第210話 :西の関ヶ原(10) 地下の迷宮、あるいは国鉄(JNR)の絶対防壁
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深夜。西武新宿駅の地下深く。
冷たい土の匂いと、ボーリング(地質調査)ドリルの重低音が響く薄暗い仮設トンネルの中で、西武鉄道の技術責任者は、上がってきたばかりの音波探査と地質データを見て、全身の血の気が引くのを感じていた。
「……おい。なんだ、これは」
図面を握る彼の手が、ガタガタと震えている。
「主任、どうしました? 早く『西口への連絡線』のシールドマシンを通すルートを確定させないと、社長が……」
「馬鹿野郎!! ルートだと!? 通せるわけがないだろう!! この図面をよく見ろ!!!」
技術責任者が叩きつけたデータシートを覗き込んだ若手エンジニアもまた、数秒後には顔面を蒼白にさせた。
西武新宿駅から、夢の西口新都心(都庁エリア)へ至る、わずか数百メートルの地下空間。
そこは、土ではなく【巨大なコンクリートの密林】だったのだ。
「……なんだ、この異常な数の基礎杭は……!」
「国鉄(JNR)新宿駅だ。あいつら、戦後のドサクサでどんだけ過剰な強度のコンクリート杭を地下深くまで打ち込んでやがるんだ……! しかも、その隙間を縫うように、営団地下鉄(丸ノ内線)のトンネルが壁のように横たわっている……!!」
データが示す地下構造は、まさに絶望の迷宮だった。
さらに最悪なことに、西口側には東京都が威信を懸けて進めている【都庁用の巨大地下駐車場と、西口地下広場】の分厚い基礎構造物が、すでに蓋をするように設計・着工されようとしていた。
「……国鉄の絶対防壁、地下鉄のトンネル、そして都庁の巨大地下空間……。これらが知恵の輪のように複雑に絡み合い、西武線のシールドマシン(掘削機)を通す『空間』など……物理的に、1ミリも存在しない……!!」
技術責任者は、土にまみれたヘルメットを抱え、その場にへたり込んだ。
「岩盤なら、ダイナマイトで砕ける。だが……他社のインフラ(国鉄や地下鉄)の基礎杭を1本でも傷つければ、新宿駅そのものが陥没する。……物理的に、絶対に、掘れないんだ……!!」
暗く冷たい地下壕の中で、技術者たちはついに【真実】に気づいてしまった。
……東京都も、小田急の御子柴も、最初から知っていたのだ。
新宿の地下が、これ以上1本の路線も通せないほどの『超過密状態』であることを。
(あいつら……最初から繋ぐ気など、1ミリもなかったんだ!! ウチの社長に『幻のニンジン』をぶら下げて、西武の莫大な自社資金で、歌舞伎町周辺のドブさらい(浄化作戦)をタダでやらせただけだ!!!)
「……主任。これ、社長に……どう報告するんですか……?」
若手エンジニアが、泣きそうな声で震えている。
地上では、西武のドンが「世界一綺麗な無菌室の広場」を見下ろしながら、今か今かと西口直結の知らせを待っている。自らの手でドル箱(歌舞伎町の熱気)を破壊し、マイナス40%という破滅的な赤字を垂れ流しながら、「あと少しでエリートがやって来る!」と狂信しているのだ。
「……言えるわけが、ないだろうが……!!」
技術責任者の絶望の叫びは、冷たい地下の闇に吸い込まれていった。
何千億円という借金と、失われた歌舞伎町の熱気。そのすべてが【完全な無駄骨】であったことが、コンクリートの壁という絶対的な物理現象によって証明された瞬間だった。
西武は、自ら首を括ったロープの長さに、ようやく気づいたのである。




