第6話 赤い悪魔の産声と、国鉄への宣戦布告
昭和39年(1964年)。
東京オリンピックの開催を数ヶ月後に控えた日本は、沸き立っていた。
国鉄は、夢の超特急「新幹線」の開業準備に追われ、世間は高速鉄道の時代を予感していた。
そんな中、横浜・金沢文庫の車両工場から、一台の異様な電車がロールアウトしようとしていた。
「……派手だな」
集まった作業員たちが、口々に呟く。
塗装は、目の覚めるようなバーミリオン・レッド。窓周りには鮮やかな白帯。
従来の京急(地味な緑や茶色)とは似ても似つかない。
そして何より、デカい。
全長18メートルが常識だった京急線において、この20メートル級・3扉の巨体は、圧迫感すら与えていた。
形式名、デハ2000形(初代・改)。
俺と加賀谷が作り上げた、昭和のオーパーツだ。
「専務、いよいよですね」
加賀谷が、油のついたウエスで手を拭いながら隣に立った。
「インバータの調整は完璧です。アクティブサスの感度も最高。……あとは、走らせるだけだ」
「ああ。……見せてやろうぜ、俺たちの『未来』を」
俺は運転士に合図を送った。
パンタグラフが上がり、架線から高圧電流が流れ込む。
次の瞬間。
静寂の工場内に、その「歌声」が響き渡った。
『ファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ……♪』
美しい音階と共に、巨体が滑らかに動き出す。
周囲の役員や作業員たちが、腰を抜かさんばかりに驚いた。
「な、なんだこの音は!?」
「電車が歌っているぞ!」
「モーターが唸らない! 吊り掛け音がしない!」
VVVFインバータ制御。
電圧と周波数を自在に操るこのシステムは、従来の抵抗制御とは次元が違う。
熱も出さず、衝撃もなく、ただ氷の上を滑るように加速していく。
「すごい……。なんだこれは……」
懐疑的だった大原社長も、口を開けて見上げていた。
「五代。これが、お前の言っていた『世界標準』か」
「はい。ですが社長、驚くのはまだ早いです」
俺はニヤリと笑った。
「こいつの真価は、本線に出してからです」
* * *
数日後。深夜の試運転。
舞台は、横浜〜品川間の直線区間(生麦付近)。
隣には、並走する国鉄東海道線の線路がある。
偶然にも、向こうには夜行急行の試験運転車両(153系)が走っていた。
「ターゲット確認。……国鉄の誇る『東海型』ですね」
運転台の後ろで、加賀谷が速度計を睨む。
現在の速度は80km/h。並走する国鉄も同じくらいだ。
向こうの運転士が、こちらの赤い車体に気づき、驚いた顔をしているのが見える。
「抜かせ」
俺は短く命じた。
「了解。……ノッチ・フル!」
運転士がマスコンを奥まで倒した。
『キュイイイイイーン……!』
インバータが高周波音を奏でる。
同時に、強烈なGが身体をシートに押し付けた。
80……100……110……120km/h!
あっという間だった。
国鉄の急行電車が、まるで止まっているかのように後ろへ飛び去っていく。
窓の外の景色が、線になって流れる。
「は、速い! なんだこの加速は!」
運転士が震える声で叫ぶ。
「揺れません! 120キロ出してるのに、コーヒーがこぼれない!」
アクティブサスが、レールの微細な狂いを感知し、車体をフラットに保っているのだ。
吊り掛け車なら分解しそうな速度域でも、このデハ2000形は静寂を保ったまま疾走する。
「……記録、130km/h到達」
加賀谷がストップウォッチを押した。
「余裕ですね。理論上は160までいけます」
「今日はここまでにしておけ。……国鉄の連中、腰を抜かしただろうな」
俺は窓の外、遥か後方に置き去りにしたオレンジ色の光を見た。
これで証明された。
京急はもはや「路面電車の親玉」ではない。
国内最速の「弾丸列車」へと進化したのだ。
* * *
翌朝。
京急本社には、問い合わせの電話が殺到していた。
「昨夜、赤い火の玉のような電車を見た」
「凄まじい音階を奏でて走る幽霊電車が出る」
そして、国鉄本社からも探りの電話が入ったらしい。
『御社は、一体何を開発しているのですか?』と。
役員会議室で、大原社長は満面の笑みを浮かべていた。
「愉快だ! あの国鉄が、我々を警戒しているぞ!」
俺は地図を広げた。
武器は完成した。次は戦場を広げる番だ。
「社長。車両は出来ました。……次は『線路』です」
俺は横浜駅の西側、相鉄線のエリアを指差した。
「相鉄の買収工作を本格化させます。……あそこを『標準軌』に書き換えて、この赤い悪魔を流し込む」
「しかし五代くん、相鉄の連中は頑固だぞ? 首を縦に振るかな」
「振らせますよ」
俺は冷徹に言った。
「向こうは、国鉄への乗り入れを夢見ている。……その夢を、政治力で叩き潰す。逃げ道を塞いでから、手を差し伸べるんです」
これぞ、大人の喧嘩だ。
技術で殴り、政治で絞める。
大京急帝国への第一歩、**「相鉄併合・改軌計画」**が始動する。




