第49話 140km/hの聖域と、昭和の置き土産
昭和62年(1987年)。
国鉄民営化・JR発足の年。
京急本線は、堂々と**「快特120km/h運転」**を開始していた。
かつて「違法だ」と怒られた速度は、今や公式のダイヤとなっていた。
だが、俺(五代)はまだ満足していなかった。
深夜の保線作業現場。
俺は、レール交換を見守る加賀谷に声をかけた。
「……加賀谷。このレール、何キロまで耐えられる?」
「60キロレールに交換済みです。路盤も強化しました。
……140km/hまでなら、物理的に耐えられます」
「よし。なら、いつでも行けるな」
「専務、まさか……まだ上げる気ですか?
120キロでも十分、JRを圧倒してますよ?」
「いいや、足りない」
俺は、走り去るJRの東海道線を睨んだ。
「奴らは巨大だ。いずれ目を覚まし、本気で追いかけてくる。
その時に『追いつかれない距離(速度)』が必要なんだ。
……140km/h。
これが、俺が昭和に残す最後の置き土産だ」
俺は加賀谷の肩を叩いた。
「お上(運輸省)への根回しは済ませた。
『将来的に140キロ出すかもしれないからよろしく』とな。
あとは、お前たち技術屋が『安全』を守り抜くだけだ。
……頼んだぞ」
「……はい!
このレールは、誰にも抜かせません!」
昭和が終わる直前。
京急は、世界でも類を見ない「超高速・通勤電車」としての地位を確立した。
空(羽田・成田)への道と、陸(140km/h)の道。
五代の仕事は、ここで一つの完成を見た。
そして、物語は最後の儀式へ。
次回、第50話。
「【昭和編・完結】赤から青へ」。
140km/h化の祝賀会の夜。
五代は、相鉄・高見恭平に「鍵」を渡す。
それは、横浜駅の地下で眠る、赤と青を繋ぐ**「直通運転のスイッチ」**だった。
いよいよ、相鉄編へ。
いつも130キロ出してる?
何を言ってるかわかりません。




