第112話 金沢の鋼鉄と、酒匂川の鉄火場(昼の陣)
昭和52年(1977年)、冬。
酒匂川の東岸河川敷は、凄まじい轟音と粉塵に包まれ、完全に「戦場」と化していた。
「……ミキサー稼働! 骨材(砂利)とセメントの配合、規定値ヨシ!! 水回せぇッ!!」
「……第3橋脚、基礎の型枠完了! コンクリ打ち込み開始ィッ!!」
相鉄と京急から選抜された『特別架橋連隊』の男たちが、泥と油にまみれながら怒号を飛び交わせている。
権藤の兵糧攻めで地元の生コンが買えないなら、河川敷に自前で『簡易バッチャープラント』を建てて一から練り上げる。その狂気の決断は、今や圧倒的なマンパワーによって現実の「鉄火場(昼の陣)」としてフル稼働していた。
「……おいおい、ふざけんなよ。あの異常な量の資材……一体どこから持ってきてやがるんだ?」
土手の上から偵察に来ていた地元ゼネコンの幹部たちが、双眼鏡を覗き込みながら顔を引きつらせていた。
彼らの視線の先。河川敷に引き込まれた仮設レールの上には、無骨な事業用貨車が何両も停まり、そこからクレーンで大量の乾燥セメントや骨材、そして何より目を引く**『巨大な鋼鉄の橋桁(架台)』**が次々と降ろされていた。
「……まさか、東京や静岡からトラックで運んできたのか? いや、あんな特大の鋼桁を何個も陸送で運んだら、運送費だけでヤツらの会社が吹っ飛ぶぞ!」
ゼネコン幹部が狼狽する中、現場のプレハブ小屋の前で、五代と高見が図面を広げて不敵に笑っていた。
「……小田急の権藤も、地元の業者も勘違いしているな」
五代が、タバコの煙を空に向かって細く吐き出した。
「……我々『京浜急行』の本拠地は、横浜・川崎だぞ。……金沢文庫の工業団地には、海を埋め立てて日本の重工業を牽引する**『三菱の連中』**がゴロゴロいる。……小田原のローカルなゼネコンを封じたところで、我々のバックには京浜工業地帯の『鋼鉄の化け物たち』がついているんだ」
五代の言葉通りだった。
彼らは、金沢文庫の工業団地にいる三菱系の鉄鋼メーカーに直接手を回し、酒匂川を跨ぐための超巨大な鋼桁(プレハブ架台)の優先供給を確約させていたのだ。
「……そして、その金沢の工場からこの小田原の最前線まで、トラックを使わずに『自社の標準軌』で深夜に直送する。……トラック運送に頭を下げるくらいなら、インフラ屋の意地で全部自前で運んでやるさ」
高見が、ニヤリと笑って図面に赤鉛筆で丸をつけた。
特大貨物の陸送規制も渋滞も、自社レール(標準軌)の前では何の意味も持たない。京浜工業地帯の圧倒的な生産力と、京急のチート物流が完全にリンクした瞬間だった。
「……高見、橋脚(土台)の進捗はどうだ?」
「……昼間の連中が、死に物狂いでコンクリを打ってます。……あと数日もすれば、冬の川に頑強な橋脚が立ち並ぶ。そうすれば、いよいよ……」
高見の視線が、河川敷に横たわる『三菱の巨大な鋼桁』へと向けられた。
「……夜の連中の出番だ。終電後、真っ暗闇の中で、このバカでかい鋼鉄を対岸に向かって架け渡す(送り出し工法)。……権藤の野郎が朝起きたら、目の前に橋が架かってる寸法ですよ」
権藤の仕掛けた完璧なはずの兵糧攻めは、今、相鉄・京急の「現場の意地」と「京浜工業地帯の暴力」によって、根本から粉砕されようとしていた。
昼の陣(コンクリート打設)が熱を帯びる中、舞台はいよいよ、誰も見たことのない極限の闇夜の架設工事――「夜の陣」へと繋がっていく。




