第206話 :西の関ヶ原(6) 踊るドンたち、あるいは幻の地下連絡線
赤坂の奥座敷。一見さんお断りの最高級料亭『松ヶ枝』。
重厚な静寂に包まれたVIPルームの上座で、小田急電鉄の社長――『新宿のドン』が、豪快に盃を干した。
「……なんだと!? 東京都庁が、新宿西口に来るだと!?」
ドンの口から極秘裏に明かされた【東京都庁・新宿移転計画】に、同席していた京王電鉄のトップは目を見開き、西武鉄道のトップは息を呑んだ。
「そうだ。しかもただの移転じゃない。西口一帯を巨大な『新都心』として生まれ変わらせる、国家規模のビッグプロジェクトだ」
小田急のドンは、いかにも太っ腹な態度で笑ってみせた。
「そして都は、この歴史的偉業を成し遂げるため、『地元インフラ企業の総力を結集した再開発』を求めてきている。……どうだ京王さん。西口の広場と巨大な地下連絡通路の再開発、ウチと『折半』でやらないか? 都庁直結という栄誉、小田急だけで独占するのは忍びないんでね」
京王のトップは、瞬時に頭の中で「欲望の計算」を弾き出した。
(小田急だけに都庁の利権を独占されてたまるか! 半分金を出せば、京王線も『都庁直結路線』としてブランドが爆上がりする! ここは沿線開発の予算を削ってでも乗るべきだ!)
「……ありがたいお話です。西口のもう半分の顔として、京王も全資本を懸けて『新宿の地上げ』に協力しましょう」
京王のトップが、深く頷いた。
「ガッハッハ! そうこなくちゃな! ……で、西武さんもどうだ?」
小田急のドンは、歌舞伎町側(東口の北外れ)で長年孤立している西武のトップに、ねっとりとした視線を向けた。
「西武新宿駅から西口への『悲願の地下連絡線』……今回の都庁プロジェクトのドサクサに紛れて、ウチが東京都にハンコを押させてやる。どうだ?」
その一言に、西武のトップは血走った目で身を乗り出した。
「ほ、本当か!? 小田急さんが西口への乗り入れを容認してくれるというのか!?」
西武にとって「新宿駅西口への乗り入れ」は、数十年来の悲願であり、これまで何度も計画しては国鉄や地下鉄の壁に阻まれてきた【幻のニンジン】だった。
「ああ、本当だ。……その代わり、西口の再開発資金の一部と、お前らの庭である『歌舞伎町周辺の浄化(クリーン化)』の資金を出せ。官庁街の隣に、みすぼらしいネオン街やいかがわしい店は残しておけんからな。警察と一緒に、徹底的に掃除しろ」
西武のトップは、喉をゴクリと鳴らした。
(数十年来の悲願である西口接続が叶うなら、安いものだ! 歌舞伎町の怪しい店を全部追い出して綺麗な街にすれば、西武のブランド価値も一気に跳ね上がる!)
「……乗った! その話、西武も全力で一枚噛ませてもらうぞ!! 歌舞伎町はウチの責任で、塵一つない綺麗な街に浄化してやる!!」
小田急、京王、西武。
新宿を牛耳る三つの巨大資本のトップたちが、欲望とプライドに目を剥き出しにしながら、「新宿のドブさらい(莫大な出血)」という名の【美しき墓標への署名】を交わした瞬間だった。
「よし、決まりだ! 我ら三社の力で、新宿を綺麗で完璧な永遠の都にするぞ!!」
「新宿の栄華と、我々の未来に!!」
「「「乾杯ッッッ!!!!」」」
高級な日本酒が注がれた盃が、高らかに打ち鳴らされる。
彼らは誰も気づいていなかった。その盃に注がれているのが、致死量の猛毒であることに。
部屋の隅で控えていた小田急の常務・御子柴は、薄暗い影の中で、三人のドンたちの狂喜乱舞を静かに見つめていた。
(……狂え。踊れ。新宿の血と肉を、自分たちの手で削ぎ落とせ)
御子柴は、氷のように冷たい目で西武のトップを見据えた。
(西口への地下連絡線など、最初から物理的に不可能だ。都庁の巨大な地下駐車場と国鉄の基礎杭が複雑に絡み合い、掘るスペースなど1ミリもない。……お前たちは、絶対に繋がらない『幻の路線』のために、自らのドル箱である歌舞伎町の熱気を殺菌し、自ら干からびて死ぬんだ)
そして、京王。
(お前たちも、都庁への莫大な投資で身動きが取れなくなり、ただの『平日用の通勤土管』に成り下がる。休日の美味しい客はすべて、ウチと相鉄が『新調布』で頂く)
「……すべては、相鉄(あの男)のシナリオ通りに」
御子柴の誰にも聞こえない呟きは、ドンたちの下品な笑い声に掻き消された。
西東京の命運を決める、地獄の釜の蓋が、完全に開いた。




