第211話 :西の関ヶ原(11) 最悪の梯子外し、あるいは干からびた盲腸
東京都庁(仮庁舎)、都市計画局の特別会議室。
西武のドンは、自信に満ちた足取りで入室した。彼の手には、自社の莫大な資金を投じて「無菌室」へと浄化し終えた、西武新宿駅前・新広場の完成写真が握られていた。
長机の向かいには、東京都の幹部たち、そしてこの都庁プロジェクトの共同推進者である小田急の常務・御子柴が座っている。
「……お待たせした! 約束通り、我々西武は歌舞伎町一帯のいかがわしい店をすべて物理的に排除し、新都心に相応しい健全な玄関口を造り上げたぞ!」
ドンは鼻息荒く、写真を机に叩きつけた。
「さあ、いよいよ『西口への地下連絡線』の着工だ! 合同ボーリング調査のデータも出揃ったと聞いている。すぐにでも東京都の認可のハンコを……」
「……西武社長。大変申し上げにくいのですが」
ドンの言葉を遮ったのは、御子柴の氷のように冷たい声だった。
御子柴は、分厚い地質・構造調査の報告書を、無造作にドンの前に滑らせた。
「西武新宿駅から西口へ至る地下ルートの調査結果です。結論から申し上げますと……西武さんの地下連絡線を西口へ通す空間は、【物理的に1ミリも存在しませんでした】」
「……は?」
ドンは間抜けな声を漏らし、報告書をパラパラと捲った。そこには、赤ペンで容赦なくバツ印が引かれた地下断面図があった。
「国鉄(JNR)新宿駅の異常な数の基礎杭。網の目のように走る営団地下鉄のトンネル網。さらに、現在着工中の都庁用・巨大地下駐車場と西口広場の基礎構造。……これらが完全に地下空間を塞いでおり、シールドマシンを通す隙間はありません。他社のインフラ杭を一本でも傷つければ新宿駅が陥没します。……つまり、技術的に接続は【不可能】です」
会議室が、水を打ったように静まり返った。
数秒遅れて、ドンが報告書の意味を理解し、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「な、なんだと!? ふざけるな!! 西口に繋げてくれる約束だったじゃないか!! そのためにウチは、西武の莫大な自社資金で、ドル箱だった歌舞伎町の店を全部追い出したんだぞ!!」
激昂し、唾を飛ばす西武のドン。
しかし、東京都の幹部たちは冷ややかな目でドンを見つめ、御子柴に至っては、一瞬だけ唇の端を吊り上げて薄く笑った。
「……お言葉ですが、我々は『西口乗り入れの可能性を合同調査する』と約束しただけです。物理的に掘れない岩盤と杭を退けることなど、神でなければ不可能だ。……違いますか?」
「だ、騙したなッ! お前ら、最初から新宿の地下が超過密状態で、ウチの路線なんか通せないと分かっていたんだろう!! 官庁街の隣のドブさらい(浄化作戦)を、ウチのカネでタダでやらせただけじゃないか!!」
ドンの悲痛な叫びが会議室に響く。
まさにその通りだった。相鉄と小田急は、最初から「絶対に繋がらない幻のニンジン」をぶら下げ、西武に自らのシマを破壊させたのだ。
御子柴は立ち上がり、冷酷な目で見下ろすように言い放った。
「……何はともあれ。西武さんの多大なるご尽力のおかげで、新都心・新宿の治安は劇的に向上し、素晴らしい無菌室が完成しました。街の浄化資金のご提供、心より感謝申し上げます。東京都も、小田急も、大喜びですよ」
ドンは、その場に力なく崩れ落ちた。
目の前が真っ暗になる。
手元に残されたのは、莫大な再開発の借金と、欲望の熱気を完全に失い「誰も来なくなった真っ白な広場」だけ。西武新宿線は、客を呼ぶ最大の武器(歌舞伎町)を自ら殺菌し、永遠に西口へ行けない【干からびた盲腸線】として、新宿の北外れで完全に孤立・餓死する運命を決定づけられたのだった。
「……あ、ああ……俺の、俺の街が……」
ドンの虚ろな呟きだけが、会議室の冷たい床に吸い込まれていった。
西東京を巡るインフラ戦争において、西武鉄道は、最も無様で、最も残酷な形で完全に「退場」したのである。




