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第25話 「蒲田のベルリンの壁」と、商店街の反乱

 昭和44年(1969年)、春。

 京急蒲田駅近くの公民館は、怒号と熱気でサウナのようだった。

「建設反対!! 京急は帰れ!!」

「我々の頭上に、コンクリートの塊を作るな!!」

 『京急線連続立体交差事業・住民説明会』。

 会場には、地元商店街の店主たちだけでなく、ヘルメットを被った革新政党の活動家や、「高架化絶対阻止」のハチマキを巻いた老人たちが詰めかけていた。

 壇上に立った俺(五代)に、容赦ない罵声が浴びせられる。

「おい五代! 線路を高架にするだと? ふざけるな!」

 マイクを握って立ち上がったのは、反対派のリーダー、**大田おおた**だ。

 彼は地元で大きな八百屋を営む顔役であり、市議会にも影響力を持つ男だ。

「高架なんて作ってみろ! 町が東と西に分断されるぞ!

 巨大な壁ができて、日陰になって、商店街は枯れる!

 まるで**『蒲田のベルリンの壁』**じゃねえか!」

 会場から「そうだ!」の合唱が起きる。

 当時は、高架線路=「暗くて汚い、町の分断要因」というイメージが強かった。

 実際、国鉄の古いガード下などは、騒音が酷く、治安も悪かったからだ。

「それに、駅が2階や3階になったら、年寄りはどうやって登るんだ!

 階段なんか登れねえぞ! 客足が遠のいて、商店街はシャッター通りになる!」

 大田は、俺の鼻先に指を突きつけた。

「悪いことは言わねえ。地下にしろ。……どうしても高架にするなら、俺の死体を越えていけ!」

        * * *

 説明会は紛糾し、物別れに終わった。

 控え室に戻った俺は、ネクタイを緩めて息を吐いた。

「……手強いですね、専務」

 同席していた広報部長が、ハンカチで汗を拭う。

「『分断』と『日照権』。……この二つを武器にされたら、裁判になれば長引きます。10年、いや20年は工事が止まりますよ」

「140キロ化のために、そんなに待てるか」

 俺は、窓の外の商店街を見下ろした。

 踏切が閉まり、人と車が溢れている。

 彼らの言い分は分かる。

 だが、彼らは勘違いしている。

 本当の「分断」を作っているのは、今の踏切だということを。

「……模型だ」

 俺は言った。

「言葉じゃ伝わらない。……加賀谷、来週までに『未来の蒲田駅』のジオラマを作れ」

「えっ? ジオラマですか?」

「ああ。最高にキラキラしたやつだ。……反対派の度肝を抜くような『夢』を見せる」

        * * *

 一週間後。

 俺は再び、大田の八百屋を訪ねた。

 店先には、まだ「反対」の張り紙がある。

「……なんだ、また来たのか」

 大田が不機嫌そうに大根を並べている。

「何度来ても同じだぞ。高架は認めねえ」

「大田さん。……少しだけ、これを見てくれませんか」

 俺は、店の奥のテーブルに、風呂敷に包んだ大きな模型を置いた。

「なんだ、これ?」

 大田が怪訝な顔で包みを開ける。

 そこには、精巧に作られた**「未来の京急蒲田駅」**の姿があった。

 ただの高架ではない。

 二層構造の巨大な駅ビル。

 その足元には、広々とした歩道と、ガラス張りのアーケードが広がっている。

「……これが、高架?」

「はい。あなたが恐れている『暗いガード下』じゃありません」

 俺は説明した。

「線路を高く上げることで、地上の踏切は全て無くなります。

 するとどうなるか? ……東口と西口が、完全に繋がるんです」

 俺は模型の上の「人の流れ」を指差した。

「今は踏切のせいで、東の客は西へ行けず、西の客は東へ行けない。これこそが『分断』です。

 高架になれば、車も人も自由に行き来できる。……商店街の商圏は、今の倍に広がりますよ」

「……」

 大田の手が止まった。商売人としての勘が働いたのだ。

「それに、日陰なんて作りません。

 高架下は**『ウィング・キッチン(商業施設)』**にします。

 明るい照明、綺麗な店舗、雨に濡れない遊歩道。……あなたの店も、ここに出店しませんか?」

 そして、俺は切り札を出した。

「年寄りが登れない? ……これを見てください」

 模型の駅入り口には、当時としては画期的な設備が付いていた。

 **『エスカレーター』と『エレベーター』**だ。

 昭和40年代、駅にエレベーターがあるなんて、デパート並みの贅沢だった。

「京急が全額負担で設置します。……お年寄りは、ボタン一つでホームまで上がれる。

 階段だらけの今の駅より、よっぽど優しい駅になりますよ」

 大田は、じっと模型を見つめていた。

 踏切が消え、車がスムーズに流れ、人々が笑顔で行き交う未来図。

 それは、「ベルリンの壁」ではなく、町を繋ぐ「架け橋」に見えた。

「……五代さん」

 大田が、ポツリと言った。

「あんた、本当にこれを……この『夢』を作れるのか?」

「作ります。……京急の社運を賭けて」

 大田は深いため息をつき、そして店の奥から湯呑みを持ってきた。

「……茶でも飲んでいけ」

 彼は、店先の「反対」の張り紙を剥がして、丸めてゴミ箱に捨てた。

「みんなには俺から話す。……ただし! 工事の音がうるさかったら、また文句言いに行くからな!」

「ええ、覚悟しておきます」

        * * *

 政治的な壁は崩れた。

 地元住民は「未来の駅」に希望を見出し、反対運動は沈静化した。

 だが、俺には分かっていた。

 本当の地獄はこれからだ。

 住民の合意は取れた。用地買収の手間も省けた(直上高架だから)。

 しかし、それは技術的に**「不可能に近い工事」**を意味していた。

 毎日何百本もの電車が走る、その真上で、巨大なコンクリートの橋桁を作る。

 一歩間違えば大惨事。

 まさに、走る虎の背中に乗るようなものだ。

 本社・技術部。

 加賀谷が、真っ青な顔で俺を待っていた。

「……専務。住民は説得できたそうですね」

「ああ。これで着工できるぞ」

「……気楽に言わないでくださいよ」

 加賀谷が、震える手で図面を広げた。

直上高架ちょくじょうこうか。……線路の直上に線路を作る。

 世界でも類を見ない難工事です。

 使うのは、『STRUMストラム工法』……いや、京急独自の魔改造メカを使うしかありません」

 次回、技術屋たちの狂宴が始まる。

 空飛ぶ線路と、移動する橋桁。

 蒲田の空が、鉄骨で埋め尽くされる。

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