第5話 赤きモグラと、20メートルの絶対領域
ドイツ・シーメンス社との技術提携(という名の強引な買収)を成立させ、帰国した俺たちを待っていたのは、羽田空港の生温かい潮風だった。
「……狭いな」
タラップを降りながら、加賀谷が呟いた。
彼が見ているのは、空港の敷地ではない。その向こうを走る、京急空港線の単線だ。
ガタンゴトンと、古びた赤茶色の電車が、体を揺らしながら走っている。
「あれじゃあ、ドイツで設計した『新型モーター』は積めませんね」
加賀谷がため息をつく。
「出力が強すぎて、今の線路じゃ脱線します。それに、車体が小さすぎる。あの巨大なインバータ装置を積むには、床下のスペースが足りない」
「ああ、分かっている」
俺は頷いた。
帰りの機内で、俺たちは一つの結論に達していた。
『標準軌のメリットを活かし、車体長を18メートルから20メートルへ大型化する』
たかが2メートルの差と思うなかれ。
定員は増え、ドアの位置も変わり、床下機器の配置も余裕ができる。
国鉄や他の私鉄(小田急・東武など)は既に20メートル級が主流だ。
だが、京急だけは頑なに18メートルを守っている。……いや、守らざるを得ないのだ。
「トンネルです」
迎えの車の中で、加賀谷が図面を広げた。
「横浜周辺のトンネル、特に『戸部』や『日ノ出町』付近のトンネル断面が狭すぎる。20メートル車がカーブを曲がろうとすると、車体の端が壁に接触します」
いわゆる**「建築限界」**の壁だ。
明治・大正期に掘られた古いトンネルが、京急の成長を阻んでいる。
「なら、広げればいい」
俺は窓の外を見ながら言った。
「簡単に言わないでください。営業中のトンネルですよ? 電車を止めずに広げるなんて、魔法でも使わない限り無理です」
「魔法ならあるさ。……**『カネ』**という名のな」
* * *
翌日、本社・土木部。
ここには、車両技術部とはまた違う、荒くれ者たちが集まっていた。
部長の**権田**は、現場叩き上げの頑固親父だ。ヘルメットを被ったまま、俺を睨みつけている。
「……専務。いま何と言いました?」
「トンネルを広げろと言ったんだ。全線だ」
俺は机に足を投げ出して言った。
「馬鹿を言っちゃいけねえ!」
権田が怒鳴った。
「終電から始発までの3時間しか作業できねえんだぞ! コンクリートが固まる暇もありゃしねえ! 10年はかかるぞ!」
「1年でやれ」
「なっ……!?」
俺はアタッシュケースを開けた。
中には、ドイツで見てきた最新の土木機械のカタログと、港北の土地転がしで得た追加の資金(小切手)が入っている。
「権田部長。あんた、NATM工法を知ってるか?」
「な、なとむ……?」
「オーストリアで開発された最新のトンネル工法だ。ロックボルトと吹き付けコンクリートで、地山自体を固める。……これなら、従来の矢板工法より数倍速く掘れる」
前世の知識だ。日本ではまだ本格導入されていないが、理屈は確立されている。
「それに、これを使え」
俺はカタログの一枚を指差した。
ロードヘッダー(自由断面掘削機)。
先端についた回転カッターで、岩盤をガリガリと削り取る重機だ。
「ドイツから3台輸入した。明日、横浜港に届く」
「はあ!? 相談もなしかよ!」
「相談していたら日が暮れる。……いいか、権田部長。俺は本気だ」
俺は椅子から立ち上がり、権田の顔を覗き込んだ。
「昼間は電車を走らせろ。だが、夜は戦場だ。この『赤いモグラ(ロードヘッダー)』で、古いトンネルの壁を削り取れ。1ミリでも広くしろ。……金ならいくらでも出す」
権田は、俺とカタログを交互に見た。
技術屋としての好奇心と、無茶ぶりへの怒りが天秤にかけている。
だが、最後にはニヤリと笑った。
「……へっ。面白いじゃねえか。新しいオモチャまで買い与えられちゃ、断れねえな」
「話が早くて助かる。……それと、もう一つある」
俺は地図上の、東京と神奈川の県境を指差した。
多摩川にかかる、六郷川橋梁。
「ここも架け替えだ。今の鉄橋じゃ、20メートル車の重みに耐えられないし、台風が来たらすぐ止まる」
「おいおい、あそこは国鉄の橋と並んでる難所だぞ!」
「だからこそだ。国鉄より高く、立派な橋を架ける。……東京への入り口だぞ? 貧相な橋じゃ、神奈川県民が舐められる」
俺は、未来の六郷土手の風景を思い描いていた。
あそこには、トラス橋ではなく、コンクリートの美しいアーチ橋をかける。
台風でもビクともしない、要塞のような橋を。
* * *
数ヶ月後。
京急沿線の夜は、轟音に包まれていた。
最終電車が通り過ぎると同時に、トンネルの中に「赤いモグラ」が侵入する。
ガガガガガッ!!
凄まじい音と共に、明治時代のレンガ壁が削り取られていく。
粉塵が舞う中、作業員たちが即座に速乾性コンクリートを吹き付ける。
始発までの数時間。それは時間との戦いだった。
だが、作業員たちの目は死んでいなかった。
「五代専務が『危険手当』を3倍出したぞ!」
「ドイツ製の機械、すげえパワーだ!」
現場は、かつてない高揚感に包まれていた。カネと最新技術は、人の心を動かすのだ。
一方、車両工場では、加賀谷が試作車の設計に没頭していた。
形式名、デハ2000形(初代・改)。
史実の2000形とは違う。昭和30年代に生まれた、オーパーツのような車両だ。
「……入るぞ、専務」
加賀谷が、削り広がげられたトンネルの断面図と、車両の図面を重ね合わせた。
「クリアランス、片側5センチ。……ギリギリですが、入ります」
加賀谷が図面を見せた。
「駄目だ、加賀谷」
俺は即座に却下した。
「5センチじゃ、横風やカーブの遠心力で車体が傾いたら壁に擦る。万が一、地震が来て揺れたらアウトだ」
「でしょうね。これ以上掘るのは地盤的に限界です」
「なら、揺れを殺せ」
俺は図面の台車部分を指差した。
「空気バネ(エアサス)だ。それも、ただのバネじゃない。**『自動高さ調整弁』と『ヨーダンパ』**を付けろ」
「ダンパ……ですか?」
「そうだ。車体が傾こうとする力を感知して、瞬時に空気を出し入れし、常に車体をトンネルの真ん中に固定する。……いわゆる**『アクティブ・サスペンション』**の走りだ」
加賀谷が呆れたように言った。
「車体制御でクリアランス不足を補うなんて……。狂ってますよ。センサーが壊れたら終わりだ」
「壊さないように作るのがお前の仕事だ。……それに、**『早期地震検知システム(ユレダス)』**も導入する。揺れる前に止めるんだ」
「……分かりましたよ。とことんやってやりましょう」
俺は満足げに頷いた。
これで「血管(線路)」は太くなった。
「心臓」も手に入った。
「体(20メートル車体)」も設計できた。
あとは、走らせるだけだ。
……いや、まだ一つ足りないものがある。
「加賀谷。この電車、何色に塗る?」
当時の京急は、まだ色が統一されていなかった。緑や黄色、茶色が混在していた。
「色? ……速けりゃ何でもいいですが」
「駄目だ。色は重要だ。……ライバルに恐怖を植え付ける色じゃないといけない」
俺はペンキの缶を指差した。
鮮烈な、血のような赤。
バーミリオン・レッド。
それに、窓周りに白帯を巻く。
「赤だ。……見るだけで『速い』と感じさせる、赤一色にする」
「派手すぎませんか? 消防車みたいだ」
「それがいい。……俺たちは、常識という火事を消しに行くんだからな」
こうして、後に「赤い悪魔」と恐れられる京急カラーが、この夜、決定された。
トンネルの中ではモグラが唸り、工場では溶接の火花が散る。
大京急帝国、建国前夜の熱気だった。




