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第90話 古狸の反逆 ~切り捨てられたダイヤグラム~

 昭和52年(1977年)、初夏。

 江ノ島電鉄・本社(江ノ島駅隣接)。

 その日は、朝から怒号が飛び交っていた。

「……ふざけるな! 電車のせいで道が塞がって、救急車も通れねえんだぞ!!」

「……うちの婆さんが、開かずの勝手踏切のせいで病院に行けないんだ! どうしてくれる!」

「……家が揺れてノイローゼになりそうだ! 昔の静かな江ノ電を返せ!!」

 押し寄せた沿線住民と観光業者たちを前に、江ノ電の役員と駅員たちは平謝りするしかなかった。

 そこへ、黒塗りの車に乗って現れたのが、小田急の冷将・御子柴だった。

「……騒ぐな。……これは鎌倉が『近代都市』へ生まれ変わるための産みの苦しみだ。……ダイヤ通りに電車を走らせろ。止めるな」

 御子柴は、冷徹に江ノ電の現場監督に命じた。

「……輸送力を落とせば、相鉄(外敵)に付け入る隙を与える。……住民の苦情など、いずれ慣れる」

 その言葉を聞いた瞬間だった。

 ずっと頭を下げていた、白髪交じりの江ノ電の老運転士(現場の長)が、バンッ! と机を叩いた。

「……ふざけんじゃねえぞ、小田急のエリート気取りが!!」

        * * *

 老運転士は、御子柴の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。

「……俺たちはなぁ! 新宿や町田を走る『通勤電車』じゃねえんだ! ……住民の家の軒先をかすめ、勝手踏切で婆さんが渡るのを待ってやり、海を見ながらゴトゴト走るのが江ノ電なんだよ!!」

「……貴様、親会社に向かって……!」

「……親会社が何だ! あんたの作ったこの『5分間隔のダイヤ』が、俺たちの愛する街を壊してるんだ!!」

 老運転士は、壁に貼られていた真新しいダイヤグラムを引き剥がし、御子柴の目の前でビリビリに破り捨てた。

「……もう限界だ。……こんな殺伐とした電車、俺たちは運転したくねえ。……今日から、昔の『12分間隔の2両編成』に戻す。……文句があるならクビにしろ!!」

「……そうだ! 昔の江ノ電に戻せ!!」

「……小田急は鎌倉から出て行け!!」

 住民たちも一斉に声を上げた。

 現場の「古狸たち」と、地元住民が完全に一体となった瞬間だった。

 完璧な論理で構築されたはずの御子柴の「緑の盾」は、人間の感情と地元愛という、計算外の熱量によって内側から粉々に吹き飛んだのだ。

        * * *

 その様子を、少し離れた喫茶店の窓から、五代と高見(相鉄)が見つめていた。

「……終わったな。……小田急の傀儡政権は崩壊だ」

 五代は、コーヒーを飲み干した。

「……五代さん。……江ノ電は元の『遅いローカル線』に戻ります。……これで、我々相鉄の『新しい鉄道とバス』の必要性が、再び鎌倉に証明されたことになりますね」

「……ああ。……御子柴は『景観』という盾を使ったが、その盾を重くしすぎて自滅した。……江ノ電はもう、我々の敵ではない。……ただの『愛すべき観光電車』だ」

 五代は立ち上がり、窓の外の青い空を見上げた。

「……さあ、小細工シールドは消え失せた。……いよいよ本番だ、高見。……鎌倉の表玄関を牛耳る圧倒的武力。……**『ボス・国鉄(横須賀線)』**を狩りに行くぞ」

 昭和52年、夏。

 江ノ電は自らの意志で「近代化」を捨て、街の平穏を取り戻した。

 そして相鉄は、鎌倉編の最大の障壁である「国鉄」との正面衝突へと歩みを進める。

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