった。
アシェルは絶大な不安に駆られるばかりか、焦燥にも駆られる。
「ジュダの役に立ちたい」という、日に日に大きく膨らんでゆく、抱いてはいけない想い。そして、ジュダに避けられることへの不安。相反するような想いが、アシェルの中で痛みと苦しみを伴って衝突していた。
そんな苦痛に近い悩みに苛まれながらも、アシェルは無意識に血が滲むほどに唇を嚙み締めたまま、今日もジュダを捜していた。
長い廊下を不安に煽られて小走りに近い速さで歩いていると、ようやく、ジュダの後ろ姿を見つけた。
アシェルは思わずほっと息を吐いて、ジュダの大きな背中へと駆け寄る。
「ジュダ! あ、あの……! 今日はお仕事、何もないよね? カロンから聞いた。だから、その……わたしと一緒に、新しい広域結界魔術の術式の研究を……」
「やめろ」
アシェルの声は、遮られた。いつもより強い語調の、ジュダの低い声によって。
アシェルが茫然としていると、ジュダがアシェルを振り向く。
その顔はいつにも増して蒼白で、いつも以上に深い隈が浮かび上がっていて。
その顔は悲痛さを感じずにはいられないほどに、苦悶に満ちていた。
「……変わっていくお前を見ていると、悪夢を見る……愚かで、『有能』だと唆された……クソみたいな道具の夢を」
そう、ぼそりと掠れた声で呟いたジュダの目は、アシェルを見ているようで、見ていなかった。
まるでアシェルを通して、悪夢に出てくる幽霊でも視ているかのような、そんな虚ろな顔をしていた。何かを酷く恐れているかのような、顔をしていた。
アシェルが思いがけず、呼吸さえも止めて絶句していると、すぐにジュダが我に返ったようにはっと息を呑んだ。
そして、忌々しげに顔を歪めながら己の黒髪を乱暴に掻き乱す。
「……悪い。今のは忘れろ」
ジュダは短くそう言い残して身を翻すと、足早に廊下の先を歩き出し、アシェルを置いて行ってしまった。
アシェルはしばらく、大きく見えていたはずが、今は少しでも触れてしまえば壊れてしまいそうなほどに儚げなジュダの背中を、見えなくなるまで見つめることしかできなかった。




