表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/65

第43話 川底の決死圏(デッドゾーン)

 昭和58年(1983年)。

 羽田空港の沖合展開事業が動き出す中、京急は空港島の手前、海老取川えびとりがわの地下30メートルで、孤独な戦いを続けていた。

 『空港線延伸・シールドトンネル工事』。

 名目は「空港従業員の通勤輸送」。

 だが実態は、運輸省とモノレール派の鼻を明かすための、意地と執念の「殴り込み」だった。

 地下30メートル。

 湿気と熱気が充満する切羽きりは

 俺(五代)は、ヘルメットと作業着姿で、巨大なシールドマシンの前に立っていた。

 

「……どうした! 止まってるぞ!」

 俺が怒鳴ると、現場監督が泥だらけの顔で駆け寄ってきた。

「専務! ……カッターが食い込みません!

 川底の地盤が予想以上に硬いんです。昔の護岸の松杭まつぐいか、戦時中の瓦礫が埋まってるみたいで……」

 ガガガガガッ!!

 マシンが悲鳴を上げる。油圧計の針が危険水域に振れる。

 このまま無理に進めば、シールドマシンの刃が欠ける。そうなれば工事は中止、京急は二度と空港島へ渡れなくなる。

 そこへ、視察と称して「邪魔」をしに来た、運輸省の根津ねづ課長がエレベーターから降りてきた。

 彼はピカピカのヘルメットに、革靴という場違いな格好で、ハンカチで鼻を押さえている。

「オエッ……臭いねえ、ここは。泥と油の臭いだ。

 おい五代くん。進んでないじゃないか」

 根津課長は、止まったマシンを見て嘲笑った。

「言っただろう? 『三流電車』に海底トンネルなんて掘れるわけがないと。

 ……まあいい。工期が遅れたら、許可は取り消しだ。

 大人しく埋め戻して帰りたまえ。空港への客は、綺麗なモノレール様が運んでやるから」

 現場の空気が凍りついた。

 作業員たちが、悔しそうに下を向く。

 彼らもまた、京急沿線の下町で育った男たちだ。「三流」「泥臭い」という言葉に、一番腹を立てているのは彼らだった。

「……帰れだと?」

 俺は、泥水に足を突っ込んだまま、根津を睨みつけた。

「おい、お前ら! 聞いたか!」

 俺は作業員たちに向かって叫んだ。

「お上(運輸省)のエリート様が仰ってるぞ!

 『お前らみたいな泥臭い連中に、空港への道は作れない』とな!

 『どうせ三流なんだから、川の手前で諦めろ』だとよ!」

 作業員たちの目に、怒りの炎が宿る。

 一人のベテラン職人が、巨大なレンチを床に叩きつけた。

「……ふざけんな! 俺たちゃあ、京急に乗って現場に通ってんだ!」

「モノレールなんぞに、俺たちの電車が負けてたまるかよ!」

 俺はシールドマシンの装甲を叩いた。

「なら見せてやれ!

 機械がダメなら、手で掘ってでも障害物をどかせ!

 ……この川の向こうには、俺たちの未来(空港島)があるんだ!

 ここを通さなきゃ、京急はずっと『川崎の路面電車』のままだぞ!」

 「うおおおおおおっ!!」

 男たちの咆哮が地下道に響き渡った。

 現場監督が指示を飛ばす。

 「気圧エアー上げろ! 水を止めるぞ!」

 「カッターフェイスを開け! 人力で杭を切る!」

 それは狂気じみた光景だった。

 職人たちが、マシンの前面にある狭い点検口から身を乗り出し、ガスバーナーと削岩機で、手作業で地中の障害物(古い松杭)を破壊し始めたのだ。

 泥水が顔にかかる。酸欠の危険もある。

 根津課長は顔面蒼白になって後ずさった。

「き、狂ってる……! 貴様ら、命が惜しくないのか!?」

「うるせえ! 汚れるのが嫌なら帰んな!」

 監督が怒鳴り返す。

 俺もまた、スコップを握って最前線に立った。

 今の京急に必要なのは、スマートな戦略じゃない。泥臭い**「突破力」だ。

 このトンネルの先に、将来の「140km/h運転」**がある。

 ここを抜けなきゃ、あの赤い彗星(快特)は空を飛べないんだ!

        * * *

 数時間後。

 ズズズ……ン!!

 地響きと共に、シールドマシンが再び前進を始めた。

 障害物は突破された。

 それから数ヶ月後。

 空港島の端っこ、整備場地区の立坑たてこうに、シールドマシンの顔が突き破って出てきた。

 貫通。

 京急の線路が、ついに「海老取川」を越え、空港島の土を踏んだ瞬間だった。

 貫通式の日。

 俺は、泥だらけの作業員たちと肩を組み、貫通点から見える空を見上げた。

 すぐ近くを、飛行機が轟音を立てて離陸していく。

「……見たか、お役人様」

 俺は呟いた。

「三流電車が、島に上陸したぞ。

 ……ここはまだ端っこだが、確かに『空港』だ」

 これで、京急は「島内」に橋頭堡きょうとうほを築いた。

 だが、ここはまだゴールではない。

 ここからターミナル直下へ進むためには、さらなる試練――**「スピードの壁」と「国からの圧力」**が待っている。

 次回、第44話。

 「伝説の2000形、発進」。

 空港線だけじゃない。本線でも革命が起きる。

 来るべき高速時代に備え、五代が投入した「京急の貴公子」。

 その優雅な走りが、120km/h時代の扉を開く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ