第37話 荒野のアリア(重奏)と、鬼教官の指揮棒
昭和47年(1972年)。
北総実験線(千葉ニュータウン)の車両基地。
そこに、ドイツ・シーメンス社から空輸された、巨大な木箱が積まれていた。
「……専務。これ、いつもの『ドレミファ』と何が違うんです?」
技術部長の加賀谷が、怪訝な顔で中身を覗き込む。
京急本線の2000形には、既に初期型の「歌うインバータ」が搭載されている。今さら珍しくもない。
「**『肺活量』**が違う」
俺(五代)は、鈍く光る巨大なユニットを叩いた。
「本線のやつは、あくまで120〜140キロ用だ。
だが、こいつは**『GTO-VVVF 改(高出力型)』**。
160キロ……いや、将来的には200キロまで一気に加速させるための、化け物スペックだ」
俺はニヤリと笑った。
「出力が上がれば、音も変わる。……聴かせてやろう。**『荒野のアリア』**をな」
【実験開始】
試作車「デト9000形」に搭載された新型ユニットが起動する。
ファソラシドレミファソ〜〜ラ〜〜シ〜〜ド〜〜〜♪
「うおっ!?」
加賀谷たちが耳を塞いだ。
音がデカい。そして、音階が長い。
従来の「ドレミファ」が可愛く聞こえるほどの重低音と、どこまでも伸びる高音。
それは、ただの機械音ではなく、まるでパイプオルガンのような荘厳な響きだった。
「すげえ……。空気が震えてやがる」
「これが、160キロを叩き出すパワーか……」
だが、問題はこの「暴れ馬」を誰が御するかだ。
パワーがありすぎて、アクセル(ノッチ)を少し入れただけで、背中を蹴飛ばされたように加速する。
繊細なブレーキ操作ができなければ、ホームを行き過ぎて壁に激突するだろう。
「……マシンは最高だ。だが、乗り手が三流じゃ振り落とされる」
俺は、北総の荒野を見つめた。
「調教が必要だ。……本線のヌルい運転士じゃ扱いきれん」
* * *
京急久里浜・動力車操縦者養成所(通称:地獄の虎の穴)。
新しく建設されたこの施設からは、連日、男たちの悲鳴と竹刀の音が響いていた。
「バカ野郎! 『ソ』の音でノッチを切れと言っただろうが!」
バチンッ!!
教官室に座っていたのは、眼帯をした初老の男、**鬼頭**だ。
元・戦闘機乗り(という噂のSL機関士あがり)である伝説の男を、俺がスカウトしてきた。
「……よう、専務。ドイツの新型の調子はどうだ?」
鬼頭が、竹刀を磨きながらギロリとこちらを見た。
「じゃじゃ馬だよ。……アクセルワークがシビアすぎて、普通の運転士じゃ首がムチ打ちになる」
「だろうな。……だが、ここの連中なら大丈夫だ」
鬼頭は、教習コースでしごかれている訓練生たちを顎でしゃくった。
そこには、国鉄や地方私鉄から引き抜いてきた、腕に覚えのある荒くれ者たちがいた。
彼らは目隠しをされ、ヘッドホンで「インバータの音」だけを聴きながら、シミュレーターを操作している。
「……『ファ』……『ソ』……今だッ!」
カチャッ。
正確なタイミングでノッチを切る。
メーターを見ずに、音(周波数)だけで速度を感じ取る訓練だ。
「俺が仕込んだのは『絶対音感』ならぬ**『絶対速度感』**だ」
鬼頭がニヤリと笑った。
「160キロの世界じゃ、メーターを見てる暇なんてねえ。
ケツに伝わるG(重力)と、モーターの歌声だけで、今の速度とブレーキタイミングを判断させる」
「……まるでF1レーサーだな」
「その通りだ。……卒業する頃には、全員『マエストロ(指揮者)』にしてやるよ。
この暴れ馬を、指一本で優雅に歌わせてみせる」
* * *
数ヶ月後。
北総の実験線。
運転席には、鬼頭のシゴキに耐え抜いた若手運転士、**風間**が座っていた。
その目は鋭く、手つきには迷いがない。
「……出発進行」
マスコンを倒す。
グォンッ!
強烈なGがかかるが、風間は表情一つ変えない。
ファソラシドレミファソ〜〜♪
新型インバータが咆哮する。
120キロ……140キロ……150キロ……。
風間は、その「歌声」に合わせて、まるで楽器を演奏するようにノッチを刻んでいく。
160km/h到達。
振動はない。音だけが、美しく響いている。
「……いい音だ」
風間が小さく呟いた。
「こいつ、もっと速く走りたがってる」
俺は、後ろで見守りながら確信した。
ハード(高出力ドレミファ)と、ソフト(鬼頭チルドレン)。
この二つが揃えば、京急は無敵だ。
「……よし。この技術、本線にも順次フィードバックするぞ」
「ただし、あっち(本線)はカーブが多いから、音階を少し『短調』に変えておくか」
歌う最強の電車と、戦闘機乗りの魂を受け継いだ運転士たち。
京急の「品質」は、北総の地で完成された。
だが、厳しい話ばかりではない。
次回は少し肩の力を抜いて、現場の「日常」を覗いてみよう。
幸せを呼ぶ黄色い電車と、忘れ物センターに届いた「生きたアレ」の話だ。




