第13話 三崎の頑固親父と、三浦魚介切符の革命
昭和40年、秋。
三崎のマリン・ドームが開業して半年。
京急ホエールズの躍進と、ドームの物珍しさも相まって、三崎エリアへの輸送人員はうなぎ登りだった。
先日の「スーパー快特(ノンストップ運転)」の導入により、輸送体制も盤石だ。
だが、俺(五代)は満足していなかった。
試合終了後のドーム前駅。
貴賓室から、改札へと吸い込まれていく人波を見下ろしていた俺は、舌打ちをした。
「……チッ。帰るのが早すぎる」
隣にいた営業部長がビクッとする。
「は? 専務、何か問題でも? 輸送は順調ですが……」
「客を見てみろ。試合が終わったら、蜘蛛の子を散らすように駅へ直行している。……三崎の街には目もくれずにな」
俺は電卓を叩いた。
往復運賃2000円。ドームでの弁当代500円。
客単価は2500円止まりだ。
せっかく都心から70キロも離れた観光地まで客を運んでいるのに、これではただの「ピストン輸送」だ。地元にお金が落ちていない。
「……もっと客の財布の紐を緩めさせろ。胃袋を掴むんだ」
俺は営業部長に命じた。
「**『三浦魚介切符』**を作るぞ」
* * *
数日後。三崎港、魚市場の近くにある老舗寿司屋『魚河岸』。
俺は、地元の寿司屋組合の理事長でもある店主、**源蔵**と対峙していた。
ねじり鉢巻の似合う、頑固そうな職人肌の男だ。
「……お断りだ」
源蔵は、柳刃包丁を磨きながら言った。
「京急さんが何を企んでるか知らねえが、ウチらは今まで通り、地元の馴染み客相手に商売ができればいいんだ。一見さん(観光客)なんぞ、相手にしてる暇はねえ」
「本当ですか?」
俺は店内の閑散とした様子を見回した。
「三崎の漁業は斜陽だ。地元の客も減っている。……このままだと、ここはシャッター通りになりますよ」
「うるせえ! 余計なお世話だ!」
「提案を聞いてください」
俺は企画書をカウンターに置いた。
【特別企画乗車券:三浦魚介切符】
・京急の往復運賃
・現地バスフリー乗車券
・選べる「海鮮食事券」
・選べる「お土産券」
これらをセットにして、破格の**2,980円(当時の価格設定イメージ)**で販売する。
「客はこの切符一枚で、電車に乗って、バスで港まで来て、あなたの店で寿司が食える。……面倒な現金のやり取りは不要。後で京急がまとめて代金を支払います」
源蔵は鼻で笑った。
「2,980円? 安すぎらぁ。そんな値段で極上のネタが出せるか。冷凍の安物を出せってか?」
「いいえ。……**『極上の冷凍』と、『朝獲れの地魚』**を出してもらうんです」
ここが、転生者・五代の切り札だ。
俺は、三菱重工から買い叩いた技術の中に、船舶用の最新鋭**「急速冷凍技術(マイナス60度)」**があることを知っていた。
「今、三崎のマグロは『氷蔵』が主流だ。だが、これじゃ鮮度が落ちるし、大量保管ができない」
俺は源蔵の目を真っ直ぐに見た。
「京急が、三崎港に巨大な**『超低温冷蔵倉庫』**を作ります。……そこで大量に仕入れてストックすれば、仕入れ値は下がる。いつでも獲れたての味が再現できる」
さらに俺は、窓の外の漁港を指差した。
「それに、マグロだけじゃない。松輪のサバ、金田湾のイカ……。地元じゃ当たり前でも、東京の人間にはご馳走だ。それらもセットにする」
「……超低温に、地魚か」
源蔵の手が止まった。職人として、その技術と素材の魅力は理解できるはずだ。
「それに、あんたの店だけじゃない。三崎中の寿司屋、定食屋、土産物屋を巻き込む。……街全体を**『食のテーマパーク』**にするんです」
俺は畳み掛けた。
「野球を見に来た3万人の客が、試合前や試合後にこの街に溢れる。……源蔵さん、あんたの握った寿司で、東京もんの度肝を抜いてやりたくないか?」
源蔵はしばらく黙り込み、そしてニヤリと笑った。
「……面白ぇ。京急の若造、口だけじゃねえな」
包丁をまな板に突き立てた。
「いいだろう。組合の連中は俺が説得する。……その代わり、不味いモンは出さねえぞ。客が腰抜かすような丼を用意してやる」
* * *
そして、伝説が始まった。
「三浦魚介切符」の発売初日。
品川駅のポスター前には人だかりができていた。
『電車・バス・メシ・お土産。全部込みでこの価格!』
そのインパクトは絶大だった。当時、こうした「食事付きフリー切符」は画期的だったのだ。
三崎口駅。
ドームへ向かう客の半分が、駅を出てバス停に並んでいる。
「今日はナイターだから、その前に港で寿司を食おうぜ!」
「俺は地魚の定食にする! お土産に干物も貰えるって!」
三崎港の商店街は、かつてない活気に包まれていた。
どの寿司屋も満席。土産物屋には行列。
源蔵の店『魚河岸』の前にも、赤いユニフォームを着たファンが長蛇の列を作っていた。
「へい、特選・魚介握り一丁! 京急きっぷのお客さんだ!」
源蔵が額に汗して握っている。
「どうだ東京のお客さん、三崎の魚は!」
「うめえ! トロける!」
「これで切符代込みって、嘘だろ!?」
ドームの試合開始前。
貴賓席で、俺は大崎主任と共に、満員の客席を見下ろしていた。
客の手には、イカの姿焼きや、三崎の地酒が握られている。
「……専務。計算が出ました」
大崎が震える声で報告する。
「切符の売上、予想の3倍です。……客単価が2500円から4500円に跳ね上がりました」
「だろうな。人間、美味いものには財布が緩む」
俺は三崎の夜景を見た。
港の灯りが、以前よりも明るく輝いている。
京急が運んだのは、単なる野球ファンではない。この街の「経済」そのものだ。
「これで三崎は安泰だ。……だが、大崎。問題はこっちだ」
俺は、品川方面の時刻表を指差した。
「三崎が面白くなりすぎて、今度は**『帰り』のラッシュ**が分散しなくなった」
「えっ?」
「試合終了後、みんなが飯を食ってから帰る。……つまり、終電間際に客が集中するぞ」
大崎が青ざめた。
「ま、まさか……深夜の『12両スーパー快特』追加発注ですか!?」
「ああ。金沢文庫の連結部隊を叩き起こせ。……今夜は長いぞ」
こうして、京急沿線は「野球」と「グルメ」の二本柱で、莫大な収益を生み出す黄金地帯へと変貌した。
金庫はパンパンだ。
さあ、腹ごしらえは済んだ。
次はいよいよ、毎朝地獄のような混雑を見せる「通勤ラッシュ」へのテコ入れだ。
疲れ切ったサラリーマンに、俺たち京急からの「座れるプレゼント」を贈ろうか。




