第11話 矛を盾と成す
街を襲撃しているのは、人間の一回りは大きな蜥蜴型の魔物だった。
遠隔操作魔術で探知した、魔物たちの魔力の属性は火。街の至る所に火球を吐き出している姿から見ても、十中八九〈火蜥蜴〉と呼ばれる魔物だろう。
街のあちこちの建物からは火の手が上がり、人々は悲鳴を喚き散らして逃げ惑っている。
そんな中、街の広場の中央でぬいぐるみを抱えた幼い少年が一人、その場に蹲って取り残されていた。
「う、ううぅ……わあああ……! おかあさぁん、おとうさぁん! どこ……どこ……」
少年はぬいぐるみを強く抱きしめて、ひたすらに泣いている。
そんな少年の悲痛な泣き声に釣られたのか、五匹の火蜥蜴が少年のもとに集まって来た。
三匹は少年に向かって、三方向から火球を放とうと大口を開ける。
二匹は嚙み合わせの悪そうな不気味な牙を「がちがちがちがち」とけたたましく鳴り響かせ、泣いている少年の柔らかな肉を貪ろうと、目にも留まらぬ速さで飛び掛かってくる。
少年が一層小さな身体を縮こまらせて、か細く声を絞り出した。
「だれか、たすけて……!」
刹那――少年のもとに、か細い影が転がるように駆け付ける。
「ぼん」と放たれた火球が炸裂する音が弾けたかと思えば――三つの火球は、半球体型に顕現した透明な魔法膜――鋼鉄よりも遥かに強固な〈結界魔術〉に激突して掻き消えた。
アシェルは片腕に少年を抱きしめたまま、空いた片手を軽く掲げる。
『庇護の魔女、花守の君、花山羊の魔王――ディルムッドよ』
アシェルが滑らかに古代魔法語による詠唱を唱えると、少年とアシェルを取り囲んでいた火蜥蜴たちが、瞬きをする間もなく顕現した五つの球体の結界の中に「とぷん」と呑まれた。
直後にアシェルは、詠唱の終の詞を流れるように唱え、掲げた片手の五本指を「ばらり」としならせつつ、ぐっと力強く握る。
『我、赤金林檎の禁を破らん』
ぱん。
空気が弾けるような音を立てて、火蜥蜴たちを呑んだ球体結界は小ぶりの林檎ほどの大きさにまで圧縮されると、火蜥蜴たちの血によって真っ赤に染まり、赤林檎となった。
「む……杖がない詠唱だけだと、これくらいしかできない。不便……」
アシェルは小さく頬を膨らませながら立ち上がりつつ、己の腕の中に抱え込んだ少年を覗き込んだ。
「え、えと……あの……だいじょうぶ?」
何となく、ジュダやカロンは「子どもが死ぬ」ということを嫌がりそうだなと思い至って、アシェルは咄嗟に、その場で唯一動けないでいた少年を助けてしまった。
なので、アシェルは恐る恐るといったように、少年の様子を窺う。
すると少年はアシェルの腕の中でぬいぐるみを抱いたまま、泣きはらした目を零れ落ちそうなくらいに見開いたかと思えば、満面の笑みを浮かべた。
「……うん! ありがとお、おねえちゃん!」
そんな少年の反応に、アシェルは何だか酷く安堵してしまって、ほっと息を吐く。
「あ! おかあさん、おとうさん!」
ふと、少年がそう叫んでアシェルの背後を指さしたので、そちらを振り向く。そこには少年の父親と母親と思われる男女二人が、人目もはばからず涙を流しながらアシェルたち目掛けて走って来ていた。
アシェルは少年を下ろしてやると、親子三人に「はやくにげて」とだけ言い残し、その場を立ち去る。
そして街中を駆け回りながら、あるものを探していた。
「あ。あった。これでいい」
アシェルは案外簡単に目的のもの――老人が使うようなステッキを道端で見つけて、それを手に取る。
「これさえあれば――全部、殺せる」
アシェルはそう呟くと、ステッキの石突からハンドルにかけて片手を翳していく。すると、アシェルの手が翳された部分が淡い光を放ち、古代魔法語の文字列が光を帯びてびっしりと刻まれてゆく。
そのステッキはたった今、アシェルが即興で創り上げた魔術式が刻まれて――〈魔術杖〉へと進化したのだ。
アシェルは目を伏せると、ステッキの石突で「とん」と大地を叩く。
アシェルの遠隔操作魔術が途端に発動し、街中にいる人間と火蜥蜴、その全ての魔力を探知した。
(ジュダとカロンが嫌がるだろうから。人間はたぶん……死なないようにしないと。この街にいる全部の人間とわたしの魔力接続、完了。全部の人間にわたしの結界魔術、張る)
アシェルがまた「とん」と石突を突くと、途端に、街中にいる全ての人間へと球体の結界が張られた。
アシェルは何となく、この作業を新鮮に思ってしまう。
(結界魔術をこんな風に使うの、はじめて……知らなかった。結界魔術って、人を殺すだけじゃなくて、生かすこともできるんだ)
アシェルはそこで思わず、はっと息を呑んだ。先刻、カロンと話したことが頭を過ったからだ。
(カロンがいってた……『民とジュダを守る、結界魔術』。そうか。これがそうなんだ)
アシェルはそう確信して、己の中で〈結界魔術〉というものの概念が新しい扉を開いた気がした。
(わたしの結界魔術。わたしの矛。それをこれからは――〈盾〉と成そう。この感覚は、この決意は、絶対に忘れては駄目。覚えよう、学ぼう、守ることを)
アシェルはそんな決意を固めながらも、次のやるべき工程に意識を切り替える。
次にアシェルがやらねばならないことは、イスカンダルの魔物軍である数百の火蜥蜴をどう片付けるかだ。
(イスカンダルの火蜥蜴……使役魔術が刻まれてて、邪魔。でもちょうどいい。使役魔術の術式を、わたしの結界魔術に書き換えて――〈鳥籠〉にしよう)
ステッキに触れているアシェルの指が、「とん、とん、とん」と三回、ステッキのハンドルを叩いた。すると、みるみるうちにステッキが鳴動し、ステッキに刻まれている魔術式がきらきらと星が瞬くようにきらめく。
アシェルは遠隔操作魔術を通じて、数百の火蜥蜴たちに刻まれたイスカンダルの魔術式を、即興で己の結界魔術の魔術式に書き換えた。
その間およそ、人が瞬きを三回もしない内。
かつてカロンと魔術討論をした際、カロン曰く、他者の魔術式を書き換えて完全に己のものとするには一般的に最低でも数日はかかるらしいが──その一般的とやらをアシェルは、理解できなかった。
数百の火蜥蜴たちの全身に、アシェルが即興で創り上げた魔術式が刻まれて、イスカンダルの紋章が消え失せる。
火蜥蜴たちの動きが、一斉に止まった。
アシェルは伏せていた赤い瞳を上げると、ステッキを軽く掲げる。
「これで、お終い」
コン、とステッキが大地に突き立てられる。
同時に、街中の火蜥蜴がアシェルの結界魔術〈鳥籠〉による瞬間圧縮を以て、一匹残らず血しぶきと成り果てて圧死した。




