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第214話 :幻の海図と、ずぶ濡れの裏切り者

お待たせしました。

叩きつけるような豪雨が、品川のネオンを泥水の中に溶かしていた。

京急本社ビルの裏手。人目のつかない地下搬入口に停められた黒塗りのセンチュリーの前に、一人の男が立っていた。

傘も差さず、トレンチコートをずぶ濡れにしたその男——京成電鉄の若き計画者、成田は、まるで何かに憑かれたような双眸で、車の後部座席から降りてきた五代専務を睨みつけた。

「……遅いですよ、五代専務。雨水で中身がイカれちまうところでしたよ」

成田は、コートの懐から厳重に防水処理された分厚いファイルケースを取り出し、センチュリーの濡れたボンネットに乱暴に叩きつけた。

「なんだ、そりゃあ」

「ウチのジジイども(京成上層部)が、金庫の奥底に封印していた『過去の遺物』ですよ。実家の極秘書庫から、さっきパクってきました」

五代が葉巻を咥えたまま、ケースの留め金を外す。

中に入っていたのは、カビの匂いが染み付いた古びた青焼きの図面と、膨大な地質調査のデータ群だった。

表紙には、極秘のスタンプと共にこう記されている。

『東陽町・千葉寺間新線 敷設計画・最終地質報告書』

「……ほう」

五代の喉の奥から、低く獣のような声が漏れた。

かつて、京成電鉄が千葉の鉄道網の勢力図を完全に塗り替えるべく、社運を賭けて計画し……そして、莫大なコストと政治的圧力の前に挫折し、歴史の闇に葬り去られた「幻のバイパスルート」。

東京の地下(東陽町)から、東京湾岸のヘドロの底を一直線にブチ抜き、幕張を掠めて千葉寺へと至る、インフラ屋にとっての『完璧な海図』がそこにあった。

「……成田。こいつの価値が分かってんのか。これは単なる紙切れじゃねえ。東京湾の地下のどこに杭を打ち、どこを掘れば一番早く、一番安く幕張へ到達できるか。地盤の強度から地下水脈のデータまで……その全ての『最適解』が詰まった劇薬だぞ」

五代の鋭い視線が、ずぶ濡れの成田を射抜く。

「このファイルを俺(京急)に渡せば、お前はもうただの産業スパイじゃ済まねえ。完全に京成の裏切り者だ。実家のジジイどもは激怒し、間違いなくお前を査問会クビにかける。……インフラ屋としての人生が終わるぞ」

「終わらせるために、持ってきたんですよ」

雨水を滴らせながら、成田は狂ったように笑った。

寒さからか、それとも極度の興奮からか、彼の肩は小刻みに震えていた。

「あの保守的なジジイどもは、この完璧なルートを『金がかかる』の一言でゴミ箱に捨てた。私はね、五代専務。自分の会社員としての首なんてどうでもいい。……ただ、この『幻のルート』に、最高速のモーターを積んだ1435ミリ(標準軌)の赤い弾丸が、140キロでカッ飛んでいく姿を見たいだけなんだ!」

自分のクビを代償にしてでも、封印されたインフラを現実のコンクリートに変えたい。

それは、技術者としての究極のカルマだった。

「……見事な狂いっぷりだ。お前のその『手土産』、確かに俺が買い取った」

五代は図面を乱暴に掴み取ると、獰猛な笑みを浮かべた。

「これで……勝負はついたな」

「勝負?」

「ああ。幕張で、国鉄のバカが散らかした赤字の尻拭いをしている、生意気なファンドのエース(ジョウカ)がいる。奴は今頃、莫大なカネと時間をかけて、一から幕張の地盤を調べ、チマチマと『幕張再建の最適解』を計算している真っ最中だ」

五代は、濡れた図面についた雨の雫を指で弾き飛ばした。

「だが、お前が命がけでパクってきたこの『海図』のデータがあれば、奴が数ヶ月かける調査と計算を、俺たちは『ゼロ秒』でスキップできる。……俺は今夜中に、ジョウカより早く、奴とほぼ同じ『幕張の最適解』の図面を書き上げ、明日の朝一番で大蔵省と地元の馬鹿ども(代議士)にハンコを押させる」

五代の口角が、悪魔のように吊り上がった。

「そして、その認可済みの計画書を金庫に隠したまま……ジョウカが苦労して計算を終え、意気揚々とプレゼンを開く『その前日』まで、あえて黙って待ってやる。エリートのへし折れた顔を見るのが、今から楽しみでならねえよ」

成田の持ち込んだ過去の遺産が、五代に「時間をワープする力」を与えた。

ジョウカの完璧な計画が産声を上げる前に、すでに首にロープがかけられた瞬間だった。

「……せいぜい震えて待ってろ、成田。お前の査問会が開かれる頃には、幕張にはもう、俺たちの赤いレールが敷かれ始めてるぜ」

土砂降りの雨の中、センチュリーのドアが重々しい音を立てて閉まった。

ずぶ濡れで立ち尽くす裏切り者の背後で、東京湾の覇権を揺るがす巨大な歯車が、狂ったような速度で回転し始めていた。

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