第28話 蒲田の一番長い夜と、永遠に消えた警報音
昭和X年、某月某日。
ついにその夜が訪れた。
『京急蒲田駅付近・連続立体交差化工事、線路切り替え』
終電が過ぎた直後から始発までの、わずか3時間半。
その間に、地上の古い線路を切り離し、高架上の新しい線路へと接続する。
失敗は許されない。もし朝までに終わらなければ、首都圏の動脈である京急線と、国道15号(第一京浜)は大パニックに陥る。
現場には、3,000人もの作業員が集結していた。
彼らの熱気で、夜の空気が歪んで見えるほどだ。
「……壮観だな」
俺(五代)は、蒲田要塞の3階ホームから、眼下の光景を見下ろしていた。
地上では、無数の投光器が焚かれ、まるで昼間のような明るさだ。
「最終電車、通過! 送電停止!」
指令室からアナウンスが響く。
「よし、かかれぇぇぇ!!!」
現場監督・土門の怒号が轟いた。
ウオオオオオオッ!!
3,000人の男たちが一斉に線路に飛びついた。
重機だけではない。最後は「人海戦術」だ。
鉄の棒をテコにして、数百メートルのレールを人力で横にずらす(横移動)。
ガシャン! ガシャン!
鉄と鉄がぶつかる音が、蒲田の夜空にこだまする。
それは、昭和の男たちが奏でる、労働のシンフォニーだった。
* * *
一方、国道15号の踏切前。
深夜にもかかわらず、多くの地元住民が見物に来ていた。
その中には、かつて反対運動をしていた八百屋の大田もいた。
「……なくなるのか、本当に」
大田は、古びた遮断機を見つめていた。
毎日毎日、カンカンと鳴り続け、町を分断し、渋滞を作り出していた憎き踏切。
だが、いざ無くなるとなると、少しだけ寂しさもあった。
「……長いこと、ご苦労さんだったな」
作業員が、遮断機の棒を取り外した。
警報機が根元から切断される。
その瞬間、踏切はただの「道路」になった。
「おい、見ろよ! 空!」
誰かが叫んだ。
見上げた先。
遥か頭上、ビルの3階ほどの高さにある高架橋。
そこに、真新しい信号機の明かりが灯ったのだ。
【 進行 】。
要塞に血(電気)が通った瞬間だった。
* * *
午前4時50分。
空が白み始めた頃、全ての接続作業が完了した。
「線路閉鎖、解除! 試運転列車、進入!」
遠くから、聞き慣れたジョイント音が近づいてくる。
だが、その音は地上ではない。
空から降ってくる。
ゴオォォォォ……!
一番列車(試運転)の1000形が、要塞の最上階(3階ホーム)へ滑り込んできた。
地上には、もう電車は来ない。踏切も鳴らない。
ただ、頭上を風のように駆け抜ける音だけが聞こえる。
「……万歳! 万歳!」
作業員たちがヘルメットを空に投げて抱き合っている。
土門が、泥だらけの顔で泣いていた。
「……やりやがった。本当に一夜で城を作りやがった……」
俺は3階ホームで、技術部長の加賀谷と握手を交わした。
「……お疲れ様、加賀谷」
「疲れましたよ、専務……。もう二度と御免です」
俺はホームの端に立ち、第一京浜を見下ろした。
信号待ちをしていたトラックの運ちゃんたちが、驚いた顔で空を見上げている。
いつもなら閉まっているはずの踏切が、開いたままだからだ。
「……見ろ、加賀谷。車が止まらずに流れていく」
俺は言った。
「これが、俺たちが作った新しい景色だ」
『開かずの踏切、消滅』
翌日の新聞には、デカデカと見出しが躍った。
箱根駅伝のランナーが止められることも、救急車が足止めを食らうことも、もう二度とない。
蒲田要塞。
その威容は、周辺のビルを圧迫するほど巨大だったが、不思議と町に馴染んでいた。
高架下には新しい商店街が生まれ、東西の人の流れが復活したからだ。
そして何より、この要塞の完成は、ある一つの「スイッチ」が入ったことを意味していた。
「……遮るものは無くなった」
俺は、真っ直ぐに伸びる高架線路の先、品川方面を見据えた。
「これで、全速力で走れる」
踏切という足枷は外れた。
線路は60kgレールとPC枕木で強化された。
信号はデジタル(C-ATS)に変わった。
「……始めるぞ、加賀谷」
俺は宣言した。
「『京急本線・最高速度140km/h運転』、解禁だ」
次回、赤い彗星が覚醒する。
国鉄を、私鉄を、常識を置き去りにするスピード。
伝説の「快特」が、ついにベールを脱ぐ。




