第118話 赤い防護工と、深夜の極秘塗装作戦
昭和52年(1977年)、初夏。
深夜0時。東海道新幹線の送電が停止し、小田原駅の頭上に「保守間合い(作業時間)」の静寂が訪れた。
「……野郎ども! 国鉄様から『最高のサビ止めを塗れ』とありがたいお達しだ! 今夜から1週間、この無骨な鉄骨をウチの色に染め上げるぞ!!」
投光器の光の中、高見の号令が響き渡る。
相鉄・京急の『特別架橋連隊』の足元には、横浜・金沢文庫の車両工場からトラックで急遽運び込まれた、大量のドラム缶がズラリと並んでいた。
中身は、京急の看板車両(1000形)の顔に塗られている特注の高級ウレタン塗料――**『京急バーミリオン(赤)』と、帯用の『白』**である。
「……高見さん、いくらなんでも建設用の鉄骨に、電車の外板用の高級塗料をぶっかけるなんて、もったいねえにも程がありますよ!」
「……馬鹿野郎、五代さんの『投資』だ。……塩害にも紫外線にも絶対に負けねえ、完璧な防食塗装を見せつけてやるんだよ!」
作業員たちはニヤリと悪そうに笑うと、ローラーと刷毛を手に足場へと這い上がっていった。
ただし、作業のプレッシャーは建設時と変わらない。いや、それ以上だった。
「……いいか! 新幹線の架線やホームに、絶対に『赤い塗料』を1滴も垂らすなよ! 垂らした瞬間に国鉄が飛んできて、工事は即刻中止だ!」
足場の下には、塗料の飛散を完璧に防ぐための分厚い養生シートが何重にも張り巡らされていた。
作業員たちは、新幹線を見下ろす巨大なシェルターの「側面(アプローチ面)」に張り付き、黙々と、しかし異様な熱気と共に、鉄骨を鮮烈な赤色に塗り潰していく。
国鉄の監視員たちは、深夜のホームから双眼鏡でその様子を監視していたが、あまりの手際の良さと、飛び散る気配すらない完璧な養生に、手出しできずにいた。
「……チッ。ただの色塗りだろうが。……それにしても、なんだあのドギツイ赤色は」
「……私鉄の安っぽいセンスですよ。景観もへったくれもあったもんじゃない」
監視員たちが鼻で笑っている間にも、作業は恐ろしいスピードで進んでいった。
――そして、塗装作戦の最終日(7日目の深夜)。
真っ赤に染め上がった巨大なキャンバス(防護シェルターの側面)の前に、今度は白い塗料を持った職人たちがスタンバイしていた。
「……よし、仕上げだ! 五代さん直筆の『図面』通りに、特大の白抜き文字を叩き込め!!」
高見の指示で、真っ赤な壁面に巨大な白い文字が次々と浮かび上がっていく。
さらに、その文字の輪郭に沿って、電気工たちが手際よく「ネオン管」を這わせ、配線を手打ちで固定していった。
「……おいおい、防食塗装にネオン管なんて聞いたことねえぞ!?」
「……馬鹿、これは国鉄様の安全を第一に考えた『航空障害灯(鳥避け)』だ! 決して宣伝用のネオンじゃねえからな!」
深夜の足場には、押し殺したような保線屋たちの笑い声が響いていた。
ボルトを締めるだけの地獄の土木作業から一転、国鉄という絶対権力への「合法的で壮大なイタズラ」に、現場の士気は最高潮に達していた。
「……高見さん! 全塗装、および『保安設備』の設置、完了しました! 塗料の滴下、一切なし!!」
午前3時55分。
すべての養生シートが撤去され、作業員たちが地上へ降り立つ。
朝靄の中、小田原駅の頭上には、ただの鉄骨だったはずの防護シェルターが、**『網膜を焼き尽くすような鮮烈な巨大看板』**へと変貌を遂げ、静かに新幹線の始発を待っていた。
「……完璧だな。これで、小田原駅の空は完全にジャックした」
土手の上から見上げていた五代が、満足げにステッキで地面を叩いた。
あとは、太陽が昇り、東京からふんぞり返った国鉄の役人が「視察」にやって来るのを待つだけだ。




