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第57話 屈辱の軍門と、標準軌への突貫工事

 昭和39年(1964年)、秋。

 相鉄が京急の事実上の傘下に入って数ヶ月。

 現場は、かつてない緊張感に包まれていた。

 深夜の保線基地。

 冷たい雨が降りしきる中、高見恭平は泥だらけの作業着で、図面を睨みつけていた。

「……クソッ。

 五代の野郎、簡単に言ってくれる」

 彼に課せられた命令は**「相鉄全線の改軌(ゲージ変更)」。

 日本の鉄道の標準である狭軌(1067mm)から、京急と同じ標準軌(1435mm)**へ広げるという、前代未聞の大工事だ。

 しかも、期限はオリンピック閉幕後すぐ。正気の沙汰ではない。

「おい高見! 資材が足りねえぞ! 京急からの搬入はどうなってる!」

 現場の班長が怒鳴る。

「今確認する! ……ったく、指図するだけのオーナー気取りかよ」

 高見は舌打ちをした。

 悔しいが、今の相鉄は五代の支配下だ。

 だが、現場を預かる身として、不完全な工事で事故を起こすことだけは絶対に許せない。

 それが、砂利屋として生きてきた彼の最後のプライドだった。

 その時、暗闇の中から黒塗りの車が現れた。

 降りてきたのは、傘も差さずに歩いてくる五代と、京急の技術部長・加賀谷だ。

「……進んでいるか、高見」

 五代が、まるで自分の庭のように現場を見渡す。

「見ての通りです。雨で遅れている。

 ……あんたが無理なスケジュールを引くからだ」

 高見は、五代を睨みつけながら、淡々と答えた。

「言い訳はいい。

 ……加賀谷。機材を回せ」

 五代の指示で、京急のトラックから見たこともない新型の保線機械が降ろされた。

 さらに、加賀谷が広げた図面には、相鉄の技術者たちが思いもつかないような効率的な工法が記されていた。

「……なんだこれは」

 高見が息を呑む。

「『マルチプルタイタンパー』の新型だ。これなら雨でも路盤を固められる。

 ……どうだ高見。

 相鉄ウチのツルハシとスコップじゃ、100年かかっても終わらんぞ」

 五代は冷ややかに言い放った。

「悔しかったら、この機材を使いこなしてみろ。

 それとも、使い方が分からなくて泣き言を言うか?」

 高見のこめかみに青筋が立った。

 だが、彼は技術屋だ。

 目の前にある機材と工法が、今の相鉄にとって「喉から手が出るほど欲しい技術」であることは、痛いほど理解できた。

「……ナメるなよ」

 高見は吸っていたタバコを泥水に投げ捨てた。

「おい! お前ら!

 京急さんが『オモチャ』を貸してくれるそうだ!

 使い方が分からねえなんて恥さらすなよ!

 ……意地を見せろ! 朝までに終わらせるぞ!」

 「オウッ!!」

 相鉄の男たちが、京急の機材に群がる。

 彼らは五代を憎んでいる。だが、新しい技術に触れる興奮と、プロとしての意地が体を動かしていた。

 雨の中、高見は鬼神のような形相で指揮を執り続けた。

 五代はそれを、黙って見つめていた。

        * * *

 翌朝。

 雨は上がり、朝日が差し込んでいた。

 予定の区間は、見事に標準軌(1435mm)へと生まれ変わっていた。

 「……終わったか」

 五代が近づいてくる。

 高見は、泥だらけの顔を拭いもせず、冷たく言い放った。

「……勘定は合わせましたよ、オーナー。

 これで文句はないでしょう」

「ああ。見事だ。

 ……やはり俺の目に狂いはなかったな」

 五代はニヤリと笑い、去っていった。

 高見はその後ろ姿を、複雑な表情で見送った。

 (……気に食わん男だ。

 だが……この広いレール(標準軌)。

 これなら、今までとは比べ物にならない速度が出せる)

 高見は、新しく敷かれたレールを靴底で踏みしめた。

 その幅の広さは、相鉄が田舎電車から脱却するための「翼」に見えた。

「……道具としては、悪くない」

 高見は誰に言うでもなく呟き、現場を後にした。

 五代への忠誠心などない。

 あるのは、**「いい仕事をするためなら、悪魔の手でも借りる」**という、プロとしての覚悟だけだった。

 次回、第58話。

 「Xデー(改軌の夜) ~赤と青の和解~」。

 いよいよ全線切り替えの夜。

 相鉄全社員総出の大工事に、予期せぬトラブルが発生する。

 五代も作業服を着て現場に降り立つ時、高見の中で何かが変わる。

 真の「和解(共闘)」への第一歩。

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