第227話 :東京湾岸戦争と、狂犬の産声(真)
千葉・幕張。
中ボス・権藤が率いる旧国鉄労働組合の全面ストライキによって、巨大な湾岸の埋立地は完全に機能停止し、不気味なほどの静寂に包まれていた。
「京急の五代とかいう若造め。我々の組織の『鉄の規律』の恐怖を思い知り、今頃は品川の社長室で震え上がっているだろうよ」
権藤は、本部の応接室で余裕の笑みを浮かべていた。彼らの足元には、裏切り者の見せしめとして総括された末端組合員の血痕が、まだ生々しくこびりついていた。恐怖による絶対的な支配。これこそが、国鉄時代から彼らが培ってきた「無敵の城」だった。
***
しかし、権藤は知らなかった。
五代が狙っていたのは、その「恐怖による支配」が孕む、致命的な『歪み』だったということを。
同じ夜。幕張の片隅にある、冷暖房もないカビ臭い地下倉庫。
そこに集まっていたのは、権藤の「主流派(体制側)」から冷遇され、常に鉄砲玉として汚れ仕事を押し付けられてきた【若き過激派(はぐれ者)たち】だった。
「……クソが。権藤の野郎、俺たちには『資本家の犬になるな、飢えても耐えろ』と抜かしておいて、自分は毎晩銀座でドンペリを開けていやがる」
「あんな腹の出たジジイのどこが革命の闘士だ。ただの汚い利権ゴロじゃねえか」
不満と飢えで爆発寸前の若者たちの前に——ギィ、と重い鉄扉が開いた。
現れたのは、仕立ての良すぎるイタリア製スーツを着た男。五代だった。
「誰だテメェ!! ぶっ殺されてえのか!!」
若者たちが一斉に殺気を放ち、鉄パイプを握りしめる。
しかし五代は、全く怯むことなく、最高に優しい『お兄さんの笑顔』で歩み寄り、持っていたボストンバッグをひっくり返した。
ガシャンッ!!!
コンクリートの床に転がり落ちたのは、新品の鋭利な鉄パイプ、最新型の盗聴器、軍用のトランシーバー……そして、束になった【数億円の現ナマ(帯封)】だった。
「い、一万円札……!?」
「何だこれは……お前、京急の人間か!?」
五代は、札束の山を靴の先で軽く小突いた。
「素晴らしい熱量だ、若き革命家(狂犬)の皆さん。……権藤くんのような、腐りきった独裁者に飼い殺されているには惜しい」
五代は、権藤の隠し口座のコピーと、愛人を囲う高級マンションの登記簿を若者たちの前にばら撒いた。
「君たちの怒りは正しい。革命には『血』が必要だ。そして……それを成し遂げるための『資本(武器)』は、私が無償で提供しよう。権藤の首を獲り、この幕張の支配者になるのは、君たちだ」
若者たちの目が、イデオロギーの炎ではなく、純粋な『暴力と欲望の炎』へと変わっていく。
「私鉄のヤクザが、俺たちに内ゲバをやれってのか……?」
リーダー格の男が、札束を握りしめながら五代を睨みつける。五代は涼しい顔で頷いた。
「ええ。徹底的にやってください。……何せ警察のトップ(本部長)は、すでに我々(大蔵省)の首輪がついていますから。どれだけ派手に殺し合っても、機動隊は絶対に出動しませんよ」
その言葉が、最後のストッパーを完全に破壊した。
安全地帯(無法地帯)を保証され、無限の武器とカネを与えられた狂犬たちは、喉の奥から歓喜の咆哮を上げた。
***
翌深夜。
権藤が眠る労働組合本部は、凄まじい爆発音と炎に包まれた。
「な、何事だッ!! 機動隊の夜襲か!!?」
パニックに陥り、パジャマ姿で飛び起きた権藤が見たものは、信じられない光景だった。
「権藤ォォォッ!! 腐った体制の犬め! 今日がテメェの命日だァァァッ!!」
窓をぶち破り、火炎瓶と鉄パイプを持ってなだれ込んできたのは、機動隊ではない。
かつて自分たちが顎で使っていた、赤いヘルメットを被った【若き同志(身内)たち】だった。
「お、お前たち!! 気でも狂ったか!! やめろ、同志討ちは……ギャアァァァッ!!!」
容赦のない鉄パイプの雨が、権藤の悲鳴をかき消す。
「湾岸戦争」の幕開けだった。
五代の圧倒的な資金力(空爆)に後押しされた若手過激派たちは、瞬く間に主流派の拠点を次々と制圧。駐車場では組合の車が燃やされ、夜空を赤く染め上げた。
そして、その燃え盛る幕張の夜空を。
遠く離れたホテルのスイートルームから、五代と成田は冷たいグラスを傾けながら見下ろしていた。
「……見事な炎ですね。権藤の主流派は、たった一晩で完全に崩壊(政権打倒)しましたよ」
成田が、双眼鏡を下ろしながら無表情に告げた。
「ああ。これでもう、幕張の工事を止める組織はいなくなった。明日からシールドマシンを再始動させたまえ」
五代は最高級のワインを揺らしながら、満足げに嗤った。
「しかし、五代専務。権藤を噛み殺したあの若手たち……すでに我々のコントロールを離れ、完全に理性を失った【凶暴な武装勢力(狂犬)】と化しています。このままでは、幕張一帯が終わりのないゲリラ地帯(イラク化)になりますが」
成田の冷徹な指摘に、五代は悪魔のように目を細めた。
「……それでいいんだよ、成田くん。カネと暴力の味だけを覚え、思想を持たない野犬の群れ。……これほど、【あの成田のバケモノども】にぶつけるのに相応しい『使い捨ての地上げ屋』はいないじゃないか」
五代の目は、すでに幕張の先の、遥か深い『成田の泥沼』を見据えていた。
「幕張で思う存分暴れさせ、腹を空かせた頃に……私が再び、極上のエサ(札束)を投げてやろう。『成田の農民どもの家に、毎日ダンプで突っ込めばカネをやる』とね。……そうすれば彼らは、喜んで血みどろの泥仕事(昭和の地上げ)をやってくれるさ」
幕張の泥から、成田を焼き尽くす最悪の猟犬が産声を上げた。
千葉全土を巻き込む、インフラ屋の終わらない炎が、今、静かに燃え広がっていく。




