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第88話 悲鳴を上げる軒先 ~小田急の猛進と、牙を剥く近代化~

 昭和52年(1977年)、春。

 小田急の冷将・御子柴による莫大な資金投入の結果、江ノ電の「近代化工事」は驚異的なスピードで完了した。

 細かったレールは新幹線の待避線にも使われるような重厚な50kgレールに交換され、木の枕木は頑丈なコンクリート製(PC枕木)へ。

 そして迎えた、春のダイヤ改正。

 御子柴は、親会社である小田急の論理を、そのまま江ノ電に持ち込んだ。

『朝夕ラッシュ時は最短5分間隔! 全列車を大型車両の4両編成で運行!』

「……これで完璧です。……相鉄の出る幕など、どこにもない」

 御子柴は、真新しいダイヤグラムを見ながら冷笑した。

 計算上、これで江ノ電の輸送力は一気に倍増し、鎌倉の通勤・観光需要を完全に満たせるはずだった。

 しかし、それはあくまで**「机上の空論」**であった。

        * * *

 【江ノ島電鉄・長谷駅付近】

 ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!

「……ひぃっ!?」

 沿線に住む主婦は、台所で思わずしゃがみ込んだ。

 棚の上の茶碗が激しく音を立ててぶつかり合い、窓ガラスが割れんばかりにビリビリと震えている。

 家の壁からわずか数十センチの場所を、満員の乗客を乗せた重い4両編成の電車が、かつてないスピードで駆け抜けていった。

「……地震かと思った……。……な、なんなのよ最近の江ノ電は……!」

 原因は「コンクリート枕木」と「重いレール」だった。

 昔の木の枕木と軽いレールは、良くも悪くもサスペンションのようにしなり、振動を吸収していた。

 しかし、頑丈すぎる近代的な軌道は、重い電車の振動を吸収せず、そのままダイレクトに軟弱な鎌倉の地盤へと伝え、密集する古い木造家屋を激しく揺さぶるようになったのだ。

        * * *

「……ああっ! また電車が来た!! ゴミ出しに行けないじゃないか!!」

 別の民家では、老人が玄関先で立ち往生していた。

 彼の家の目の前には、玄関からそのまま線路を渡って道路に出る**「勝手踏切(非公認の通路)」**がある。

 昔は「電車が来ない隙」を見てのんびりと渡っていた。

 だが今は違う。

 朝のラッシュ時、上り電車が通り過ぎたと思ったら、すぐ裏から下り電車がやってくる。ひっきりなしに続く重い鉄の塊。

 事実上の**「開かずの勝手踏切」**だ。

 住民たちは、自分の家から一歩も外に出られないという、軟禁状態に陥っていた。

        * * *

 【極楽寺付近の高台】

 その惨状を、五代と高見(相鉄)は見下ろしていた。

「……五代さん。……酷い有様ですね。……街中から、電車の走行音と、家が軋む音が聞こえてきます」

「……言っただろう、高見。……小田急(御子柴)は『数字』しか見ていないとな。……あの男は、江ノ電を新宿の満員電車(小田急線)と同じように扱っている」

 五代は、ひっきりなしにすれ違う緑色の電車を指差した。

「……江ノ電は、鎌倉の『箱庭』のような環境に最適化されて進化してきたガラパゴスだ。……そこに、近代的な大出力の心臓を無理やり移植すれば、どうなるか」

「……血管(街)が破裂する……」

「……そうだ。……景観を守るために相鉄を追い出した住民たちが、今度は自分たちが守った『緑の盾』の重圧に押し潰されている。……皮肉なものだな」

 五代は、満足そうにステッキで地面を叩いた。

「……だが、本当の地獄はこれからだ。……鎌倉の街中だけではない。……次は、藤沢側の**『海沿いの道路』**が完全に麻痺するぞ」

 昭和52年、春。

 小田急が強行した「愛なき近代化」は、江ノ電の沿線住民の平穏な生活を、騒音と振動で容赦なく破壊し始めていた。

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