第10話 カロン・バロンは悪い大人
その後、アシェルとカロンは城の外へ出て、城門の前に居た。
カロンが帰るので、アシェルはその見送りに来たのだ。
「アシェル君。ちょっといい? どうしても今、アシェル君に伝えたいことがあるんだ」
ふと、このまま馬車へ向かうかと思われたカロンが、何やら改まった口調でアシェルを振り向く。アシェルは、滅多に見ないカロンの神妙な表情に思わず「なに?」と首を傾げて見せた。
「実は俺ね。ジュダ君の星魔術の欠陥。あれをどうにかすることができるのは……アシェル君しかいないんじゃないかって、思ってるの。だからアシェル君に、結構な遠回りを促してまで、星魔術を学んでもらったんだ。そうやって君が、論理的に魔術研究ができるようになるよう……俺が仕向けた」
「……どういうこと?」
アシェルが密かに推測していた通り。やはりカロンは、アシェルを利用して「星魔術を有能とする」ため、何かしらのことを企んでいるらしい。その企みの本筋が今、本人の口から明かされるのだろうということをアシェルは察して、カロンに短く尋ねた。
カロンは珍しく躊躇うように視線をしばらく泳がせると、一度目を伏せて深く息を吐き出した後、罪を打ち明けるような表情で口を開く。
「ごめんね、アシェル君。今から俺、最低なこと言う――かつて〈矛神レゲンデーア〉と呼ばれていた君が……結界魔術だけを駆使して、数多の王国軍の軍勢を殲滅させてきたことは知ってた。つまり君は、俺が思うに……この大陸随一の結界魔術師。俺はアシェル君と初めて会った時からずっと、アシェル君が持っている結界魔術に注目してたんだ。俺は星魔術の欠陥を補える唯一の魔術が結界魔術だと、随分と昔から考えていてね」
カロンは眉を顰めた苦しげな表情のまま、僅かに背けていた視線を上げて、まっすぐにアシェルを見つめてくる。
「星魔術の欠陥は、効果が広範囲過ぎることと、攻撃が強大過ぎること。これらの欠陥を補えるのは、街一つ、または国一つ丸々全てを覆い尽くし、雨みたいに降り注いでくる星屑から大地と民衆を守ることができる大結界――超広域防御結界魔術。この結界魔術の研究を、誰よりも命を懸けて結界魔術と共に戦場を生き抜いてきたアシェル君、君と一緒にやりたいんだ」
そうしてカロンは、独白するようにアシェルに訴えかけてきた。
「たとえ民を守るため……魔法防衛大臣として、いずれ俺が強引に戦争へ連れ出すだろう腐れ縁の変人をどうしても戦場で死なせたくないと言っておいても。どんな理由があろうとアシェル君のような子どもを、また戦争に関わらせることがどれほど罪深いことか……俺は最低最悪な大人だ。それを自覚したうえでも、心からお願いします。アシェル君。民とジュダ君を守る結界魔術の研究に、どうか協力してください」
深々とカロンが、アシェルに向かって頭を下げる。
アシェルはそんなカロンの行動に、目を大きく瞠った。
(わたしが、こども……? わたしは、兵器。戦争にかかわるのは、当たり前。なのにどうしてカロンは……わたしをこども扱い、するんだろう。そんなこと気にしなくて、いいのに)
ふと、カロンの顔にかかっている銀髪から、表情がちらりと垣間見える。その顔は、かつて戦場にて目にしたことがある顔に少しだけ似ているような気がした。
今にも怒り出しそうで、泣き出しそうで、壊れてぼろぼろに崩れ落ちてしまいそうな――そんな、ジュダの不思議な顔と、今のカロンが何となく、朧げに重なったように思えた。
(……ジュダも、わたしのことこどもだって……いってた)
アシェルは考える。
これはアシェルの推測に過ぎないが、おそらくジュダやカロンにとっては、「子ども」という存在を戦争に関わらせることは、罪深いことであるらしい。
アシェルが長年生きてきたイスカンダル帝国では、老若男女問わず、戦争に勝つためには万人が戦わなければならなかった。
アシェルには、ジュダやカロンの価値観は未だによく理解できない。
それでも、確かなことが一つだけある。
アシェルは迷うことなく、己の意思と希望を、言葉と成して紡ぎ出した。
「結界魔術の研究、わたし協力するよ。絶対。だって、わたしもカロンと同じ――ジュダのこと。死なせたくない、から」
それは何故か。
アシェルを気まぐれに拾ってくれたから?
アシェルの無能を喜んでくれるから?
ジュダの星魔術を、もっと見てみたいから?
ジュダを死なせたくないという理由は――そのどれでもあるようで、どれでもない気がする。今のアシェルにはまだ、わからないことだらけ。
しかし、理由がはっきりとしなくとも、もしくは理由が無くとも――アシェルはただ、ジュダという人間にまだ死んでほしくはないと強く思ったのだ。
もっとジュダという人間を見ていたいと、思わずにはいられなかったのだ。
だからアシェルは、たとえジュダとカロンが、アシェルが戦争に関わることを望んでいなくとも――己の意志で、この道を選び取る。
アシェルは、深く頭を下げたままのカロンへ、小さな片手を差し出した。
「これはわたしの意志。わたしが思うが儘、選んだこと。誰に止められてもわたし、言うこと聞かない。だから気にしないで、カロン。一緒に、その……がんばろう?」
アシェルの言葉を聞いたカロンが、びくりと微かに身体を震わせて、ゆるゆると頭を上げる。
そして、どこか自嘲気味に、しかし酷く悲しそうな碧い目でアシェルを見つめると、アシェルが差し出した手を、やさしく握り返した。
「……アシェル君。君はやさしい子だ。そして俺はやっぱり、悪い大人だ」
そう小さく呟いたカロンは、一度大きく深呼吸をして目を伏せる。カロンが伏せていた目を上げた次の瞬間には、カロンの表情はいつも通りの胡散臭さが塗り固められていた。
カロンはアシェルと握った手を軽く振って見せて、「にたり」と笑みを浮かべる。
「本当にありがとね、アシェル君。君の言葉、非常に助かります。では、次からはさっそく結界魔術の研究に移ろっか! いいかな? アシェル君」
「うん。わたしはだいじょうぶ……」
どおん!
不意に、アシェルの声が大きな音に遮られる。
続いて、また、どん! どおん! と遠雷にしては随分と激しいような――まるで爆撃のような轟音が、辺り一帯に何度も鳴り響いた。
アシェルとカロンは二人揃って、音がした方向を咄嗟に振り向く。それは、草原の城からすぐ近くに位置する街から聞こえてきたものだった。
カロンが糸目を更に細めて街を凝視すると、苦虫を嚙み潰したような声を唸るように低く零す。
「……魔物が街を襲ってる。魔物共には紋章が……イスカンダルの魔物軍だ。奴らまた、こんなところにまで侵略の手を……! アシェル君、ジュダ君を呼びに行こう」
「その必要はねえ。もういる」
背後から聞こえてきたのは、ジュダの声だ。おそらくジュダも、街の異変に逸早く気が付いて、城から出てきたのだろう。アシェルたちが振り向く間もなく、ジュダがカロンの隣に並んで、街を睨んだ。
街からは相変わらずの轟音と共に、人々の悲鳴、魔物の喚声が飛び交っており、黒煙までもが上がっている。
カロンが「がちり」と歯を食いしばって、額に汗を浮かべながら隣にいるジュダを振り向いた。
「ジュダ君。これはもう、星魔術を使って魔物軍を撃退するしかない」
カロンの進言に、間髪を容れずジュダが首を横に振って見せる。
「嫌だ。人前で魔術を使ったら頼られるだろうが」
ジュダの返答に、カロンは糸目を怒りで吊り上げて、ジュダの胸倉へと掴みかかった。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? 事は一刻を争う! ジュダ君、君は六賢将なんだ。民を守る義務がある!」
カロンの怒りの形相と正論に、ジュダは眉根を寄せて薄く唇を嚙んだ。
「……そんなことはわかっている。だが、俺の星魔術は特に都市部には致命的に相性が悪い。しかもこの土地は星の魔力の巡りが良いゆえ、魔物共を引力で潰すぐらいじゃ済まないはずだ。つまり星屑を降らせるしかない。そうなれば最悪、星魔術で民を皆殺しにし、街を壊滅させる。冷静に考えろ、カロン。ここは住民の避難を最優先として、援軍を待つべきだろうが」
「だけど魔物の数が多すぎる! 避難誘導だけでは間に合わないんじゃ……!」
言い争っている二人の隣で、アシェルは呼吸の音すら消し切った静けさを纏い、魔物軍に襲われている街を注意深く観察していた。
先程から発動させていた遠隔操作魔術の魔力探知によると、魔物軍の総数は、おそらく数百の規模。アシェルにとって、数百の軍勢はそこまで多いものではない。
あの魔物軍はイスカンダル帝国の軍勢。ジュダとカロンの敵に違いない。つまり彼らの敵は、アシェルの敵だ。
そして何より、あの軍勢は――アシェルの敵は、人間ではない。
アシェルはぽつりと、淡々と事実を述べた。
「魔物なら、わたし――殺せる」
気が付けばアシェルは、襲撃されている街に向かってひとり、駆け出していた。
「は……おい、待て! 行くな、アシェル!」
そんなアシェルの背中に誰よりも早く、縋るように余裕のない声をかけたのは――ジュダだった。しかし、今のアシェルにはジュダの声すら耳に入らない。
不思議な感覚だった。いつもなら、「敵を殺す。絶対に、誰一人逃さず殺す」という呪いにも似た強迫観念に囚われたまま、戦いに身を投じていたというのに。
今のアシェルはただひたすらに、「ジュダとカロンが困ってる」「わたしが、何とかしなければ」という思いに突き動かされていた。




