表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

217/246

第217話 :泥濘(でいねい)の査問会と、驕れるドン

京成電鉄本社、特別会議室。

窓は重厚なブラインドで閉ざされ、室内に立ち込める空気は、まるでタールのようにねっとりと重く、息苦しかった。

「——答えろ、成田。貴様、自分が何をやったのか分かっているのか?」

長大なマホガニーの円卓。その上座で、獲物をいたぶる蛇のような、ねばついた声が響いた。

声の主は、保守派閥を牛耳る筆頭常務——京成の『ドン』である。

彼の背後には、腹心である三人の側近たちが、薄ら笑いを浮かべて腕を組んでいた。

円卓の反対側、ただ一人ポツンと座らされている若き技術者・成田は、血の気が引いた顔で俯き、沈黙を守っていた。

「我が社が血と汗を流して測量した『幕張の海図』。それを、あろうことか外部の人間……あの京急の赤いヤクザ(五代)に売り渡すとは。これは明白な背任行為であり、我が社への反逆だ!」

ドンが机をバンッと叩く。

しかし、その顔に怒りはない。あるのは、目障りな若造を合法的に排除できるという、下劣なまでの歓喜だった。

「だいたい貴様は、昔から現場、現場とうるさかった。会社という組織の『政治』を理解しようとしない。我々がどれほど苦労して、あの成田の『ヤミ組織』との関係をコントロールし、この会社の安全スカイライナーを守ってきたと思っている?」

ドンの言葉に、側近の三人が深く頷く。

「五代などという狂犬に尻尾を振って、我が社の資産をタダで売り渡すとは……万死に値するな」

(……タダじゃない)

成田は、膝の上でギュッと拳を握りしめた。

若造が会社の海図をタダで献上した? 違う。五代専務が提示した条件は、京成にとって喉から手が出るほど魅力的な、そして恐ろしい「悪魔の契約」だった。

『京成津田沼から幕張への新路線延伸』——将来的に莫大な運賃収入を生み出す黄金の鉄路を京成に敷かせる。

そして何より、幕張に巣食っている成田闘争絡みの総会屋や過激派といった、血の流れる面倒な泥仕事。その『火中の栗』を、京急が自らの手で、すべて拾い上げて焼き払ってくれるというのだ。

一番ヤバい連中の相手は全部京急の狂犬が引き受け、京成は綺麗になった幕張へ線路を繋ぐだけでいい。

そんな、会社の未来を決定づける超特大の譲歩を、成田は懐に隠し持っていた。

『——いいか成田。査問会では、絶対に俺からの譲歩を口にするな。ジジイどもが殴り疲れるまで、ただのサンドバッグになれ。一切反論するな』

数日前、横浜の社長室で葉巻を吹かしながら、悪魔のように微笑んだ五代の言葉が脳裏をよぎる。

(……五代専務。あなたの言う通りでした。この人たちは、会社の未来なんてどうでもいい。ただ、自分たちの保身と、成田のダニどもに流す『裏金のパイプ』を守りたいだけなんだ)

成田が唇を噛み締め、一切の反論をしないのをいいことに、ドンの驕りはついに絶頂に達した。

「……ふん。ようやく自分の愚かさに気づいたか。遅すぎるがな」

ドンは鼻で笑い、高級なシルクのネクタイをゆっくりと締め直した。

若造の心は完全に折れた。これで目障りな改革派の火種は完全に消え、幕張の利権も、成田の裏工作の主導権も、すべて我々保守派のものとなる。

「貴様には処分を言い渡す価値もない。クビだ。……今から社長室へ行き、直々に引導を渡す手はずを整えてこよう」

ドンは立ち上がり、側近たちを引き連れて、意気揚々と会議室のドアへ向かった。

ドアノブに手をかけた瞬間、ドンは振り返り、ゴミを見るような目で成田を見下ろした。

「若造。インフラってのはな、正義や技術で動くんじゃない。……泥に塗れた『政治』で動くんだよ。二度とこの会社に近づくな」

バタン、と重い扉が閉まる。

廊下を歩くドンの足取りは、羽が生えたように軽かった。

彼の頭の中は、これから社長室で『成田がヤミ組織と組んでスカイライナーを燃やそうとした』という嘘八百を並べ立て、社長に処分へのハンコを捺させるという、完璧なシナリオで満たされていた。

この時、驕り高ぶるドンは知る由もなかった。

自分が向かっている社長室に、五代という本物の悪魔が仕掛けた【決して逃れられない生殺しのギロチン(裏帳簿)】が、ねっとりと口を開けて待ち構えていることなど——。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ