第225話 :泥まみれの聖戦(1年戦争)と、見えない絞首刑
——それは、インフラ史において最も長く、最も陰湿な「365日」の始まりだった。
千葉県・成田。
空港ターミナルへと続く広大な地下空間の掘削現場。その地上では、過激派の残党たちが火炎瓶と鉄パイプを手に、工事車両の行く手を阻んでいた。
「退けッ! 貴様らインフラ企業に、この神聖な土は一歩も踏ませないぞ!!」
怒号と炎の照り返しを、泥まみれの作業着を着た若き技術者・成田は、安全なプレハブの中から氷のような目で見つめていた。
「成田さん……! 奴ら、完全に徹底抗戦の構えです。強行突破しますか!?」
血気盛んな現場監督が息巻くが、成田は静かに首を振った。
「馬鹿を言え。我々は民間企業だ。表立って血を流せば、開業後にこの鉄路がどうなるか分かるだろう。……手出しは一切無用だ」
成田は、現場監督を鼻で笑った。
「あいつらの資金はすべて現金、寝床はシンパの農家の納屋、食料や燃料も地元の顔役を通じた地下ルートだ。警察の真似事をしたところで痛くも痒くもない。……だから、『裏』から枯らすんだ。あいつらの物理的な地下水脈をな」
成田は、五代から渡された『裏金の入ったジュラルミンケース』をバンッと机に置いた。
「過激派どもに火炎瓶の空き瓶を横流ししている地元の酒屋、灯油を現金で売っているガソリンスタンド、コメや野菜を恵んでいるシンパの農家……。そのすべてを洗い出し、この『赤いヤクザの札束』で片っ端から買い叩け。言い値の10倍の現金を積んで、奴らへの販売を一切拒否させろ」
「……!!」
「それでも首を縦に振らない筋金入りのシンパには……五代の若い衆(表のヤクザ)を使って、別の『合法的かつ陰湿な嫌がらせ』で店を畳ませろ。我々(京成)は一切表に出るな。すべては『地元の人間関係のトラブル』として処理するんだ」
成田の目は、完全に闇に染まっていた。
物理的な補給線を絶たれれば、いくら精神論を掲げても、冬の成田の寒さと飢えには勝てない。
「……食料と燃料が底を尽き、極限のストレスに晒された集団がどうなるか、知っているか?」
成田は、窓の外で火炎瓶を振るう過激派たちを、まるで実験動物を見るような目で観察した。
「そこに、たった一つの噂を流し込む。『幹部の誰かが、京成から裏金を受け取って食料を独り占めしている』……とな」
現場監督は、ゾッと背筋が凍るのを感じた。
「奴らは勝手に疑心暗鬼に陥り、裏切り者を探し出し、狭いアジトの中で殺し合い(内ゲバ)を始める。我々が直接手を下す必要はない。……奴らは勝手に、泥沼の底で自滅していくんだ」
開業後の報復(火の海)など起きるはずがない。
なぜなら、テロリストたちは我々に排除されるのではなく、飢えと疑心暗鬼の末に、【自分たちの仲間同士の殺し合い(内ゲバ)】で勝手に全滅するのだから。
誰からも恐れられ、完全に孤立した若き英雄は、たった一人でこの「血の流れない虐殺」を指揮し、1年間の泥沼のカウントダウンを冷酷に進めていくのであった。
***
一方、その泥沼から遠く離れた、東京湾岸——幕張。
成田の現場で怒号が飛び交っているその頃、こちらでは重機の音ひとつ響いてはいなかった。
ただ、静かに、そして致命的な『見えない絞首刑(地上げ)』が蠢いていた。
品川の専務室。
五代は、壁一面に張り出された巨大な「新木場〜蘇我」の湾岸ルート図を前に、最高級のブランデーを揺らしていた。
「……五代専務。Bブロックの地権者ですが、やはりあの頑固オヤジ、首を縦に振りません。相場の3倍の額を提示しても、『先祖代々の土地だ』の一点張りで……。いっそ、若い衆を使って脅しでもかけますか?」
黒スーツの部下の提案に、五代は酷薄な笑みを浮かべ、あきれたようにため息をついた。
「脅しだと? 野蛮なことを言うんじゃない。我々は美しいインフラ企業だよ? 後でマスコミに泣きつかれでもしたら、計画がパーじゃないか」
五代は赤ペンを手に取ると、地図上のその地権者の区画を、ゆっくりと丸で囲んだ。
「……裏から回れ。あのオヤジの息子が、駅前で小さな町工場を経営していたね? ダミー会社を使って、その町工場の『債権(借金)』を片っ端から買い集めたまえ。……そして来月、一斉に貸し剥がし(資金回収)を行うんだ」
「……あ!」
「息子が不渡りを出して首を吊る寸前になった時、私が『善意の第三者』として、あのオヤジにそっと手を差し伸べてあげよう。息子の借金を肩代わりする代わりに、あの先祖代々の土地を、相場の『半額』で譲ってくれませんか、とね」
五代は、誰の血もついていない綺麗な手で、ブランデーグラスを傾けた。
「脅す必要などない。彼らは『自ら』、涙を流して感謝しながら、私に土地を差し出すことになる。……それが、一番美しくて後腐れのないインフラの作り方だよ」
インフラの表と裏。
成田の『冷酷な兵糧攻めと内ゲバ誘導』と、幕張の『笑顔の債権回収(地上げ)』。
自らの手は一切汚さず、相手を裏から完全に社会的に殺す、地獄の365日が幕を開けた。




