第17話 天空の黒船と、最高級のおもてなし
昭和42年(1967年)。
横浜ランドマークタワーのオフィステナントは、五代の「インテリジェント・ビル戦略」により、外資系コンピュータ企業や金融機関で埋まった。
次なる課題は、タワーの最上層部(45階〜50階)を占める**「ホテル」**だ。
京急本社・応接室。
そこに漂う空気は、さながら幕末の開国交渉のように張り詰めていた。
「……NOだ。話にならない」
書類をテーブルに叩きつけたのは、世界的なホテルチェーン**『インター・オーシャン(仮名)』**のアジア地区担当副社長、ジョーンズだ。
彼らは「ホテルの中のホテル」と呼ばれる超高級ブランド。横浜に誘致できれば、街の格は一変する。
「Mr. ゴダイ。君たちの提案はクレイジーだ。……客室数が多すぎるし、一部屋が狭すぎる。それに『大浴場』だと? 我々はラグジュアリーホテルだ。温泉旅館じゃない」
ジョーンズは葉巻をくゆらせながら、侮蔑の目を向けた。
「横浜ごときローカルな街に、我々のブランドを貸すだけでも感謝してほしいものだ。……条件は、全ての設計を我々のマニュアル通りにすること。そして、運営権は100%我々が持つことだ」
同席していた京急のホテル担当部長が、悔しそうに唇を噛んでいる。
完全な不平等条約だ。これでは京急はただの「場所貸し」になってしまう。
「……ジョーンズさん」
俺(五代)は、静かにコーヒーカップを置いた。
「あなたの言う『世界基準』とやらは、本当に顧客のためなんですか?」
「何?」
「あなたは日本を知らない。……日本のビジネスマンや富裕層は、欧米式の『ただ広いだけの部屋』や『チップ文化』を求めていない」
俺は、別の図面を広げた。五代が書き直した、日本独自のアレンジを加えたプランだ。
「我々が提案するのは、**『和魂洋才』**のホテルです」
1.ハードは欧米流
部屋の広さはジョーンズの要求を飲む。ベッドも最高級のキングサイズを入れる。
2.ソフトは日本流
チップ廃止(サービス料込み)。
コンシェルジュだけでなく、日本式の細やかな「仲居」サービスを導入する。
そして、最上階には展望大浴場ではなく、**「スパ&サウナ」**という名の実質的な大浴場を作る。
「Mr. ジョーンズ。日本人は風呂が好きだ。……ビジネスで疲れたエグゼクティブが、海を見下ろすジャグジーでシャンパンを飲む。これが『クール』じゃないですか?」
「……スパ&サウナ……」
ジョーンズが髭をさすった。言い方を変えただけで、少し興味を示したようだ。
「それに、食事だ」
俺は畳み掛けた。
「あなたのマニュアルにある『冷凍ステーキ』なんて出させない。……三崎のマグロ、鎌倉の野菜、最高級の和牛。我々京急グループが持つ『食材ルート』をフル活用した、日本一のフレンチと懐石を出す」
「……君たちは、鉄道屋だろう? なぜそこまで食にこだわる?」
「鉄道屋だからですよ」
俺は真っ直ぐに彼の目を見た。
「我々は、人を運ぶだけじゃない。……『旅の感動』を作っているんです。ホテルはその終着駅だ。不味い飯を出されたら、旅が台無しになる」
ジョーンズは長い沈黙の後、ニヤリと笑った。
「……面白い。頑固なサムライだ」
「ビジネスパートナーと言ってください」
「よかろう。……ただし、条件がある」
ジョーンズは指を一本立てた。
「開業までの1年間、君たちのスタッフを我々のNY本店で研修させる。……もし一人でも落第したら、この契約は破棄だ。我々のサービスレベルについて来れるかな?」
「望むところです。……京急のド根性、見せてやりましょう」
* * *
こうして、京急の若手ホテルマンたちによる、地獄のNY研修が始まった。
一方、横浜の現場では、内装工事を巡って、海外デザイナーと京急の現場監督との間で、血で血を洗うような喧嘩が勃発しようとしていた。
「おい! 図面と違うぞ! なんでここに障子を入れるんだ!」
「うるせえ! 専務の指示だ! 『ここから富士山が見えるようにしろ』ってな!」
文化の衝突。言葉の壁。
みなとみらいの空に、職人たちの怒号が響き渡る。
だが、その熱気こそが、新しい街を生み出すエネルギーだった。
俺は建設中の高層階から、眼下の街を見下ろした。
オフィスは埋まった。ホテルも決まった。
だが、街作りにはまだ足りないものがある。
**「賑わい」だ。
オフィスとホテルだけでは、ただの「高級な箱」だ。
一般の市民、買い物客、家族連れが楽しめる「商業施設」**が必要だ。
しかし、それは同時に、横浜の既存勢力……伊勢佐木町や元町の商店街との全面戦争を意味していた。
「……次は内戦か」
俺はヘルメットの顎紐を締めた。
外資との戦いの次は、身内(地元)との戦い。
大京急帝国への道は、まだまだ平坦ではない。




