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第96話 トカゲの尻尾切り ~総裁辞任と、忍び寄る「国労」の影~

 昭和52年(1977年)、冬。

 国鉄・横須賀線の「軌間拡大」による特急脱線事故は、連日メディアで大々的に報じられ、国鉄への批判は頂点に達していた。

 しかし、五代が予想した「国鉄の完全解体」には至らなかった。

『……此度の事故の責任を痛感し、私、国鉄総裁は本日をもって辞任いたします……』

 テレビ画面の中で、国鉄トップが深々と頭を下げ、フラッシュの波に包まれている。

 さらに、与党の大物政治家や運輸省の官僚たちが次々とメディアに露出し、「国鉄は国の動脈であり、国を挙げて安全対策と組織改革に取り組む」と火消しに走った。

        * * *

 【京急本社・社長室】

「……見事な『トカゲの尻尾切り』ですね、五代さん」

 高見(相鉄)が、テレビを消しながら苦々しく言った。

「……保線を怠った構造的な腐敗は棚上げにして、総裁のクビ一つで世論の怒りを鎮めた。……結局、政治家が介入して『国鉄』という巨大な看板は守られたわけです」

「……それでいい。焦るな、高見」

 五代は、コーヒーを啜りながら静かに答えた。

「……国家権力が背盾にいる以上、今の我々に国鉄という組織そのものを爆破することは不可能だ。……だが、鎌倉・湘南の客が『私鉄の快適さ』を知ってしまった事実は消えない。……勝負はすでに決している」

 確かに、事故後の振替輸送を機に、相鉄・京急連合の利用者は爆発的に増加していた。

 安全で、涼しく、駅員が礼儀正しい。その当たり前の私鉄の流儀が、国鉄から客を確実に奪い続けていたのだ。

 しかし、五代の表情は険しかった。

「……高見。油断するな。……物理的な勝負インフラとサービスで負けた連中が、大人しく引き下がると思うか?」

        * * *

 同じ頃。

 相鉄の車両基地の裏路地にある、うらぶれた居酒屋。

 そこには、国労(国鉄労働組合)の腕章をポケットに突っ込んだ、柄の悪い男たちが数人、酒を煽っていた。

「……おい、聞いたかよ。相鉄の連中、客に頭下げてニコニコ笑ってやがるらしいぜ」

「……資本家の犬どもが。俺たち『労働者の権利(ストライキや順法闘争)』を揺るがす裏切りモンだ」

 当時、強大な権力を誇っていた国労にとって、相鉄の「会社と組合が協調し、客のために汗水垂らして働く姿」は、自分たちの怠慢な労働環境を脅かす最も目障りな存在だった。

「……総裁が辞めようが知ったこっちゃねえが、私鉄がデカい顔をしてるのは許せねえ。……相鉄の『労働組合』に、少しばかり“教育”をしてやるか」

「……ああ。若けぇ運転士や保線員を酒に誘って、そそのかしてやれ。『お前ら、会社にこき使われて悔しくないのか? 俺たちと一緒に闘おうぜ』ってな」

 男たちは、下劣な笑い声を上げた。

 レールや車両での勝負を捨てた彼らが選んだのは、相鉄の内部から組織を崩壊させる**「労働組合への思想的テロ(オルグ活動)」**だった。

        * * *

 数日後。

 高見の元に、現場の区長から血相を変えた電話が飛び込んできた。

『……た、高見課長! 大変です! ウチの若い保線員や運転士たちが、仕事終わりに国労の連中に取り囲まれて、頻繁に飲みに連れ回されています!』

「……なんだと!?」

『……昨日なんか、一部の若い連中が「俺たちの労働環境は搾取されている! 会社に抗議すべきだ!」なんて言い出して……。このままじゃ、相鉄の現場が国労の思想に飲み込まれて、ストライキを起こしかねません!!』

 高見は絶句した。

 完璧に整備されたレールも、美しいアルミ車両も、それを動かす「人間(現場)」が腐ってしまえば、ただの鉄の塊に過ぎない。

 インフラの戦争は終わった。

 だが、昭和鉄道史の最も泥沼の戦い――**「労働組合の思想戦」**という最悪の毒牙が、相鉄の足元に深く食い込もうとしていた。

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