第235話 :泥濘のカルテル 〜絶望の損切りと、砕け散る看板〜
千葉・幕張。
「親会社」からの増援投入から二週間。その夜、やんちゃな方々の仮設事務所は、文字通り『死に体』となっていた。
電気は止められ、発電機を動かすためのガソリンすら、昨夜の襲撃で狂犬たちに「成田へ行く車の燃料だ」と抜き取られていた。
真っ暗なプレハブの中。数十人の屈強なはずの『社員たち』が、身を寄せ合い、ガタガタと震えながら息を潜めている。
カンッ……カンッ……カンッ……。
窓の外の暗闇から、鉄パイプを引きずる嫌な音が、規則正しく響いてくる。
時折、狂ったような甲高い笑い声と、「……弾……車のキー……寄越せ……」という、飢えた獣のうわ言が風に乗って聞こえてきた。
「……ヒィッ……来た……また来やがった……!」
「代表、もう弾がありません……。木刀も全部折れました……!」
現場責任者(若頭)は、すでに猟銃を構える気力すら失い、頭を抱えて床にうずくまっていた。
完全な包囲網。いや、狂犬たちは包囲しているのではない。ただ『自分たちの武装(成田への切符)を調達するためのアイテム庫』が逃げないように、見張っているだけなのだ。
代表(組長)は、暗闇の中で、最後の希望である携帯を握りしめ、『親会社の役員』へと震える指で発信した。
「……もしもし! 本部長ですか!? お願いします、もう限界です! 幕張の現場は完全に崩壊しました! このままではウチの社員が全滅します! 撤退の許可を……どうか撤退の許可をッ!!」
しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは、絶対的な『親(資本)』の冷酷な声だった。
『……たかが数十人の素人のガキにビビッて、何十人も病院送りにして、あまつさえ親会社の車まで何台も奪われた挙句、逃げ帰るだと?』
「ち、違うんです! あいつらは人間じゃない! 話の通じないバケモノで——」
『言い訳はいい。……お前んとこの会社は、ウチのグループの面汚しだ。もう支援(増援とカネ)は出さねえ。勝手にしろ。……ただし、明日から二度とウチの『看板』は名乗るなよ』
ツーツー……ツーツー……。
電話が切れた。
それは、裏社会において【死】を意味する『トカゲの尻尾切り(破門)』だった。
「……だ、代表……。本部長は、なんと言って……?」
すがるように見上げてくる社員たち。代表の目から、ポロポロと絶望の涙がこぼれ落ちた。
「……切られた。俺たちは……親会社から見捨てられた……」
プレハブの中に、絶望の沈黙が落ちた。
メンツも、看板も、借金の回収も、すべてが消え失せた。残されたのは、外で鉄パイプを引きずりながら、自分たちを「物資」として狩りに来る狂犬たちだけ。
代表は、ゆっくりと立ち上がった。
その顔には、もう広域に事業を展開する『やんちゃ企業のトップ』としての威厳は欠片もなかった。あるのは、ただ一人の、恐怖に怯える哀れな中年の姿。
「……武器を捨てろ」
「え……?」
「もう戦う理由がねえ……! ここにいたら、明日には全員殺されて成田行きのダンプのバンパーに括り付けられるぞ!! 逃げるんだ……! あいつらが絶対に追ってこれない、唯一の『安全地帯』へ……ッ!!」
完全に心が折れた瞬間だった。
彼らはプライドもシノギも全て幕張の泥水に投げ捨て、ただ「命」だけを守るために、コンクリートの壁の向こう側へと駆け出す決意を固めたのである。
***
同じ時刻。品川・京急本社の高層階。
暗号化された通信傍受のログを確認しながら、五代は深夜のオフィスで満足げに頷いた。
「……『損切り』。企業が生き残るための最終手段だが……親会社に見捨てられた末端の絶望は、いつ見ても美しく、そして滑稽だね」
成田が、冷徹な目で報告する。
「やんちゃな方々の組織的抵抗は完全に終了しました。彼らは現在、武器を放棄し、幕張の現場から一斉に逃亡を開始した模様です」
「ええ。狂気が算盤を完全に破壊した。……さあ、彼らが『法と秩序』の足元に泣きついてすがる、最高に無様で喜劇的なラストシーン(幕引き)を見学させてもらおうか」
幕張の夜風が、主を失った無人のプレハブ事務所を、空虚に吹き抜けていった。




