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第131話 通過駅の悲鳴と、次なる戦場への号砲

 昭和52年(1977年)、春。

 京急の『頂上快特(赤いバス)』が開通し、箱根の交通図が完全に塗り替えられてから二週間。

 小田急の絶望は、単に「駅の客が減った」というレベルでは済まなくなっていた。

「……ふざけるな! 冗談じゃないぞ小田急さんよ!!」

 箱根湯本駅の駅長室に、地元商店街の店主たちや、小田急系列の旅館の番頭たちが怒鳴り込んできていた。

「客が……観光客が、俺たちの頭上(専用高架)をスルーして、一気に山頂まで飛んで行っちまうんだよ! 湯本の土産物屋も、強羅の食堂も、今週の売り上げは例年の『1割』だぞ! 閑古鳥が鳴くってレベルじゃねえ、完全に干上がってんだ!!」

 店主の胸ぐらを掴みかからんばかりの剣幕に、駅長は冷や汗を流して平謝りするしかなかった。

 これこそが、京急の「乗り換えゼロ・山頂直行」というネットワークがもたらした、最も残酷な経済的連鎖だった。

 これまでは、乗り換えのために湯本や強羅で足止めを食らった客が、ついでに駅前で饅頭を買い、食堂で蕎麦を食っていた。つまり、小田急の「不便な乗り換え」というインフラの欠陥そのものが、谷間の町に巨大なカネを落とす『ビジネスモデル』になっていたのだ。

 だが、そのボトルネックが解消され、客が快適なシートに座ったまま山頂まで直行できるようになると、通過点である谷間の商業施設は、あっという間にその存在意義を失ってしまったのである。

 ***

 新宿、小田急電鉄本社。

 緊急招集された役員会議の空気は、まるでお通夜のように重く、そして血生臭かった。

「……湯本と強羅の系列ホテルで、キャンセルが相次いでいます。客は皆、京急の赤い路線バスが直接横付けしてくれる『山頂エリア(芦ノ湖・仙石原)』のホテルへ予約を変えているようです」

 報告を聞いた専務が、バンッ! と机を激しく叩いた。

「ええい、あの赤いバスマニアどもめ……! 交通インフラの利便性で負けたというのなら、残された手は一つしかない」

 専務の目が、ギラリと血走った光を放つ。

「……『終点(目的地)』を、ヤツらから奪い取れ」

 役員たちが息を呑む中、専務は箱根山頂の巨大な地図を広げた。

「どんなに乗り換えゼロで快適なバスを走らせようと、客が泊まる『ホテル』や、遊ぶ『観光地』がなければ、バスの価値はゼロになる。……芦ノ湖畔と仙石原の土地、そして独立系の旅館を、我々の資金力で片っ端から買収しろ! 京急のバスが横付けできないよう、箱根の『面』を我々の資本で完全に封鎖するんだ!!」

 もはや、鉄道とバスの技術的な戦いではなかった。

 小田急は、自らのプライドを捨て、莫大な資本力に物を言わせた「泥沼の土地・ホテル買収戦争」へと、完全に舵を切ったのだ。

 ***

 同じ頃、小田原ターミナルの屋上。

 眼下を絶え間なく出入りする赤いバスの群れを見下ろしながら、五代は懐中時計の蓋をパチンと閉じた。

「……そろそろ、小田急の連中も気づく頃だろうな」

「ああ」

 高見がタバコの煙を吐き出しながら、芦ノ湖の方角へと視線を向ける。

「交通の利便性で勝負にならないと悟った連中が次に出してくる手は、ガキの喧嘩と同じだ。……『目的地ホテルの独占と嫌がらせ』だな」

「ええ。我々が客を運ぼうにも、小田急系列のホテルが『京急のバスで来た客は泊めない。バスの乗り入れも禁止だ』と締め出しを食らわせてくるでしょう」

 五代はステッキを握り直し、不敵な笑みを浮かべた。

「……インフラの土台作り(小田原編)は終わりました。ここから先は、血で血を洗う『箱根山岳・リゾート開発戦争』の幕開けだ」

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