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第93話 帝国の逆襲 ~重厚なる特急の暴力と、悲鳴を上げるレール~

 昭和52年(1977年)、秋。

 相模鉄道の南下、そして「標準軌化」による京急線への完全直通ネットワーク。

 乗り換えなしで品川・都心へと直結し、冷房の効いた軽量アルミ車体で快適に滑る「私鉄の流儀」は、瞬く間に鎌倉・湘南エリアの客を奪い去った。

 しかし、長年この地を支配してきた**「絶対王者(国鉄)」**は、ついにその重い腰を上げた。

        * * *

 【日本国有鉄道・東京南鉄道管理局】

「……相鉄から京急への直通だと? 確かに厄介なネットワークだ」

 管理局の幹部は、報告書を睨みつけながら葉巻の煙を吐き出した。

「……だが、所詮は『通勤電車』の延長線に過ぎん。奴らのアルミ車がいかに涼しかろうと、横並びのロングシートだ。……我が国鉄には、首都のド真ん中『東京駅・丸の内』の地下深くへ、客を王様のように座らせたまま運び込む力がある」

 幹部は、分厚いダイヤグラムの束をバンッと叩いた。

「……特急とグリーン車を大増発しろ! 鎌倉・湘南の客に、私鉄の通勤電車と、国鉄の『特急型車両ステータス』の格の違いを骨髄まで叩き込んでやれ!!」

        * * *

 【相鉄ターミナル・ホーム】

 「……五代さん。……客が、一気に引き潮のように消えました……」

 高見恭平(相鉄)は、ガラガラのホームで頭を抱えていた。

 完璧な直通ダイヤ。無音で滑る美しいアルミ車体。しかし、客の波は再び「あの泥まみれの国鉄」へと戻ってしまっていた。

「……無理もありません。……国鉄が、東京駅直結の『特急』や、グリーン車を連ねた豪華な快速を、通勤時間帯にバンバン走らせ始めたんです。……しかも、座席はフカフカのリクライニングシートで……」

 高見の声には、圧倒的な資本力を前にした絶望が滲んでいた。

「……我々相鉄と京急の直通ルートがいくら速くて快適でも、客は『座席のステータスと怠惰』を選んだんです。……金さえ払えば、東京のど真ん中まで確実に座って、ふんぞり返って寝て行ける『特急の暴力』。……通勤電車では、あの豪華な鉄の塊には勝てません……!!」

 地方私鉄が国家規模の巨大インフラと車両資産に挑むことの無謀さを、高見は痛感していた。

        * * *

 しかし、五代の表情には一切の焦りがなかった。

 彼は相鉄のガラガラのホームから、遠く離れた国鉄の線路の方角を、冷酷な観察者のような目で見つめていた。

「……五代さん? どうして笑っているんですか……。我々の直通ネットワークは、特急の豪華さに敗れたんですよ?」

「……敗北? 冗談を言うな」

 五代は、ステッキでコンクリートの床をコツンと叩いた。

「……高見。国鉄は今、相鉄を潰すために『特急型車両』や『グリーン車』を過密ダイヤで走らせていると言ったな?」

「……ええ。上の連中が強引に重厚な車両を詰め込んでいるそうです」

「……馬鹿な奴らだ」

 五代の目が、獲物を狙う鷹のように鋭く細められた。

「……あいつらは、保線の基本である**『軸重じくじゅう』**を完全に無視している。……我々相鉄のアルミ車体は軽いが、国鉄の特急型車両は、巨大な台車を履いた超重量級の『鋼鉄の塊』だぞ?」

 高見は、長年レールと向き合ってきた保線屋として、その言葉の恐ろしい意味に気づき、ハッと息を呑んだ。

「……あの、泥噴きだらけでバラストが死んでいる国鉄の線路に……そんな重い特急を、過密ダイヤで高速で突っ込ませているんですか……!?」

「……そうだ。インフラの限界を超えた力技は、必ず自らの肉体を破壊する。……重厚な特急が満員の客を乗せてカーブに突っ込むたびにかかる、強烈な**『横圧』**。……腐朽した木枕木に刺さった緩い犬釘スパイクが、いつまでもそれに耐えられると思うか?」

「……抜ける……! そして、レールが外側に開いていく……**『軌間拡大ゲージズレ』**が起きる……!!」

 高見は戦慄した。それは鉄道員にとって、最も恐るべき大事故へのカウントダウンだ。

「……そうだ。国鉄は、我々を潰すために振り回した『特急という巨大なハンマー』で、自分たちの足場を限界まで叩き割っているのだ」

 五代は、不気味な笑みを浮かべて宣言した。

「……客を取られたなら、しばらく国鉄にくれてやれ。……せいぜいあの重い鉄の塊に、レールを痛めつけてもらうんだ。……傲慢な王者が自らの重みで崩れ落ちる『その時』は、確実に近づいている」

 昭和52年、秋。

 国鉄の圧倒的な特急車両の暴力の前に、私鉄陣営は一度蹂躙された。

 しかしそれは、絶対王者が自らの足元を破壊し、最悪の惨劇へと向かう「死の行軍」の始まりに過ぎなかった。

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