第55話 【新章】黒船来航 ~赤い侵略者と砂利の城~
お待たせしました。
昭和39年(1964年)、8月。
東京オリンピックの開幕を2ヶ月後に控え、日本中が熱狂の渦にあった夏。
だが、ここ横浜駅西口には、そんな華やかさは微塵もなかった。
あるのは、砂埃と、油の匂いと、建設現場の轟音だけだ。
相模鉄道(相鉄)本社、企画課。
窓を開ければ、相模川から運ばれてきた砂利の山が見える。
この鉄道は、戦中から続く「砂利運び」が主業の、垢抜けない田舎電車だった。
「……ぬるい。ぬるすぎる」
企画課長・**高見恭平(32歳)**は、古びた扇風機が回るオフィスで、苛立ちを隠せずにいた。
机の上には、西口の再開発計画図(後のダイヤモンド地下街・ジョイナス)が広げられている。
「おい高見。またそんな夢みたいな図面を引いているのか?」
隣の席の古参課長が、あくびをしながら声をかけてくる。
「夢じゃありません。
横浜駅の乗降客数は爆発的に増えています。
砂利なんて運んでる場合じゃない。駅ビルを建て、沿線を宅地化し、都心へ直通する『都市型鉄道』に変わらなきゃ、相鉄に未来はないんです!」
「へっ、意識が高いねえ。
うちは砂利と、たまに乗る百姓を運んでりゃ安泰なんだよ。
……だいたい、東京へ行きたきゃ国鉄か東急に乗ればいい。ウチは横浜の片隅で細々とやってりゃいいのさ」
高見は唇を噛んだ。
これだ。この**「事なかれ主義」**。
役員から平社員まで、相鉄の社内には「どうせウチは田舎電車だ」という諦めと、変化を嫌う腐敗臭が充満している。
(……変えてやる。俺が役員になって、この会社を叩き直してやる)
その時だった。
総務部のドアが乱暴に開かれ、顔面蒼白の重役が飛び込んできた。
「た、大変だ!
買収だ! 乗っ取りだぞ!!」
オフィスの空気が凍りついた。
「な、何があったんですか専務!」
「き、京急だ……!
あの京浜急行が、市場に出回っている相鉄株を買い漁っている!
すでに発行済み株式の**15%**を取得……いや、まだ増え続けている!
このままじゃ、筆頭株主になっちまうぞ!!」
「京急だと……!?」
高見は立ち上がった。
京急といえば、海沿いを走る赤い電車。
最近、やたらとスピードを上げたり、地下鉄に乗り入れたりと、派手な動きをしている「隣の国」だ。
その京急が、なぜこんな地味な「砂利屋」を?
その疑問が解ける間もなく、本社ビルの前に黒塗りのハイヤーが横付けされた。
降りてきたのは、仕立ての良いスーツを着た、不敵な笑みを浮かべる男。
まだ若いが、その全身からは隠しきれない**「覇気」**が立ち昇っている。
京浜急行電鉄・専務取締役、五代。
高見は窓からその男を見下ろした。
(……あいつが、噂の五代か)
* * *
【相鉄本社・大会議室】
緊急招集された相鉄役員たちが、震えながら席に着いている。
上座には、招かれざる客・五代が、まるで自分の会社のように堂々と座っていた。
「……単刀直入に申し上げます」
五代の声は、よく通った。
「我々京急は、相模鉄道の発行済み株式の**34%を取得しました。
これにより、株主総会での拒否権を発動できます。
……つまり、事実上の『経営権掌握』**です」
相鉄社長が悲鳴のような声を上げる。
「ご、五代くん! 何が目的だ!
まさか合併か? 京急に吸収するつもりか!?」
「合併? ……フン、興味ありませんね」
五代は冷たく言い放った。
「あなた方の『砂利運び』のノウハウなど欲しくない。
私が欲しいのは……**『線路』**だけです」
五代は、横浜の地図をテーブルに広げた。
そこには、太い赤ペンで、相鉄線と京急線を結ぶラインが引かれていた。
「相鉄の皆さん。
あなた方の線路を、全て**『標準軌(1435mm)』**に改軌し、京急と直通運転をしていただきます。
……我が社の支配下に入り、手足となって働いてもらいます」
役員たちがざわめく。
「ば、馬鹿な! 線路幅を変えるだと!?」
「そんな金どこにある! 我々は狭軌(1067mm)で十分だ!」
「金なら京急が出します。
……拒否権はありませんよ。あなた方はもう、私の『部下』なんですから」
その傲慢すぎる態度に、会議室の隅で聞いていた高見の堪忍袋の緒が切れた。
「……ふざけるな!!」
高見は机を叩き、五代の前に立ちはだかった。
役員たちがギョッとして高見を見る。
「なんだ君は? 誰の許可で発言している!」
「黙ってください社長! 今、会社が乗っ取られようとしてるんですよ!」
高見は、五代を睨みつけた。
(……デカい。座っているのに、見下ろされているようだ)
「……京急の専務さんよ。
あんたがどれだけ偉いか知らんが、相鉄をナメるなよ。
俺たちは砂利屋だ。泥臭い田舎電車だ。
……だがな、横浜の復興を支えてきたのは、あんたらの赤い電車じゃない。俺たちが運んだ砂利と、この街に住む人々の足だ!」
高見は叫んだ。
「支配下だと? 手足になれだと?
ふざけるな!
相鉄は相鉄だ! 誰の指図も受けねえ!
……帰りやがれ、この侵略者!」
一瞬の静寂。
五代は、怒るどころか、面白そうに目を細めた。
「……ほう。
骨のある奴が一人だけいたか」
五代は立ち上がり、高見の目の前まで歩み寄った。
その威圧感に、高見の肌が粟立つ。
「いいだろう。……名前は?」
「企画課長、高見恭平だ!」
「覚えておこう、高見課長。
だが、株主の決定は絶対だ。
……抵抗したければしてみろ。
その『砂利屋のプライド』ごと、俺が買い取ってやる」
五代は不敵な笑みを残し、会議室を去っていった。
残されたのは、腰を抜かした役員たちと、拳を震わせる高見だけだった。
(……やってやる。
株の数で負けていても、現場は俺たちのものだ。
電車を動かしているのは、株券じゃない。人間だ!)
高見は、受話器を掴んだ。
相手は、相鉄社内で最も血の気の多い組織――**「相鉄労働組合」**の委員長だ。
「……俺だ、高見だ。
戦争だ。
……赤い侵略者を、横浜から叩き出すぞ!」
次回、第56話。
「激突! 鉄の結束(労働組合) vs 赤い独裁者」。
相鉄最強の武力装置・労働組合が蜂起する。
ストライキ、サボタージュ、実力行使。
だが、五代はその「抵抗」すらも計算に入れ、恐るべき人心掌握術で切り崩しにかかる。




