【第209話:西の関ヶ原(9) 無菌室の駅、あるいは消えた足音】
「……本日の乗降客数、前年同月比でマイナス40%。特に夜間帯の落ち込みは……壊滅的です。定期外(切符)の売り上げは、連日過去最低を更新し続けています」
西武鉄道本社。重苦しい空気が支配する会議室で、営業本部長が絞り出すように報告を読み上げた。
その手にあるグラフは、歌舞伎町の「浄化作戦」が完了した日から、まるで滝のように真っ逆さまに転落している。
「定期外の客……つまり、休日にカネを落としに来る『美味しい客』が、完全にウチの沿線から消滅しました。……当然です。駅を降りても、飲む場所も遊ぶ場所も、ネオンの光一つない『真っ白な空き地(広場)』しかないんですから。わざわざ西武線に乗って、誰もいないタイル張りの広場を見に来る物好きなど、どこにもいません……!!」
本部長の声には、悲痛な怒りが滲んでいた。
彼らが莫大な借金(浄化資金)を背負って造り上げたのは、世界一綺麗で、世界一つまらない【無菌室の駅】だった。
かつて、西武新宿駅の改札には、ギャンブルで勝って意気揚々と街へ繰り出す男たちや、夜の街の熱気を求める若者たちの熱気が溢れていた。改札を抜ければ、むせ返るような焼き鳥の匂いと、ネオンの海が広がっていた。
それが西武線のアイデンティティであり、生命線だったのだ。
しかし今、その改札口にあるのは「不気味なほどの静寂」だけだ。
ピカピカに磨かれた大理石の床に、ポツン、ポツンと、まばらな通勤客の足音が空しく響くだけ。改札横の売店の売り上げすら、スズメの涙ほどに激減していた。
「……黙れ。貴様らは、本当に目先の小銭しか見えない三流の能無しどもだな」
ドンッ! と、机を叩く音。
上座に座る西武のドンは、激減する売上グラフなど鼻で笑い飛ばした。
「今は『過渡期』だ! あの薄汚い連中(客)が消えたのは、我々の駅が三流から一流へと脱皮した証拠じゃないか!!」
「しゃ、社長! しかしこのままでは、西武新宿線の維持すら……!」
「うるさい!!」
ドンは血走った目で、会議室の壁にデカデカと貼られた【東京都庁・西口連絡線プロジェクト】の完成予想図を指差した。
「あと少しだ……! あと数ヶ月で、東京都と小田急主導の合同ボーリング調査が終わり、西口への『地下連絡線』の工事が始まる!! そうなれば、この無菌室の広場は、西口の巨大な官庁街と直結する【黄金の玄関口】に化けるんだ!!」
ドンの目には、狂気じみた希望の光が宿っていた。
「そうなれば、あんな泥臭い酔っ払いどもの小銭など必要ない!! エリート官僚や、大企業のビジネスマンたちが、高級なスーツを着てこの西武・新広場を闊歩する! 彼らが落とす莫大なカネで、ウチの沿線も高級住宅街へと生まれ変わるんだ!! ……それまでの辛抱だ。ただ、耐えろ!!」
……ドンは気づいていなかった。
その「エリート官僚」たちが、わざわざ西武線に乗って【埼玉の奥地】へ向かう理由など、この宇宙のどこにも存在しないという残酷な事実に。
そして何より。
彼らが命綱としてすがりついているその【西口への地下連絡線】が、最初から「物理的に絶対掘れない幻のニンジン」であるという、最もおぞましい事実に。
数週間後。
西武のドンが全幅の信頼を寄せる「合同ボーリング調査(地質・構造調査)」のチームが、西武新宿駅の地下深くへ、巨大なドリルを突き立てた。
それが、西武の息の根を完全に止める【絶望の扉】を開く行為だとは知らずに。
未定




