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第119話 小田原の暁光と、永遠の赤い呪い

 昭和52年(1977年)、初夏。

 午前6時。東海道新幹線の小田原駅ホームに、朝日が差し込み始めた。

 東京方面から、始発の各駅停車「こだま」が滑り込んでくる。後続の「ひかり」の通過待ちのため、この駅で数分間の停車を強いられる乗客たちは、退屈そうに窓の外やホームの風景を眺めていた。

 だが今朝は、ホームに降り立った客も、車窓から外を見ていた客も、一様に目を丸くして「自分たちの真上」を指差していた。

「……なんだ、ありゃあ」

「……スゲェ色だな。目ぇチカチカするぞ」

 彼らの視線の先、ホームの東京寄りの頭上を覆い尽くす巨大な鋼鉄の防護シェルター。

 その東京側から進入してくる列車の「真正面」となる巨大な側壁(アプローチ面)が、**網膜を焼き尽くすような鮮烈な『京急バーミリオン(赤色)』**に染め上げられていたのだ。

 さらに、そこには巨大な白抜き文字と、ド派手なネオンサインが朝日に負けじと煌々と輝いていた。

『ようこそ小田原へ! 箱根・横浜・都心へは、安くて快適な【京急・相鉄 特急】にお乗り換え!』

「……なっ……!? ななな、なんだこれはァァァッ!!?」

 視察に訪れていた国鉄・東京南鉄道管理局長の須藤の絶叫が、こだまの停車するホームに響き渡った。

「……神聖なる新幹線の頭上で、私鉄の宣伝だと!? しかも『安くて快適』だと!? 貴様ら、我々国鉄への当てつけか!!」

 顔を真っ赤にして激怒する須藤の背後から、コツン、コツンとステッキの音が近づいてきた。

 徹夜明けの五代と高見だった。

「……おや、須藤局長。我々の『最高等級のサビ止め塗装』の出来栄え、いかがですかな?」

 五代が、これ以上ないほど爽やかな(底意地の悪い)笑顔で会釈した。

「……五代ィ! 貴様、このふざけた塗装と看板はなんだ!! こんなもの即刻撤去しろ! 新幹線の景観を損ねる不敬な真似を……!」

「……景観? 宣伝? なにを仰る」

 五代は、わざとらしく目を丸くしてみせた。

「……あれは『看板』ではありません。海風が強い小田原ですから、塩害に絶対に負けない特注の赤い高級ウレタン塗料バーミリオンを厚塗りしたんです。……白い文字やネオンは、夜間に鳥が衝突して新幹線に落ちないための『航空障害灯代わりの警告サイン』ですよ」

「……ぐ、ぐぬぬ……ッ!」

 撤去させようにも、あの巨大なパネルを外せば「ボルトが落ちる危険」がある。国鉄自身が突きつけた安全基準が、国鉄自身の首を絞めていた。

 だが、エリート官僚の須藤もタダでは引き下がらなかった。彼は脂ぎった顔を歪め、最後の負け惜しみを吐き捨てた。

「……ふ、ふん! 調子に乗るなよ野良犬ども。しょせんはただの『ペンキ』だ! 小田原の海風と紫外線を舐めるなよ。……あんなドギツイ赤色など、数年もすればチョーキング(白亜化)してボロボロに剥がれ落ちるわ! その時は無惨な姿を晒すことになるぞ!」

 勝利を確信したような須藤の嘲笑。

 ――しかし次の瞬間、五代と高見は顔を見合わせ、腹の底から「くくっ」と悪魔のように笑い出した。

「……ええ、おっしゃる通りです局長。塗膜は必ず劣化する。ペンキは定期的に塗らないとダメだ。……インフラの真理ですね」

 五代はステッキの先で、巨大な赤いシェルターをピタリと指差した。

「……ですから我々は、局長の『完璧な防食を維持しろ』という厳命を永遠に守るため……数年ごとの【定期的な全面塗り替え工事】の予算を、未来永劫ガッチリと組みました」

「……なっ!?」

「……安心してください。色が褪せる前に、何度でも、何度でも……ピッカピカの真っ赤なバーミリオンを上塗りしに来てやりますよ。我々は、国鉄様の新幹線をサビから『永遠に』お守りしますからね」

 須藤の顔から、一瞬にしてすべての血の気が引いた。

 数年ごとに、いや永遠に。

 国鉄が自ら突きつけた「サビ止めを塗れ」という要求のせいで、ヤツらは定期的に新幹線の頭上にやってきて、この忌々しい赤い宣伝看板を『常に新品状態にメンテナンス』し続けるというのだ。

 永遠の赤い呪い。絶対に逃れられない、合法的な無限ループ。

「……新幹線こだまの乗客が、毎日小田原で退屈な通過待ちをするたびに、あのピカピカの赤い防護工をじっくりと見上げることになりますな。……せいぜい、ウチの宣伝に貢献してくださいよ」

 高見がタバコの煙をふうっと吐き出し、トドメを刺した。

 権力を笠に着た官僚への、インフラ屋ならではの最悪のカウンター。

 国鉄のエリートたちは、小田原駅に永遠に居座り続ける「敗北の赤いネオン」を見上げながら、血の涙を流して立ち尽くすのだった。

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