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第29話 音速の赤い彗星と、置き去りにされた常識

 昭和45年(1970年)、春。

 大阪万博(EXPO'70)の開幕に日本中が沸いていたこの年。

 関東の鉄道界にも、一つの「事件」が起きていた。

 『京急本線・最高速度130km/h運転開始』

 ダイヤ改正初日の朝。品川駅。

 1番線ホームには、最新鋭の**2000形(快特仕様)が入線していた。

 一見するといつも通りの赤い電車だが、その足回りは怪物だ。

 60kgレールとPC枕木で強化された線路。

 そして運転台には、緑色に光る「C-ATS(デジタル信号)」**のモニターが埋め込まれている。

「……本当に出すんですか? 130キロ」

 運転士の**滝沢たきざわ**が、緊張した面持ちで手袋を締め直す。

「国鉄の特急『こだま』より速いんですよ?」

「出せ」

 添乗していた俺(五代)は、懐中時計を見た。

「線路は作った。信号も変えた。邪魔な踏切は空へ上げた。……ブレーキをかける理由は一つもない」

 発車ベルが鳴る。

 ドアが閉まり、滝沢がマスコン(マスター・コントローラー)を一気に倒した。

 フォオオォォォン……!

 ドレミファインバータ(※この世界では早期導入済み)が歌い、赤い塊が滑り出す。

        * * *

 北品川を過ぎ、高架区間に入った瞬間だった。

 滝沢の背中がシートに押し付けられる。

 100キロ……110キロ……120キロ……

 今までの「限界」をあっさりと超えていく。

 だが、揺れない。

 土門たち保線部隊が仕上げた「60kgレール」と「カント調整」のおかげで、車体は吸い付くように安定している。

 123キロ……125キロ……

「……速い」

 乗客たちがざわめき始めた。

 窓の外の景色が、流れるというより「飛んで」いく。

 そして、並走する国鉄の線路が見えた。

 そこには、国鉄の最新鋭近郊電車、113系(スカ色)が走っていた。

 向こうも時速100キロ近く出しているはずだ。

 だが。

 ヒュンッ!

 一瞬だった。

 こちらの2000形は、まるで止まっている相手を抜くかのように、国鉄電車を置き去りにした。

「うおっ!? 抜いたぞ!」

「なんだあの速さは!」

 国鉄の車内から、驚愕の顔でこちらを見上げるサラリーマンたちの姿が、一瞬だけ見えて、すぐに後方へ消え去った。

 時速130km/h到達。

 京急蒲田要塞。

 かつて渋滞の名所だった場所を、電車は減速することなく、空中の3階ホームを矢のように通過した。

 踏切がない。車がいない。

 ただ、風を切る音だけが響く。

        * * *

 その頃、三崎口駅。

 駅前の商店街では、源蔵たちが時計を睨んでいた。

「……おい、まだか? 品川を出てから45分だぞ」

「いくらなんでも早すぎるって。あと15分は……」

 『まもなく、1番線に、快特・三崎口行きが到着します』

 放送が流れた。

「はあ!?」

 源蔵が目を剥いた。

 遠くから、赤い電車のヘッドライトが見える。

 キキーッ!

 定刻通り。いや、ダイヤ改正前の定刻より15分も早く、電車が滑り込んできた。

 ドアが開くと、大量の観光客が降りてくる。

 彼らの顔は疲れていない。むしろ興奮している。

「すげえ! あっという間だった!」

「もう着いたのか? 1時間切ってるぞ!」

「これなら、飯食ってから帰れるな!」

 源蔵が震える手で、俺(五代)に電話をかけた。

『……どうだい、源蔵さん。約束通りだろ?』

 受話器の向こうで、五代の声がした。

「……バケモノか、あんたは」

 源蔵は笑った。

「早すぎらぁ! 店の準備がまだだ! ……ありがとよ、これで商売繁盛だ!」

        * * *

 翌日の新聞。

 『赤い彗星、東海道を制圧』

 『国鉄ショック! 京急が音速の壁を突破』

 その衝撃は凄まじかった。

 「速い」ということは、それだけで最強のサービスだ。

 今まで「遠い」と思われていた三浦半島が、通勤圏内、いや「近郊」に変わったのだ。

 京急本社・営業部。

 電話が鳴り止まない。

「定期券の申し込みが殺到してます!」

「沿線の不動産価格、一夜で2割上がりました!」

「国鉄から客が流れてきてます! 輸送人員、前年比150%増!」

 俺は社長室で、大原社長と祝杯を上げていた。

「……五代。お前の言った通りになったな」

 社長が満足げに頷く。

「130キロは、単なるスピードじゃない。『時間』という価値を売ったんだ」

「ええ。ですが社長……」

 俺は、嬉しい悲鳴を上げている営業部の様子を見た。

「想定以上です」

「ん?」

「客が増えすぎました」

 俺は真顔になった。

「130キロで回転率を上げても、運びきれないくらい客が押し寄せています。

 今の『複線(線路2本)』じゃ、これ以上の増発は物理的に不可能です」

 成功の代償。それは**「パンク」**だ。

 速くて便利になれば、人は集まる。

 だが、線路の容量キャパシティは限界だ。

 次に来るのは、積み残しと遅延の地獄。

「……どうするんだ?」

 社長が青ざめた。

「線路を増やすしかありません」

 俺は、最後のカードを切った。

「**『複々線化ふくふくせんか』**です」

 線路を4本にする。

 そうすれば、各駅停車を待たずに、快特が走り続けられる。

 だが、それは蒲田要塞以上の、都市部での超難関工事を意味していた。

 大京急帝国「要塞化編」完。

 そして物語は、**「カオス」**へと突入する。

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