第121話 鉄骨の雨と、最強の隣人(交番)
昭和52年(1977年)、夏。
小田原駅前の巨大ターミナル建設予定地。小田急が裏で手を引く「合法的な遅延工作(兵糧攻め)」により、現場は完全にストップしたかに見えた。
公道では、地元のトラクターが時速10キロでタラタラと走り、後続の大型ダンプカーを完全にせき止めている。
小田急の不動産担当役員は、駅長室から双眼鏡でその様子を見下ろし、冷たく笑った。
「……ふん。生コンクリートの寿命は長くて2時間だ。あのノロノロ運転のまま現場に着く頃には、ミキサー車の中でコンクリが固まって全滅(廃棄)する。野良犬どもめ、今頃胃に穴を開けて泣き喚いているだろう」
――しかし、現場の空気は彼の予想とは全く異なっていた。
「……おーい、ダンプ到着したぞー。ゆっくり降ろせー」
現場監督の高見は、焦るどころか鼻歌交じりにタバコを吹かしていた。
到着したダンプの荷台に乗っていたのは、ドロドロの生コンではない。川崎の自社工場で完全に成形・乾燥された**『プレキャスト(PCa)コンクリートの巨大な柱』と、分厚い『鉄骨』**だったのだ。
「……生コンが時間切れになるなら、最初から固めたモノ(鉄骨)を持っていけばいい」
現場事務所で図面を広げた五代が、冷たく言い放った。
「工法をS造(鉄骨造)とPCaに変更した。……トラクターのジジイには好きなだけゆっくり走らせておけ。ウチの鉄骨は、2時間遅れようが2日遅れようが、絶対に腐らねえからな」
生コン殺し、完全無力化。
続いて、仮囲いの際で重機の行く手を阻んでいた、隣の地主の「柿の木の枝(越境物)」。
切れば器物損壊で訴えられるという最強の盾に対し、五代はクレーンのオペレーターにウインクを送った。
ギィィィ……!!
数十トンの巨大な鉄骨を吊り上げたクレーンが、敷地の境界線ギリギリを通過しようとした、その瞬間。
「あーっ!! いけねえ!! 小田原の『突風』で、クレーンが煽られたァーッ!!」
高見のわざとらしい大根役者のような叫び声と共に、数十トンの鉄骨が「ぐらり」と揺れ、越境していた柿の木の枝に激突。
バキィィィッ!! という轟音と共に、忌々しい枝は根元から綺麗にへし折れ、地主の庭へと落下した。
「き、貴様らァ!! わざとやったな!! 警察だ、器物損壊で工事差し止めだ!!」
顔を真っ赤にして飛び出してきた地主の弁護士に対し、五代は懐からスッと「一万円札」を取り出し、ヒラヒラと振ってみせた。
「いやぁ、お気の毒に。不可抗力の『事故』とはいえ、お宅の立派な枝を折ってしまいました。……柿の枝の時価は数千円といったところでしょう。釣りは結構です、新しい苗でも買ってください」
「ふ、ふざけるな! 警察を呼べ!」
「……ええ、すでに神奈川県警と地元県議には『万が一の物損事故』の保険対応として、ウチの法務部からたっぷりと根回し(報告)が済んでおります。……せいぜい、民事で『枝の値段』を争ってくださいな。もちろん、その間も工事は一切止めませんがね」
植物の自爆(大嘘)、強制突破。
そして最後は、敷地の隅のボロ小屋に陣取る「居座り屋(占有屋)」である。
彼らは仲間を呼んで増殖するか、莫大な立ち退き料をせびり取るプロだ。暴力で追い出せば生存権の侵害になる。
翌朝。居座り屋が「今日も一日中寝て、ゼネコンから金を巻き上げてやるか」とニヤニヤしながら小屋の戸を開けた瞬間――彼は自分の目を疑った。
小屋からわずか数十センチの距離、かつて空き地だった場所に、真新しいプレハブの建物が一晩で出現していたのだ。
建物の前には、赤色灯。そして、ピシッと制服を着た2名の警察官。
「……おはようございます。今日からここに赴任しました。いやあ、相鉄・京急さんが『治安維持のために』と、警察にこの土地を無償提供してくださりましてね。……ところであなた、お名前は? どこから来ました?」
お巡りさんが、満面の笑みで居座り屋の顔を覗き込んだ。
「……ヒッ!?」
「……おや、なんだか顔色が悪いですねえ。荷物などまとめて、どちらへ? ちょっと署でお話でも……」
「……ち、違います! 俺はただの通りすがりで……失礼します!!」
居座り屋は転がるように小屋から逃げ出し、二度と小田原の現場に姿を現すことはなかった。
ヤクザの脅しでも、暴力でもない。
**「めんどくさいから、あいつの真横に交番を建てて寄付してしまえ」**という、インフラ大企業による、国家権力を使った究極の完全合法な圧殺だった。
「……ば、馬鹿な……。あんな無茶苦茶な理屈が……通ってたまるか……ッ!」
小田急の駅長室。
完璧だったはずの「合法的な封鎖網」が、物理と大嘘と権力によってたった数日でズタズタに引き裂かれたのを見て、小田急の役員は絶望に顔を覆うのだった。
【次回更新予定】
122話〜 2月28日(土曜日)




