第41話 燃えるスカイライナーと、成田の遠い空
昭和53年(1978年)5月5日。
子供の日の祝日。
だが、京成電鉄の本社は、通夜のような沈黙と、怒号が入り混じる地獄と化していた。
『京成スカイライナー、過激派により焼き討ち!』
ニュース映像には、クリーム色とマルーン色の流線型車両(初代AE形)が、火炎瓶によって赤々と燃え上がる姿が映し出されていた。
場所は、京成本線の津田沼付近。
成田空港の開港(5月20日)を目前に控えた、最悪のテロ事件だった。
京急本社・役員室。
俺(五代)は、テレビ画面を見つめたまま、拳を握りしめていた。
爪が食い込み、血が滲む。
「……なんということだ」
隣にいる技術部長の加賀谷が、青ざめた顔で震えている。
「同じ標準軌(1435mm)の兄弟・京成さんが……。
あんな素晴らしい車両が、客を乗せる前に燃やされるなんて……」
俺は静かに立ち上がった。
「……行くぞ、加賀谷」
「え? ど、どこへ?」
「上野だ。……京成の本社へ見舞いに行く」
* * *
【京成電鉄・本社】
現場は混乱を極めていた。
「警察は何をしてるんだ!」「空港反対派の犯行声明が出たぞ!」「修理にどれくらいかかる!?」
京成の役員たちは、頭を抱えていた。
ただでさえ成田空港は「遠い」「不便」と叩かれている。
その上、頼みの綱であるスカイライナーがテロの標的になったとなれば、客足は遠のくばかりだ。
経営破綻の影すらちらついていた。
「……失礼します。京浜急行の五代です」
俺が部屋に入ると、京成の専務が憔悴しきった顔を上げた。
「五代さん……。見ての通りです。
……もうおしまいだ。空港特急なんて、やるんじゃなかった」
俺は、専務の前に座り、持参した「支援金(見舞金)」の目録をテーブルに置いた。
「諦めないでください」
俺は低い声で言った。
「燃やされたのは車両だけだ。レールは残っている。
……京成さんがここで倒れたら、誰が日本の空(成田)を支えるんですか?」
「し、しかし……国鉄(成田新幹線)だって計画中だし……」
「いいえ」
俺は断言した。
「国鉄の**『成田新幹線』**は、絶対に完成しません」
京成の役員たちが驚いて俺を見る。
当時はまだ、国鉄が東京駅から成田まで新幹線を通す計画が生きていた。用地買収も始まっていた。
「住民の反対運動を見ていれば分かります。
新幹線のような大規模な工事は、もう不可能です。
……国鉄は、いずれ撤退するでしょう」
俺は、窓の外を見た。
上野の空は淀んでいたが、その向こうには成田がある。
「その時、成田へ行ける唯一の鉄道は、あなた方**『京成電鉄』**だけになる。
……今は地獄かもしれない。
駅も空港ターミナルから遠い(当時は東成田駅)、バスに乗り換えなきゃいけない……不便だらけだ。
ですが、耐えてください」
俺は京成専務の手を強く握った。
「京急も手伝います。
……我々は兄弟だ。同じ線路幅(1435mm)を持つ仲間だ。
いずれ、都営浅草線を介して、羽田と成田を一本のレールで繋ぐ日が来ます。
その時のために……今は歯を食いしばって、スカイライナーを走らせ続けてください」
* * *
京成本社を出た後、俺は加賀谷と共に、千葉県の北西部――現在の**「千葉ニュータウン」**予定地へ向かった。
そこには、荒涼とした荒野が広がっていた。
そして、その荒野の中に、奇妙なコンクリートの構造物が立ち並んでいた。
『成田新幹線・建設予定地』。
作りかけの高架橋。雨ざらしの橋脚。
「……専務。これが?」
「ああ。国の夢の跡だ」
俺は、苔むしたコンクリートを叩いた。
「加賀谷。よーく見ておけ。
この『成田新幹線』の遺構……。
いずれ国鉄が投げ出したら、これを俺たちがもらう」
「はあ!? こ、これをですか!?
産業廃棄物ですよ!?」
「宝の山だ。
……ここ(千葉ニュータウン)から成田空港まで、ほぼ一直線に路盤ができている。
しかも新幹線規格だ。カーブも緩い。
……ここにウチの赤い電車と、京成のスカイライナーを走らせれば、時速160キロが出せる」
俺は、荒野の風に吹かれながら、遥か未来の路線図を脳裏に描いた。
現在の京成線(船橋周り)はカーブが多くて遅い。
だが、この**「北総線(新線)」**を経由して、成田新幹線の跡地を突っ走れば……都心から成田まで30分台で行ける。
「……30年後だ」
俺は呟いた。
「30年かかるかもしれん。
だが、このルート(成田スカイアクセス)こそが、京急と京成が生き残るための最終兵器になる。
……まずは、この北総の土地を抑えるぞ。
**『北総開発鉄道』**への出資を増やす」
燃えるスカイライナーの煙の向こうで、五代は冷徹に計算していた。
テロへの怒りを腹に収め、国鉄の失敗(新幹線頓挫)をハイエナのように狙う。
全ては、将来の「羽田・成田直結」のためだ。
次回、第42話。
成田の次は、本丸・羽田だ。
昭和50年代、羽田空港はまだ**「旧ターミナル(今の整備場付近)」にあった。
五代は、当時の運輸省が進めていた「沖合展開(新空港計画)」の情報をいち早くキャッチし、ある「地下工作」**を開始する。




