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第148話 『開門:沈黙の迎賓館と、見えない「壁」』

 昭和54年、春。

 箱根山頂の地下深く。鋼鉄の歯車(アプト式)に押し上げられた漆黒のプレジデントから、国家予算を握る政界のドンとメガバンクの頭取が降り立った。

 彼らが足を踏み入れたのは、『ハコネ・スカイ・ヴィレッジ』の最深部にして最高機密エリア――第3層『迎賓館ステート・ゲストハウス』。

 第1層の温泉テーマパークのような大衆の歓声もなければ、第2層のプレミアム・ラウンジのような成金趣味のシャンデリアも存在しない。

 そこにあるのは、箱根の原生林に完全にカモフラージュされた、堅牢無比な「要塞」だった。

「……ほう。随分と殺風景な出迎えだな、川島くん」

 政界のドンが、薄暗く重厚な廊下を見渡しながら呟いた。

 コンシェルジュはおろか、警備員の姿すら一人も見当たらない。あるのは、厚さ50センチの防音扉と、一切の装飾を排した幾何学的な空間だけだ。

「……お言葉ですが、先生。我々がご用意したのは『飾り』ではございません。『壁』でございます」

 相鉄のドン・川島が、葉巻の煙をゆっくりと吐き出しながら、冷徹な笑みを浮かべた。

「……ここ第3層は、箱根の最も硬い岩盤層をくり抜いて造られております。壁には軍事レベルの鉛と電磁波シールドが埋め込まれ、外部からのいかなる盗聴電波も、通信も、100%遮断いたします」

 川島の言葉に、頭取の目が鋭く光った。

「……なるほど。通信ができないということは、内部の人間が外部へ情報を漏らすことも物理的に不可能ということか」

「左様でございます。……加えて、この階層には『人間』のスタッフを極限まで排除しております」

 川島が指を鳴らすと、廊下の奥から音もなく、高見が敷設した『自動配膳用の地下小型軌道レール』に乗って、最高級の葉巻とブランデーが運ばれてきた。

「……掃除も、配膳も、すべて壁の裏側に仕込まれたインフラ(機械)が自動で行います。……人の口に戸は立てられませんが、機械は絶対に裏切りません。先生方がここで誰と会い、何を話し、どれほどの金が動いたか。……歴史の闇にすら残りません」

 これこそが、川島が本物の権力者たち(VIP)に突きつけた「究極の商品」だった。

 見栄っ張りの成金たちは「大衆に見られること(ショールーム)」に数百万の金を払う。

 だが、真の権力者たちが喉から手が出るほど欲しいのは、**「絶対に誰にも見られない、完全に秘匿された絶対安全圏」**なのだ。

 スウッ……。

 分厚い防音扉が開き、一行は迎賓館の最奥、『特別会議室』へと通された。

 窓の外には、誰一人立ち入ることのできない深い箱根の森と、芦ノ湖の静かな湖面だけが広がっている。望遠レンズも、マスコミのヘリコプターも、この森の木々を透かして内部を覗き込むことは物理的に不可能だ。

「……見事だ、川島くん。銀座の料亭も、赤坂のホテルも、もはやここまでの『沈黙』は用意できん。情報漏洩の恐怖に怯えることなく、心ゆくまで『国造り』の談義ができそうだ」

 政界のドンが、満足げにブランデーのグラスを傾けた。

「……して。これほどの『完璧な密室』を維持するための宿代だ。……一晩でいくらだ? 千万か? それとも億か?」

 ドンの問いに対し、川島は静かに首を振った。

「……先生。我々は鉄道屋、インフラ屋でございます。……紙幣ゲンナマなどという、ちっぽけなものは求めておりません」

「ほう?」

 川島は、自らの懐から一枚の分厚い『青写真ブループリント』を取り出し、重厚なテーブルの上に広げた。

 それは、神奈川県全域を網羅する、相鉄の次世代インフラ開発計画書――。

 新たな鉄道路線の認可、広大な山林の開発許可、そして、それを推し進めるための国家予算からの莫大な補助金の申請書だった。

「……この『ハコネ・スカイ・ヴィレッジ』の第3層は、先生方専用の隠れ家として、永久に無償でご提供いたします。……その代わり」

 川島は、ドンの目の前に、万年筆を静かに置いた。

「……この書類の右下に、先生の『判子』と『サイン』を頂戴したい。……それだけで結構でございます」

 金銭の授受ではない。

 「絶対的な密室と安全」というインフラを提供し、その対価として「国家の許認可(最強の利権)」を直接毟り取る。これこそが、相鉄というインフラ屋が箱根の山頂に独立国家を築き上げた、真の目的であった。

「……クックック。なるほど、えげつない男だ。お前はただのホテルマンではない。この国そのものを自分のレールに乗せようというわけか」

 政界のドンは、豪快に笑い声を上げながら、万年筆を手に取った。

「……悪くない。これほどの『要塞』を造り上げた男のレールになら、乗ってやる価値がある」

 サラサラと、万年筆が紙を滑る音が、防音室に響く。

 表では、大衆が数千円の風呂代を落とし、成金が数万円のワイン代を落としている。

 だが、この地下の密室では、たった一度のサインで、数百億円の国家予算(インフラ利権)が相鉄の手へと転がり込んでいた。

「……ありがとうございます、先生」

 川島は、サインのされた青写真を恭しく懐へ仕舞い込み、深く一礼した。

 大衆の活気、成金の見栄、そしてVIPの権力。

 三つの階層すべてをしゃぶり尽くす、箱根の巨大なインフラ要塞は、ここに完全なる「開門」を果たした。

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