表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

113/246

第113話 海と陸の血脈、そして夜の陣

 昭和52年(1977年)、冬。

 深夜零時過ぎ。小田急の特急が走り去り、街が完全に寝静まった時間。

 酒匂川さかわがわの河川敷に、地響きのような重低音が響き渡っていた。

「……第2チキ、到着! 橋桁の固定ワイヤー解除!!」

「……クレーン旋回! ウインチのテンション緩めるなよ、何十トンあると思ってんだ!!」

 投光器の強烈な光に照らし出されたのは、京急の事業用貨車チキから降ろされる、規格外の巨大な『鋼鉄の橋桁』だった。

「……高見さん。いくら金沢文庫の工場で橋桁を組むといっても、その元の『鋼材(鉄)』は川崎の沖合、NKK(日本鋼管)の人工島で作ってるんですよね? さすがの京急でも、海の上までは線路が繋がってないでしょう。まさかトラックで運んだんですか?」

 部下の一人が、巨大な鉄塊を見上げながら不思議そうに尋ねた。

 それを聞いた高見は、鼻でふっと笑ってタバコの灰を落とした。

「……バカ野郎。何十トンもあるむき出しの鋼板を何枚もトラックで運んだら、首都高の底が抜けるわ」

「……え? じゃあ、どうやって金沢の工場まで……」

「……**『海』**だよ」

 高見は、夜の闇の向こう、遠く相模湾から繋がる広大な海を指差した。

「……川崎の人工島で作られた極上の鋼板は、岸壁からそのまま『台船はしけ』に積まれ、東京湾を海上輸送されて、金沢の埋立地にある工場の岸壁に直接着岸する。……そこで三菱の連中が巨大な橋桁に組み上げ、それを俺たち京急が『標準軌』の貨車で引き取って、この小田原の最前線まで直送しているんだ」

「……海運と、鉄道……!!」

 部下の目が、驚愕に見開かれた。

「……ああ。これが、川崎から三浦半島までを支配する『京浜工業地帯の真の血脈(物流)』だ。……小田急の権藤が、地方の生コン屋やダンプをいくら封鎖したところで……俺たちが背負っているインフラのスケールが最初から違うんだよ」

 高見はタバコを踏み消すと、ヘルメットを目深に被り直した。

「……さあ、講釈は終わりだ! ウィンチ巻け!! ジャッキアップ!!」

 昼の陣が泥まみれになって打ち上げた「コンクリートの橋脚」の上に、今度は夜の陣が「鋼の道」を架けていく。

 対岸の橋脚に向かって、巨大な橋桁をローラーとジャッキで少しずつ押し出していく『送り出し工法』。ミリ単位のズレが命取りになる、極限の緊張感が現場を包む。

「……高見さん! ローラーの軸受けが軋んでます! 鉄の重みで……!」

「……油を差せ! 止めるな! 小田急の連中が起きる前に、このスパンを対岸の橋脚に乗せ切るんだ!!」

 ギギギギギギッ……!!

 凍てつく冬の夜風の中、分厚い鋼鉄同士が擦れ合う悲鳴のような音が響く。

 作業員たちの吐く白い息と、投光器に照らされた土埃が混じり合う。彼らはただの土木作業員ではない。何百トンという列車の荷重を知り尽くした、相鉄・京急の「保線(鉄道技術者)」の精鋭たちだ。

「……あと1メートル……! あと50センチ……!」

 高見が、橋脚の上でジャッキのバルブを握りしめながら叫ぶ。

 巨大な橋桁が、暗闇の虚空を越え、対岸に立つ真新しいコンクリートの橋脚へとゆっくりと近づいていく。

「……ヨシ! 着床ちゃくしょう!! アンカー固定しろォッ!!」

 ズゥゥゥン……!!

 重厚な振動と共に、巨大な橋桁が橋脚に完璧に収まった。

 その瞬間、張り詰めていた現場の空気が弾け、作業員たちから地鳴りのような歓声が上がった。

「……やったぞ! これで3本目だ!!」

「……川の真ん中まで来やがった!!」

 高見はヘルメットを取り、汗で濡れた前髪を乱暴に掻き上げた。

 土手の上からその様子を見下ろしていた五代が、満足げにステッキで地面を叩く。

「……見事だ。川崎の『鉄』と、東京湾の『海運』、金沢の『加工技術』。そして我々の『標準軌』と『保線屋の意地』。……これらが一つに繋がった時、地方のローカルな兵糧攻めなど、ただの紙切れに過ぎない」

 夜明けが近づいていた。

 東の空が白み始める中、酒匂川には、小田急の技術トップ・権藤が「絶対に架からない」と高を括っていた無骨で巨大な鉄橋が、その姿をはっきりと現し始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ