第44話 貴公子2000形と、北総・限界突破実験
昭和57年(1982年)。
海老取川の地下トンネルが貫通し、いよいよ空港島へのレール敷設が始まろうとしていた。
京急本線では、俺(五代)が強引に進めた130km/h運転が定着し、国鉄の東海道線を「止まっている」かのように抜き去る赤い快特の姿は、もはや沿線の日常となっていた。
だが、俺は満足していなかった。
車両基地に運び込まれた新型車両、2000形を前に、俺は技術部長の加賀谷を呼びつけた。
「加賀谷。……この2000形、本線で140は出るか?」
「……専務。今の130キロでも、保線部からは毎日悲鳴が上がっているんですよ」
加賀谷が苦笑いしながら答える。
「車両の性能としては140km/hを視野に入れています。ですが、問題は空港線です。あそこは延伸しても、運輸省から**『105km/h』**という低い制限を突きつけられています。品格がないだの、三流だのと言われた挙句、速度まで抑えられて……」
俺は鼻で笑った。
「105キロだと? 冗談じゃない。空港アクセスが、そこらのローカル線と同じ速度でどうする」
「ええ、私も同感です。しかし、130キロを超える高速域での安定性や、万が一の際の制動距離……これらを実証データで示さない限り、お上の官僚たちは首を縦に振りません」
「……なら、データを獲りに行くぞ。**北総**だ」
俺は、千葉県の北西部を一直線に貫く**「北総開発鉄道(現・北総鉄道)」**の図面を広げた。
「加賀谷。あそこの線路は、成田新幹線が走るはずだった高規格な路盤だ。日本中のどこを探しても、あんな一直線の高架橋は他にない。……あそこを我々の**『秘密の実験場』**にする」
「北総で、限界テストをやるんですか?」
「そうだ。この2000形をあそこに運び込め。夜な夜な、140、150、160……と速度を上げ、極限の状態を記録しろ。
『新幹線と同じ土俵(北総線)で、京急の車両が160キロでも安定して走れる』。
その事実を、数字で叩きつけるんだ」
俺は、2000形の流線型のボディを叩いた。
「北総で『160キロ』の安全を証明すれば、屈辱的な空港線の105キロ制限なんて、あっさりとひっくり返せる。それどころか、本線の140km/h化への認可も、国は拒めなくなる」
加賀谷の目に、狂気にも似た技術屋の情熱が宿った。
「……なるほど。北総の直線で『最高速の裏付け』を取り、それを本線の高速化にフィードバックする。……専務、面白い。今夜から、北総の荒野で赤い彗星を飛ばしてみせますよ」
昭和57年12月。
2000形が営業運転を開始し、本線で優雅に130km/hを叩き出す裏で。
千葉の北総線では、五代が送り込んだ技術者たちが、計測機器を積み込んだ2000形を使い、未知の領域である**「160km/h実験」**を開始した。
全ては、空港線を解放し、京急を**「本線140km/h」**という新次元へ押し上げるために。
次回、第45話。
実験は成功。だが、今度は空港島に作る駅の「名前」と「位置」を巡り、またしても国との政治闘争が勃発する。
五代が提案したのは、モノレールの客を丸ごと吸い上げる**「禁断の天空橋計画」**だった。




