第146話 『開門:成金たちの夜と、自爆のサンドトラップ』
昭和54年、春。
夜の帳が下りた箱根山頂。『ハコネ・スカイ・ヴィレッジ』の第2層・プレミアム・ラウンジは、紫煙とアルコールの匂い、そして肥大化したエゴが充満する異様な空間と化していた。
眼下のガラス張りショールームには、黄金色のライトに照らされた自分たちのスーパーカーが神々しく鎮座している。大衆はすでに寝静まったが、成金たちにとって、この「圧倒的な高みから自らの城を見下ろす」というシチュエーションこそが、最高の酒の肴だった。
「……見たかよ、昼間の連中の目を。俺のカウンタックに群がる有象無象どもをよ」
1本100万円のロマネコンティを水のように空け、完全に出来上がった赤いスーツの男が、隣の女の肩を抱き寄せながら周囲に響く声で嘯いた。
「俺の車の加速に比べりゃ、そこいらのポルシェなんて亀みたいなもんだ」
その言葉に、隣のテーブルでドンペリニヨンを煽っていた別の男が、グラスをテーブルに叩きつけた。
「……なんだと? 直線番長が偉そうに。箱根の急カーブじゃ、お前の腕じゃ崖下にダイブするのがオチだろ」
「あぁ!? 言ったなテメェ!」
赤いスーツの男が立ち上がる。女の手前、ここで引くわけにはいかない。酒の勢いと、見栄の張り合い。昭和の成金たちの最もリアルで、最も愚かな生態がそこにあった。
「よし、今すぐ芦ノ湖スカイラインで勝負してやる! 俺のテクニックを見せてやるよ!」
「上等だ! どっちが箱根の『王』か、教えてやる!」
激昂した二人の「バカ成金」は、コンシェルジュを突き飛ばさんばかりの勢いで自らの車の鍵を引ったくると、フラフラとした足取りで地下のショールームへと向かっていった。
司令室のモニター越しにそれを見ていた若手社員が、真っ青になって絶叫した。
「た、高見さん! マズいです! あの男たち、完全に泥酔した状態で峠に勝負に出ようとしています! 止めないと、一般道を走る深夜のトラックや対向車を巻き込んで、大惨事になります! ウチのビジネスモデルが根底から吹き飛びますよ!」
「……止めねえよ。止めりゃあ『相鉄は客を監禁するのか』と喚き散らして、ラウンジで暴れ出すだけだ」
現場監督の高見は、咥えタバコのまま、司令室のコンソールにある「ひとつのスイッチ」に手を掛けた。
「……バカは死ななきゃ治らねえ。だが、ウチの敷地内で死なせるわけにもいかねえし、外の公道で人を殺させるわけにもいかねえ。だから……**『ウチの裏庭で、安全に自爆』**させてやるんだ」
ガチャン。
高見がスイッチを押し込んだ瞬間、ショールームから外部へと通じる地下スロープの「誘導灯」の配列が、音もなく切り替わった。
ヴォォォォォォンッ!!
怒り狂った赤いカウンタックが、猛烈なホイールスピンと共にショールームを飛び出す。男の頭の中は、ライバルを打ち負かすことと、女にいいところを見せることで一杯だった。アルコールで視界は極端に狭まり、目の前の誘導灯だけを頼りにアクセルをベタ踏みする。
だが、彼らが突き進むのは、下界の公道へ繋がる出口ではなかった。
高見が硬い岩盤をダイナマイトでくり抜いて造り上げた、**「絶対に公道に繋がらない、私有地内の自爆用ループ線」**だった。
「……俺のテクニックを……見やがれぇぇっ!!」
時速100キロを超えて、最初の急カーブに突っ込む。泥酔した男の反射神経では、到底曲がりきれない鋭角だ。
キィィィィィィッ!! という悲鳴のようなスキール音。車体は完全にコントロールを失い、ガードレールのない暗闇へと真っ直ぐにすっ飛んでいく。
だが、その先にあるのは死の崖でもコンクリートの壁でもなかった。
ズサァァァァァァァァァッ!!!!!
赤い車体が突っ込んだのは、幅20メートル、深さ2メートルにわたって特殊な衝撃吸収セラミック砂を敷き詰めた、**『巨大なサンドトラップ(制動用砂地)』**だった。
猛烈な砂煙が上がり、圧倒的な摩擦抵抗が車速を一瞬で奪い取る。数千万円の愛車は、1ミリの傷もつかずに(ただし1ミリも動けない状態で)、呆気なく砂の中に沈黙した。
「……あ、あれ……? な、何だここは……動かねえぞ!?」
砂の中で空しくタイヤを空転させ、パニックに陥るバカ成金。
「……あいつは人を殺せねえ。せいぜい、自分のプライドを大量の砂に埋めるだけだ」
高見がニヤリと笑う。
すぐさま、闇夜に紛れて待機していた相鉄専属の大型レッカー車と、白い手袋をしたスタッフたちが、音もなく砂場へと近づいていった。
「……あいつを回収しろ。警察を呼ぶ必要はねえ。ウチの私道での『単独の立ち往生』だ」
司令室の奥で、川島社長がゆっくりと立ち上がり、冷酷な笑みを浮かべた。
「……お客様が夜道に迷って私道に入り込み、身動きが取れなくなったところを、我が相鉄が『献身的に救助』した。そういう体で、あいつを一番高い特別隔離室(サウナ付きスイート)へ放り込み、一晩中酒を抜かせろ」
川島は、葉巻の灰を無造作に落とす。
「……その『緊急救助費用』、『スイートの宿泊代』、そして『特殊砂の入れ替え清掃費』。明日の朝、シラフになって青ざめているあいつに、たっぷり請求してやる」
若手社員は、その光景に背筋が凍るのを感じた。
飲酒運転を「罪」として警察に突き出すのではない。彼らを人殺しにさせず、車も壊させず、ただ**「相鉄に命と車を救われた」という圧倒的な負い目(借金)**だけを植え付け、一生逃げられない「最高の金づる」として囲い込む。
バカ成金の自尊心を物理で砕き、インフラの収益として再利用する、完全無欠の錬金術がそこにあった。
「……さて。表の『狂犬』どもは、これで安全な檻に収まったな」
川島はメインモニターから目を離し、大衆の歓声も成金の罵声も一切届かない、地下数十メートルの『アプト式ヤード』の監視カメラへと視線を移した。
「……いよいよ、こんな無様な自滅すら許されない、『漆黒の国家意思』の到着だ」




