第16話 空っぽの摩天楼と、コンピュータという名の餌
昭和42年(1967年)。
横浜の埋立地に、鉄骨の怪物が姿を現し始めていた。
薬液注入工法で地盤を固めた上に、着々と組み上がる**『横浜ランドマークタワー(仮称)』**。
だが、京急本社・不動産開発部の空気は、お通夜のように暗かった。
「……ダメです、専務。また断られました」
営業部長が、机に突っ伏して泣きそうな声を上げた。
「丸の内の商社、大手の銀行、保険会社……。どこに行っても門前払いです。『横浜? 都落ちする気はない』と……」
テナント入居率、現状0%。
これが現実だった。
当時のビジネスの中心は、あくまで東京(丸の内・大手町)。
横浜は「港町」「工場の街」であり、一流企業が本社機能を置く場所ではないという偏見が根強かった。
「このままでは、日本一高い『廃墟』が完成します。……五代専務、家賃を下げましょう。坪単価を半額にすれば、中小企業くらいは……」
「ならん」
俺(五代)は即答した。
「安売りすれば、ビルのブランド価値が下がる。一度入った安値のテナントは、二度と出ていかないぞ」
「ですが、客がいないんです!」
「客がいないなら、**『ここにしか入れない客』**を連れてくればいい」
俺は立ち上がり、一枚のリストを営業部長に投げ渡した。
「ターゲットを変える。……日本の古い企業じゃない。外資系の情報産業だ」
* * *
数日後。港区、外資系企業が集まるオフィス街。
俺は、世界最大手のシェアを誇る**「米国製コンピュータ企業」**の日本支社を訪れていた。
応接室に通された俺の前には、日本支社長のスミス(仮名)が座っていた。
彼らの作る大型汎用機は、世界のビジネスを変えようとしていた。
「……Mr. ゴダイ。用件は聞いています。横浜の新しいビルへの勧誘でしょう?」
スミスは流暢な日本語で、しかし冷淡に言った。
「残念ですが、興味はありません。我々のクライアントは東京にいる。わざわざ横浜まで行くメリットがない」
「メリットならありますよ。……**『床』**です」
「床?」
「ええ。御社がこれから日本で販売しようとしている、最新鋭の大型コンピュータ。……あれを導入するには、日本のビルはあまりに貧弱だ」
俺はニヤリと笑った。
スミスの眉がピクリと動く。
高度経済成長期、企業のコンピュータ導入が爆発的に進んでいた。だが、当時のコンピュータは巨大で、熱を持ち、大量のケーブルが必要だった。
「東京の古いオフィスビルは、天井が低く、床下に極太のケーブルを通す隙間がない。……それに、電源容量も足りない。御社のマシンを入れるには、床を剥がして大工事をしなきゃならない」
俺は、ランドマークタワーの断面図を広げた。
「見てください。このビルは、最初から**『フリーアクセスフロア(二重床)』を採用しています。床下に配線スペースが20センチある」
「さらに、地下には自家発電機と、コンピュータ室専用の『大容量空冷システム』**を完備している」
俺はスミスの目を覗き込んだ。
「東京の雑居ビルで、熱暴走に怯えながら計算しますか? ……それとも、横浜の要塞で、24時間ノンストップのデータセンターを構築しますか?」
これは、**「インテリジェント・ビル」**という概念だ。
史実では1980年代に普及する考え方を、俺は20年前倒しで導入していた。
500億の建設費がかさんだ原因はこれだ。だが、これこそが最強の武器になる。
「……フリーアクセスフロアだと? 日本のビルでそれを標準装備しているのか?」
スミスが身を乗り出した。
「電源容量は? 空調のゾーニングは?」
「全て米国基準です。……御社のマシンを並べるために作ったようなビルですよ」
スミスは沈黙した。
彼は技術者でもある。東京の劣悪なオフィス環境にうんざりしていたはずだ。
「……Mr. ゴダイ。君は鉄道屋じゃなかったのか?」
「ええ。ですが、ダイヤグラムを組むのと、コンピュータを組むのは似ていますから」
「……面白い。本社と相談するが、前向きに検討しよう」
* * *
その巨大企業との交渉が進むと、潮目が変わった。
「あの世界的なコンピュータ会社が、横浜にメインフレームの拠点を置くらしい」
その噂は、瞬く間に業界を駆け巡った。
次に食いついたのは、総合商社だ。
彼らは世界中と通信を行うため、強固な通信インフラを求めていた。
ランドマークタワー屋上のパラボラアンテナ設置スペースと、地下の通信回線網が彼らの心を掴んだ。
さらに、大手銀行のシステム部。
顧客データのバックアップセンターとして、東京から離れた横浜の堅牢なビルは理想的だった。
京急本社の不動産部。
かつてお通夜だった部屋は、今や電話のベルが鳴り止まない戦場となっていた。
「はい! 五大商事様ですね! 35階から40階、5フロア借り上げでよろしいですか!?」
「帝都銀行様、システムセンターのご入居ありがとうございます!」
営業部長が、嬉し涙を流しながら俺に駆け寄ってきた。
「専務……! 埋まりました! 第一次募集、完売です! しかも、坪単価は東京並みの高値で!」
「ああ。分かっている」
俺は、契約書の山を見た。
これで「オフィス」というビルの心臓部は確保した。家賃収入だけで年間数十億が入ってくる。
だが、まだ足りない。
オフィスは「平日・昼間」しか人がいない。
夜や休日、この街をゴーストタウンにしないためには、別の機能が必要だ。
「……部長。浮かれるのはまだ早いぞ」
俺はビルの上層階(45階〜50階)の図面を指差した。
「次はここだ。……この天空のフロアに、**『ホテル』**を入れる」
「ホテルですか? 京急系のビジネスホテルを?」
「違う」
俺は首を横に振った。
「世界中のVIPが泊まりに来る、超一流のラグジュアリーホテルだ。……海外の有名ブランドを呼ぶぞ」
横浜という街の格を一気に引き上げるためには、国内ブランドでは弱い。
海外の巨大ホテルチェーンを誘致し、横浜を「国際都市」として認めさせる。
次の戦いは、言葉も文化も違う外国人たちとの、タフな交渉だ。




