表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/54

第3話 油まみれの天才と、歌う電車の設計図

 役員会で老人たちを黙らせたその足で、俺は本社を出た。

 向かった先は、神奈川新町かながわしんまちにある検車区だ。

 ここは京急の車両基地であり、心臓部でもある。

 昼下がりの検車区は、鉄と油の匂いが立ち込めていた。

 線路には、点検中の旧型車両が並んでいる。

 作業員たちがハンマーで台車を叩く音が、カンカンと響く。

 活気はある。だが、俺にはそれが「古臭い職人の意地」にしか見えなかった。

「……専務、こんな汚いところに何のご用で?」

 秘書の佐山がハンカチで鼻を押さえながらついてくる。

「宝探しだ」

 俺は迷わず奥へと進んだ。

 目指すは、検修庫の片隅にある小さなプレハブ小屋。「技術開発課」という看板が傾いて掛かっている。

 ドアを開けると、そこは書類と図面の山だった。

 その中心に、一人の男がいた。

 油で汚れた作業着。ボサボサの髪。丸めた図面を枕に、机で居眠りをしている。

「……おい、起きろ」

 俺は机を蹴飛ばした。

「んあ……?」

 男がのそりと顔を上げた。

 眠そうな目だが、その奥には鋭い光が宿っている。

 加賀谷匠かがや・たくみ。28歳。

 京大工学部出身ながら、「現場で機械を弄っていたい」という理由で、出世コースを蹴ってここに居座っている変人だ。

 前世の歴史では、彼は冷遇され、その才能を発揮できないまま定年を迎えるはずだった。

 だが、俺は知っている。こいつこそが、世界レベルの「鉄道狂い」であることを。

「……なんだ、五代専務か。また視察ごっこですか?」

 加賀谷はあくびを噛み殺しながら言った。敬語を使っているが、態度は不遜そのものだ。

「仕事の話だ。加賀谷、今の京急の車両についてどう思う?」

「どうって……。走る骨董品ですね」

 加賀谷は即答した。

「吊り掛け駆動はうるさいし、乗り心地は最悪。抵抗制御は電気を熱として捨てているだけ。……資源の無駄遣いです」

「なら、どうすればいい?」

「モーターを変えるしかありません。カルダン駆動にして、高回転型のモーターを積む。……まあ、上が予算を出さないでしょうけど」

 加賀谷はまた机に突っ伏そうとした。

 俺は、懐から一枚の紙を取り出し、彼の目の前に叩きつけた。

「……なんだこれ?」

 加賀谷が片目を開ける。

 そこには、前世の俺が記憶を頼りに描いた、ある電気回路の図面があった。

「これは……三相交流誘導電動機インダクションモーター?」

 加賀谷の目が開いた。

「待ってください。電車は直流モーターで動くのが常識だ。交流モーターなんて、制御が難しすぎて使い物になりませんよ」

「制御できるとしたら?」

 俺は図面の横に、もう一つの回路図を書き足した。

「スイッチング素子を使って、直流を交流に変換する。その際、電圧と周波数を自在に変えることで、モーターの回転数を制御する」

 俺はスラスラと数式を書いた。

 VVVFインバータ制御(Variable Voltage Variable Frequency)。

 20年後に実用化されるはずの技術だ。

「……電圧と、周波数を、可変させる……?」

 加賀谷が図面を食い入るように見つめた。

 彼の脳内で、電流が走っているのが分かる。

「……理論上は可能です。コンバータで整流して、インバータで……。いや、でもスイッチングのタイミングはどうする? パルス幅変調(PWM)か?」

「正解だ」

 俺はニヤリと笑った。

「こいつを使えば、抵抗器はいらない。熱も出ない。電気代は半分になる。そして何より……」

 俺は加賀谷の顔に顔を近づけた。

「空転しない」

 加賀谷が息を呑んだ。

 鉄道技術者にとって、「空転スリップ」は最大の敵だ。特に雨の日や急勾配では、車輪が空回りして前に進まない。

 だが、誘導モーターとインバータ制御なら、マイクロ秒単位でトルクを制御できる。

 どんな急坂でも、どんな悪天候でも、地面に吸い付くように加速できる。

「……専務。あんた、何者だ?」

 加賀谷が震える声で聞いた。

「ただの創業家のボンボンじゃないな。……この回路図、今の日本の技術じゃ作れませんよ。半導体が追いついていない」

「作れるさ」

 俺は断言した。

「ドイツのシーメンス社が、パワートランジスタの実験に成功したという情報がある。……俺たちはそこへ行く」

「ドイツへ?」

「ああ。技術提携だ。向こうの素子デバイスを輸入し、お前の設計で車両に載せる。……世界初のインバータ電車を作るんだ」

 加賀谷の顔から、眠気が完全に消え失せていた。

 代わりに浮かんでいるのは、マッドサイエンティストのような狂喜の笑みだ。

「世界初……。いい響きだ」

 加賀谷は立ち上がり、汚れた手で図面を握りしめた。

「やらせてください。……いや、やります。俺なら、こいつを走らせてみせる」

「頼もしいな。だが、一つ条件がある」

「条件?」

「音だ」

 俺は人差し指を立てた。

「このインバータは、スイッチング周波数が可聴域(人間の耳に聞こえる範囲)に入る。……ただのノイズじゃ面白くない」

 前世の記憶にある、あの美しい旋律。

 京急を象徴する、あの「ドレミファ」の音階。

 あれは、ドイツの技術者の遊び心と、偶然が生んだ産物だ。だが、今回は意図的に再現する。

磁励音じれいおんを、音階にしろ」

「はあ? 電車に歌わせろって言うんですか?」

「そうだ。発車する時、**『ファソラシドレミファ……』**と音階を奏でるようにパルスを設定しろ。……それが、新生・京急の産声うぶごえになる」

 加賀谷は呆れたように笑った。

「……アンタ、とんでもないロマンチストか、大馬鹿野郎のどっちかですね」

「両方さ。……で、乗るか?」

 俺が手を差し出すと、加賀谷は油まみれの手でそれを強く握り返した。

「乗りますよ。その泥舟……いや、宇宙船に」

 こうして、俺と加賀谷の「悪魔の契約」は成立した。

 俺がカネと知識を持ってくる。こいつが形にする。

 最強のタッグの誕生だ。

 帰り際、佐山が恐る恐る聞いてきた。

「専務……あんな変人に任せて大丈夫なんですか? 予算は……」

「予算なら、さっき役員会でもぎ取ってきた。……佐山、お前もパスポートを取っておけ。来週にはドイツへ飛ぶぞ」

 俺は空を見上げた。

 待っていろ、シーメンス。

 そして震えて眠れ、国鉄。

 歌う電車が、お前らの常識をすべて過去のものにしてやる。

用語解説

吊り掛け駆動: 昔の電車の駆動方式。モーターが車軸にぶら下がっており、「グオオオオン!」という重低音と振動がすごい。


VVVFインバータ: 電圧と周波数を変えてモーターを制御する技術。

省エネで高出力。現代の電車の主流。


ドレミファインバータ: 起動時の磁励音ノイズを、あえて音階に聞こえるように調整したシーメンス製のインバータ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ