第58話 Xデー(改軌の夜) ~泥まみれの握手~
昭和40年(1965年)、某月某日。
相模鉄道にとって、運命の夜が訪れた。
終電後、始発までのわずか数時間で、横浜駅から海老名駅までの全線のレール幅を、1067mm(狭軌)から**1435mm(標準軌)**へと広げる「一斉改軌工事」だ。
豪雨が叩きつける横浜駅西口。
カッパを着た何百人もの保線員たちが、怒号を上げて走り回っている。
「おい! 3番線のポイントが動かねえぞ!」
「バラスト(砂利)が流れてる! ジャッキが沈んで上がらねえ!」
現場指揮を執る高見恭平は、泥水に足を突っ込みながら絶叫していた。
「泣き言を言うな! 始発を遅らせたら相鉄の恥だぞ!
意地でも広げろ! 1ミリの狂いも許さん!」
だが、トラブルは連鎖した。
肝心の「京急との接続点(横浜駅地下)」で、レールの接合部が合わないという致命的なミスが発覚したのだ。
「課長! 無理です! 寸法が違います!
京急側の図面と合っていません!」
「なっ……!?」
高見が現場へ走る。
確かに、数センチのズレがある。これを修正するには、一度敷いたレールを全部剥がさなければならない。
時間はもうない。
(……終わったか。
五代の野郎に、「やっぱり砂利屋には無理だったな」と笑われるのか)
絶望が頭をよぎったその時――。
「退け、高見」
背後から低い声がした。
振り返ると、そこには作業着姿の五代が立っていた。
高級スーツではない。油と泥にまみれた、京急の保線作業服だ。
手には、巨大なバール(鉄梃子)を握っている。
「ご、五代……!? なぜここに……」
「自分の会社の線路だ。見に来て悪いか」
五代は、ズレている接合部を一瞥すると、ニヤリと笑った。
「……計算通りにいかないのが現場だろ?
図面なんぞ捨てろ。
現物合わせで叩き込むぞ」
五代はバールをレールの隙間に突き刺した。
「おい、加賀谷! 反対側を持て!
相鉄の連中もだ! ぼーっとしてる暇があったら手を貸せ!」
五代の気迫に押され、相鉄の作業員たちが慌てて集まる。
「せーの、オラァッ!!」
五代の掛け声とともに、男たちが渾身の力でレールをこじ開ける。
火花が散り、鉄と鉄が軋む音が響く。
泥水が五代の顔にかかるが、彼は瞬きひとつしない。
高見は呆然と見ていた。
(……こいつ、オーナーじゃなかったのか?
なんでこんな……俺たちと同じ顔をしてやがるんだ)
「……高見! 何してる!
お前が号令をかけろ! ここは相鉄の現場だろ!」
五代の怒声に、高見は我に返った。
そうだ。ここは俺の城だ。
「……おうよ!
全員、腰を入れろ! 社長の首が飛んでもレールは繋ぐぞ!!
1、2、3、押せぇぇぇッ!!」
* * *
午前4時30分。
雨が上がり、東の空が白み始めた頃。
全てのレールは繋がり、美しく広がった1435mm(標準軌)の軌道が、朝日に輝いていた。
泥だらけになった五代と高見は、線路脇に座り込んでいた。
「……間に合ったな」
五代が、缶コーヒーを高見に投げる。
「ああ。……あんたのおかげだ」
高見は素直に認めた。
この男がいなければ、今頃始発は止まっていただろう。
「……見直したぜ、五代専務。
あんたはただの『金持ちの侵略者』だと思ってたが……。
中身は、俺たちと同じ『鉄道屋』だったんだな」
五代は笑って空を見上げた。まだ成田も羽田も繋がっていない、昭和40年の空だ。
「俺は結果が欲しいだけだ。
……だが、相鉄の現場力、しかと見せてもらった。
これなら、この標準軌を使いこなせるだろう」
五代は立ち上がり、高見に手を差し出した。
その手は泥と油で真っ黒だった。
「高見。
空(羽田・成田)と速度(140km/h)は、俺が京急で必ず完成させてみせる。
……だが、この**『神奈川の陸(中身)』は、お前らの島**だ」
高見はハッとした。
「島」。
それは、「俺はこれ以上、内陸には手を出さない。ここから先はお前の領分だ」という不可侵条約であり、信頼の証だった。
高見は、その手を力強く握り返した。
「……分かった。
この広いレールを使って、この島(相鉄沿線)を最強の私鉄にしてやる。
小田急も東急も、全部まとめて食い散らかしてやるよ」
「頼もしいな。
……行け、青い狼。
今日からここが、お前の戦場だ」
五代は背を向け、朝霧の中へと消えていった。
バトンは渡された。
高見は、真新しい標準軌の上を滑るように入線してきた、相鉄の新型車両(標準軌仕様)を見上げた。
そのボディは、京急の赤ではなく、深いネイビーブルーに輝いていた。
(……見ていろ五代。
いつかあんたを追い抜いて、この神奈川の覇者になってやる)
相鉄攻略・完了。
そして物語は、高見恭平による**「相鉄・天下統一編」**へと突入する。
まずは手始めに、社内に巣食う「獅子身中の虫」……腐った役員たちの粛清からだ。
次回、第59話。
「内部粛清の嵐 ~腐ったミカンを排除せよ~」。
標準軌化を成功させ、社内での発言力を高めた高見。
だが、旧態依然とした役員たちは、彼を「五代の手先」と呼び、失脚させようと画策する。
高見の冷徹な反撃が始まる。
(^q^)




