第89話 腰越のデッドロック ~路上の大渋滞と、絡み合う鉄と鉄~
昭和52年(1977年)、ゴールデンウィーク。
小田急の御子柴が強行した「江ノ電・近代化ダイヤ(5分間隔・大型4両編成)」が、初めて迎える大型連休。
鎌倉・湘南エリアは、かつてない異常事態に陥っていた。
プァァァァァァァーッ!!!
「どけ! どかんか!! 電車が通れないだろうが!!」
江ノ島駅と腰越駅の間。
江ノ電が一般道路の真ん中を走る「併用軌道」区間で、運転士が窓から顔を出して絶叫していた。
しかし、目の前に広がるのは、見渡す限りの**「車の海」**だった。
* * *
「……見ろ、高見。……見事な『血栓』だ」
歩道橋の上から、五代と高見(相鉄)はその地獄絵図を見下ろしていた。
「……五代さん、これ……電車も車も、完全に1ミリも動いていませんよ……!」
原因は明白だった。
連休で押し寄せた観光客のマイカーと、御子柴が「輸送力増強」のために増やしまくった江ノ電の大型車両。
細い路地しかない腰越の街で、5分間隔でやってくる巨大な電車が、交差点という交差点を塞いでしまったのだ。
「……車が踏切を渡ろうとしても、すぐに次の電車が来て遮断機が下りる。……踏切待ちの車が国道134号線まで溢れ出し、大渋滞を引き起こす。……そして、その渋滞した車が、今度は併用軌道の上に立ち往生して、江ノ電の行く手を塞ぐ」
五代は、タクトを振るうようにステッキを動かした。
「……電車が車を止め、車が電車を止める。……終わりのない『デッドロック(膠着状態)』だ。……御子柴が持ち込んだ大都会の論理(高頻度・大量輸送)が、中世から変わらない鎌倉の細い道路網を完全に麻痺させたのだ」
* * *
路上では、苛立ったドライバーたちがクラクションを鳴らし続け、江ノ電の乗客たちは「いつになったら動くんだ!」と車掌に詰め寄っている。
観光地としての機能は完全に停止していた。
「……御子柴の誤算はそこだ」
五代は、冷ややかに笑った。
「……あいつは『線路の上』の計算しかしていなかった。……だが、鉄道は街という『環境』の一部に過ぎない。……江ノ電のようなローカル線が、街のキャパシティ(受容力)を超えて肥大化すれば、自らを殺す凶器になる」
「……これじゃ、江ノ電は観光の足どころか、街の『大動脈瘤』ですね……。……住民の怒りも限界に達するはずだ」
高見の言葉通り、沿線の家々からは、騒音と排気ガス、そして一歩も外に出られない状況に激怒した住民たちが、次々と外に飛び出してきていた。
「……さあ、御子柴。……お前が盾にした『愛される江ノ電』は、今や住民と観光客、双方から憎悪の的だ。……この暴走した怪物を、どうやって止めるつもりだ?」
昭和52年、初夏。
小田急の莫大な資金による近代化は、江ノ電と鎌倉の街を、文字通り「物理的」に破壊し尽くした。
そして、この怒りの矛先は、ついに江ノ電の現場(古狸たち)へと向かうことになる。




