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第92話 私鉄の流儀 ~静寂のアルミ車体と、冷風のオアシス~

 昭和52年(1977年)、猛暑の夏。

 相模鉄道・いずみ野線の南下により誕生した、鎌倉・湘南エリアの新たなターミナル駅。

 その駅前広場に降り立った地元住民たちは、まるで別世界に迷い込んだかのように目を白黒させていた。

「……なんだこの駅は。ゴミ一つ落ちてないぞ……」

 国鉄の駅といえば、薄暗く、タバコの吸い殻が散乱し、トイレからは鼻をつく異臭が漂うのが「常識」だった時代。

 しかし、相鉄の真新しい駅舎はピカピカに磨き上げられ、自然光を取り入れたコンコースは広々と明るい。

 改札に立つ制服姿の駅員たちは、国鉄の「順法闘争ストライキ」でふんぞり返っている組合員とは違い、背筋を伸ばし、乗客一人ひとりに「おはようございます」「いってらっしゃいませ」と頭を下げていた。

「……信じられない。駅員が、客に挨拶してる……」

 長年、国鉄の横柄な態度に耐え忍んできた住民にとって、それはカルチャーショックとも言える光景だった。

        * * *

 【相鉄ターミナル・ホーム】

 五代と高見(相鉄)は、ホームの端からその様子を見つめていた。

「……五代さん。接客指導は徹底しました。……ですが、我々の真の武器サービスは、これからです」

 高見が誇らしげに言う。

 ホームに音もなく滑り込んできたのは、銀色に輝く相鉄の最新鋭車両。

 当時の国鉄の重苦しい鋼鉄製とは違う、軽量で美しい**「アルミ車体」**だ。

 プシュゥゥ……とドアが開き、乗客が車内に足を踏み入れた瞬間、感嘆の声が漏れた。

「……涼しい……!! まるで天国だ……!!」

 当時、まだ非冷房が当たり前だった通勤電車において、相鉄は惜しげもなく**「全車冷房完備」**を導入した。

 窓を全開にして熱風と騒音に耐える国鉄とは次元が違う、まさに「冷風のオアシス」だった。

 発車のベルが鳴る。

 スゥーッ……。

 モーターの唸り声も、発車時の「ガコン!」という不快な衝動も一切ない。

 座席に座り、新聞を開いたサラリーマンは、ふと気づいて手を止めた。

「……文字が、ブレない……?」

 彼らがいつも乗っている国鉄・横須賀線は、泥噴き(マッドパンピング)による激しい縦揺れと、保線不良による横揺れで、文字を読むことすら困難だった。

 しかし、相鉄の電車は、まるで氷の上を滑るように静かだった。

「……最新のロングレールと、PCコンクリート枕木。……そして我が相鉄保線区が誇る、ミリ単位の『通り(直線)』と『水準(水平)』の狂いも許さない、完璧な突き固めです」

 高見は、足元のバラストを指差した。

「……線路は敷いて終わりじゃない。毎日泥にまみれて『育てる』ものだ。……その保線屋の矜持が、この『無音と無振動の空間』を作っている」

 五代は満足げに頷いた。

「……ハード(インフラ)とソフト(接客)。……これぞ『私鉄の流儀』だ。国鉄の泥まみれの鉄箱に慣れきっていた客の骨髄に、本当の鉄道の姿を叩き込んでやれ」

        * * *

 さらに相鉄の攻勢は、鉄道だけにとどまらなかった。

 駅前の巨大なロータリーには、海老名で小田急から寝返らせた**「神奈中バス」と、自社の「相鉄バス」**が、電車の到着ダイヤと“秒単位”で同期して待ち構えていた。

 駅からバスへ、待ち時間ゼロ。

 雨に濡れることもなく、涼しい電車から涼しいバスへと乗り継ぎ、自宅の近くまで送り届けられる。

 それは、駅から遠く離れた住宅街に住む住民たちにとって「革命」だった。

        * * *

 【一ヶ月後・国鉄 鎌倉駅 駅長室】

「……な、なんだこの数字は……!?」

 国鉄の鎌倉駅長は、叩きつけられた月次報告書を見て絶句した。

「……定期券の更新率が、前月比で3割も落ちているだと……!? み、みんなどこへ行ったんだ!」

「……えきちょー。……みんな、相鉄の新しい駅に流れてますよ」

 組合の腕章をつけた職員が、面倒くさそうに鼻をほじりながら答えた。

「……あっちの電車はクーラーがビンビンに効いてて、駅員もニコニコしてて、おまけに揺れねえんだとさ。……ウチの泥だらけのボロ電車なんざ、誰も乗りたがらねえってことですよ」

「……馬鹿な……。たかが地方の私鉄に、天下の国鉄が客を奪われるなど……!!」

 駅長は、青ざめた顔で東京の「南鉄道管理局」へと震える手でダイヤルを回した。

 完璧なインフラとサービスという「相鉄の刃」が、ついに巨大な帝国の喉元を深々と切り裂いた瞬間だった。

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